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親孝行・やってみなはれ
2022年07月22日
「母の話、母の思い」
母は、私が幼かった頃から、母自身の子どもの時の話をたくさんしてくれました。それはたいてい楽しい話で私は母の話を聞くのが大好きでした。母の家は商家で、大家族で住んでいました。なので、母の話の中にはたくさんの人が出てきました。母は二人の子どもを育てながら、ふっと自分もこんな事があったよと思い出して話してくれるので、私もワクワクしながら聞いていました。いたずらをして大人を困らせた話、大切にしていたお人形や人形のお洋服の話、歳が少し上の叔母と遊んだこと、お正月にどんなご馳走が出たのかなど、私や妹は母の話をたくさん聞きました。
やがて母は、自分の幼い頃の事を原稿用紙に書くようになりました。きっかけは、私の小学校の先生が保護者に作文を書いてみませんかと呼びかけたからだったと思います。母はもう学校に提出することが終わった後でも、書く事をやめませんでした。毎晩、夢中になって書き続け、何枚にもなり、1年ほど経つとある程度の分量になっていました。父は母の原稿をワープロで打って印刷して製本し、とうとう一冊の本になったのです。
母の本の題名は『集団疎開の思い出』です。母は、昭和19年の8月末、親元を離れ、大阪から滋賀県近江八幡市に学校の先生や友達と一緒に集団疎開をしました。当時、母は小学三年生、集団疎開の子どもたちの中で一番年齢が小さかったそうです。母は見た事、あった事、感じた事を、出来るだけ飾り立てずに素直に書いていました。小学生だった私や妹を育てながら、幼かった時の自分を思い出しながら書いたのでしょう。前半は、以前母から聞いてほとんど知っていた内容でした。ところが、後半に進むにつれ、初めて聞く内容が増えていきました。3月13日、大阪大空襲で母の家は燃えてしまいました。その事実は聞いて知っていましたが、母がどんなふうに思っていたのかはあまり詳しくは聞けませんでした。母は当時の事を書いてみて、子どもの時の楽しい思い出の中に、「本当は家に帰りたかった」と気が付いたそうです。「楽しいこともいっぱいあったのよ。でも、帰りたかったの。」本を読み終えた私に母はそう言いました。
私は、結婚して娘を出産しました。病院にきて来てくれた母に娘を見せようとした時、母は真っ先に「身体は大丈夫、しんどくない」と私の顔を覗き込んで言いました。私は娘を育てながら、楽しかった幼いころの事を思い出し、母と同じように娘に話しました。話しながら当時の母や父の気持ちに思いをめぐらし、母と父へ愛おしさを感じました。
母は昨年の年末から入院しています。コーラス部だった母は、歌を歌うことが大好きです。リモートの面会に行くと看護師さんから「お母さま、歌がお上手ですね。今日も聞かせてくれましたよ」と様子を教えてもらいます。私は画面の中の母に話をして、そして時々一緒に歌を歌います。母が「ああ、楽しかった」と笑顔になるのを見て、私は母に元気をもらい、また会いに来ようと思うのです。母の思いを出来るだけ覚えておこう、そして母の思いがつまった本を母が残してくれたことに感謝しています。
(雲雀丘学園中山台幼稚園 年中リーダー 松本 弘子)