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成功者列伝 5  包丁一本サラシに巻いて

 Fちゃんとはもう30年来の付き合いになる。といっても一緒に遊んだとか飲みにいったとかしたことはない。ただこちらが彼の行く先々へ足繁く通うだけである。
 はじめは私が勤務していた公立高校のすぐ近くにある小さな寿司屋で出会った。8人も座ればいっぱいになるようなカウンターだけの寿司屋をいつも一人でやっていた。昼休みに時間があると、そこへサービスセットを食べに行く。1500円を先に渡して、よろしくというと、あとはお任せでいろいろな寿司が出てくる。春先には白魚の躍り食い、夏には鮎の背ごし、秋には松茸のお吸い物、冬にはクエのにぎり。ほかにもいろいろ寿司が出されるので、おそらく私からは利益をあげるどころではなかっただろう。Fちゃんは、魚好きの私を大切にしてくれ、私は一週間に一度はその店で至福の時をすごした。
 私の感動はやがて私の友人、同僚に伝わり、ファンが増えた。やがてFちゃんは店のオーナーとの関係が悪くなって、その店をやめ西宮へ移り、その数年後には神戸へ、そしてさらに数年後には明石へと転々とする。すでに彼のファンである私や私の仲間は、時には一緒に、また時には単独で、Fちゃんが移動する度に、その店を確認しに押しかけるのだった。
 今、Fちゃんは念願の店を持ち、店は繁盛の一途をたどっている。予約しないと入れない場合が多い。店がかなり大きくなったので、見習いや寿司職人をやとっている。これは喜んでばかりはいられない。Fちゃんの前にすわらないと、Fちゃん以外が寿司を握ることになる。数年前に食べくらべたら、同じネタを握っても、他の人とFちゃんでは味がちがうことがわかった。
 Fちゃんは高校を出て、日本料理の修業にはいり、その道をただただ脇目もふらずに歩いてきた。今の仕事の様子を聞いてみると、早朝から夜中まで睡眠時間さえ十分でないようだ。客からそれほど高い金額をとることなく、ほかでは味わえないような料理に腕をふるう。料理が生き甲斐であり、仕事であり、一番の関心事らしい。長期の休暇をとることもなくよくまあ続くものだ、と私はいつも感心してしまう。
 Fちゃんは今では、私のような昔からの知り合いだけでなく、近くに住む人々、近くの会社や商店で働く人たちにも人気がある。特に天然物にこだわる彼が大切にしているのは、幼馴染みの漁師さんたちで、彼らはFちゃんの腕に惚れていい魚を持ち込み、その後夜になって客としてカウンターに座ったりするのである。(田畑保行)