赤毛のアンのこと 続
赤毛のアン・シリーズを含め、モンゴメリの16作品の翻訳を手がけ、日本に紹介したのが村岡花子さんです。ドラマ「花子とアン」の花子ですね。
村岡さんはカナダ人宣教師の開設した女学校で10歳の時から英語を学び、16歳ですでに英文学の原著を読むほどの寄宿舎一の文学少女だったそうです。 卒業後は教師を経て、編集者として働く頃、日本は戦争へと向かい始めます。そんななか友人のミス・ショーがカナダへの帰国を余儀なくされ、その時に友情の証として村岡さんに託されたのが L.M.Montgomery の書いた Anne of Green Gablesという1冊の本でした。
「いつかカナダの文学を日本に紹介したい」という思いをもっていた村岡さんは、戦争がはげしくなってからも家中の原稿用紙をかき集め翻訳を続け、とうとう完成させます。
その原稿が「赤毛のアン」として出版されたのは、原著を手にしてから13年後の1952年のことでした。
そんな村岡さんの生涯を紹介したのが、ドラマの原作にもなっている
アンのゆりかご~村岡花子の生涯/村岡恵理 (新潮社) や
昨年、生誕120年を記念して出版された 村岡花子と赤毛のアンの世界/村岡恵理 (河出書房新社) です。
貸出が続くアンのゆりかご。村岡花子と赤毛のアンの世界では、はじめて執筆した童話 『みみずの女王』 が読めます
また、村岡さんは翻訳者としてだけでなく社会的な活動も行います。
ヘレンケラーが来日した際には講演の通訳をつとめています。戦後、日本の少女たちが社会的意識をもち、精神的に自立した女性へと成長するよう、婦人問題や教育問題のオピニオンリーダーとして、多くの女性に影響も与えました。
そのような生き方は、元をたどれば十代の頃に受けた教育と環境でもって、培われたものだそうです。女学校で過ごした10年間は、花岡さんの人生に色々な影響を与えたのですね。
次回は、もう一つの赤毛のアンのお話です。 ごきげんよう。