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続・ヨーロッパ教育事情瞥見

 ローマを出た後は、スイスのインターラケンに立ち寄り、ユングフラウ登山をした後、いよいよハイデルベルグに向かいました。このハイデルベルグは「アルト・ハイデルベルグ」で有名です。現在でも14万の人口のうち学生は3万という大学都市で、ハイデルベルグ大学はドイツ最古の大学です。一番印象に残ったのは名物の「学生牢」で、これは第一次大戦時に実際の使用を中止したものですが、警察力に頼らず学生の自治によって運営されていたもので、色々考えさせられました。
 ハイデルベルグの後は、日本企業のヨーロッパ基地で有名なデュッセルドルフの日本人学校を視察しました。尤も、次に訪問したオランダのアムステルダムにも、江戸時代から馴染み深いせいか現在でも交流が盛んで、当時は140社の支店がありました。
 アムステルダムでも私学の見学をしました。私学校は、公立教育が国教会(プロテスタント)の教育であることに反撥したカトリック側の要求から生まれたものであるとの説明でしたが、この辺りは日本人の仏教徒である私には全然ピンと来ません。そもそも、「私は仏教徒で」などと言うのも気恥ずかしいくらいのものですが、欧米では今だに進化論を信じない立派な学者がいたりして驚かされることがあります。新大陸であり自由の国、合衆国でさえ一番幅の利くのはWASPだとよくいわれます。これは White Anglo-Saxon Protestant(白人でアングロサクソン系プロテスタント)のことですが、これを聞くと何だか白けた感じになります。パレスチナにせよ、中東、近東にせよ争いの火種は大抵宗教なので、東洋人、とりわけ日本人が特別なのかも知れません。

 大学入試制度において、受験生の学力を測る方法が日本とアメリカが非常に異なることはAO入試をめぐって先日書いたとおりです。単純化すると、日本は個別の大学が行う入学試験、アメリカは業者の行う共通テストでした。これに対してヨーロッパはこれらのどれとも違うようです。それは国家試験で、国が行うものとしては、わが国の「大学入試センター試験」に似ており、共通テストとしてはアメリカのSATに似てはいますが、実態は次のようです。例をイギリスにとって説明してみます。

 イギリスで私たちは英国文部省の教科担当官から講義を受けました。それによると、Ordinary Level(普通級)とAdvanced Level(上級)の2種類の General Certificate of Education(GCE:一般教育証書)があり、前者は16歳で、後者は18歳で受験し、後者が大学入学のためには必須の試験だということでした。
この名称も制度も今回のシリーズの1回目に村本さんに紹介して頂いたスリランカの制度そのままです。考えてみればそれもそのはずで、スリランカの独立前の昔の名前はセイロンで、インドの一地方でした。そのインドは長い間イギリスの統治下にありましたから、当然といえば当然かもしれませんが、昔のままの全く同じ名称、同じ制度というのはいかにものんびりしたお国柄を思わせます。(尤も本家の英国では現在はAdvanced Levelの呼称はそのままのようですが、Ordinary Levelは GCSE (General Certificate of Secondary Education) と呼んでいて、 Ordinary という言葉は使わないようです。)

 イギリスで大いに興味を感じたのはパブリック・スクールの存在です。「パブリック」というからには公立かと思うと、これが私立で、私たちが訪れたのは、その中でも名門中の名門、首相を21人も輩出したというイートン校でした。超エリート校で大英帝国を支えた学校だとよく言われます。現在でも超エリート校なのは故・ダイアナ妃の2人の王子もここで学んだことからでも分かります。なにしろ創立は1440年です。当時、学問をするには学者を自宅に呼ぶか、寄留させるかの方法しかなかったところ、ヘンリー六世が貧乏な学生を集めて住居と教育を与えてケンブリッジのキングズカレッジに送り込む意図の下に創設したものだそうで、貴族の「プライベート」な教育方法ではなく「パブリック」だというわけなのでしょう。
 ところで、後年オーストラリアに生徒を引率して、当時交流していたオーストラリアのメルボルン近郊のジーロングを訪問したとき、当地のコライオ校の校長先生がかつてはイートン校の寮長だったと聞き、懐かしく思ったものでした。このコライオ校には生徒のホームステイで大変お世話になっていたものでした。さらに余談ですが、先程、故・ダイアナ妃の名前を出しましたが、思い出しついで付け加えると、コライオ校に付属のジーロング・グラマー・スクールの山の分校であるティンバートップ校に腕白盛りのチャールズ皇太子が1年ほど在学していたことがあるそうです。

 イギリスの教育制度もイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなどの各地域によって異なり、単線型の日本に比べると、合衆国同様、複線型で非常に複雑な構造になっています。昔はイギリスは階級意識が非常に強く、伝統的に「パン屋の子はパン屋、学問は要らない」ので、パン屋の子が大学に行くなどということはとんでもない非常識のように考えられていましたが、我々が訪問した1980年代から徐々に変わり始め、大学への進学率は1970年代の5~6%から、平成15年度版の文部科学省の「教育指標の国際比較」によると、高等教育進学率は60.0%[2000年]と驚異的な伸びを示しています。これは1980年代後半から高等教育の拡大政策が採用され、普通の進学者以外に成人進学者が急増したことに原因があるようで、それを除くと30%。程度と推測されます。いずれにしても劇的に増加していることは確かです。

 少し長くなりました。「教育事情瞥見」などと称しましたが、結局、四方山話に終始してしまった感じがします。まだロンドンもパリも残っているのですが、割愛します。

文責: 山本正彦