卒業生~母校は母港になる
No.21(58期)成長の日々~人生の宝物
2021/12/24
私は高校3年間を雲雀丘学園で過ごしました。卒業後は大阪市立大学医学部看護学科に進学し、現在は兵庫県立こども病院で看護師として働いています。
私は幼少期の入院・手術の経験から、看護師になることが幼い頃からの夢でした。看護師になりたいという気持ちが強かったため進路に迷うことはありませんでしたが、志望校に合格できるかは本当に心配でした。人生で一番大変だったことは?と聞かれると大学受験だと答えると思います。塾には通わずに頑張りたいという思いもあり、わからない問題があれば、とにかく「先生、先生!」と追いかけまわしてとことん教えていただいていた気がします。志望校には推薦入試があり、受験に必要な志望動機や自己推薦書は一語一句までこだわって何度も添削していただきました。模試で思うような結果が出ず落ち込んだ時には、担任の先生が「あなたがだめなら誰が合格できるの?自信もって!」と背中を押してくださったことを今でも思い出します。第一志望校に推薦入試で合格することができたときには、看護師になるという夢に1歩近づくことができて本当に嬉しかったです。
兵庫県立こども病院は小児専門病院で、こどもとご家族を支える「最後の砦」としての役割を担っています。看護を行っていく中で大変なこともありますが、こどもたちの笑顔や元気になっていく姿を見ると心から幸せな気持ちになり充実した日々を過ごすことができています。難しい疾患や治療が多く日々の勉強が欠かせませんが、勉強は全く嫌ではありません。わからないことがわかるようになるという楽しさを大学受験の時に感じていたからだと思います。人生で一番大変だったことは大学受験ですが、人生で一番私自身を成長させてくれた経験も大学受験だったのかなと今は思っています。これからも日々の勉強を積み重ねてこどもたちに寄り添うことのできる素敵な看護師になれるように頑張りたいです。
高校3年間は、「やってみなはれ精神」のもと、学級委員や文化祭実行委員などにも積極的に取り組みました。体育祭のクラス旗の作成、文化祭のダンス練習やエンカレの衣装づくりなどを通してクラスメイトや他のクラスの人とも関わることができたり、休み時間や放課後などは友達とたわいもない話をしたりして、いつも笑っていたような気がします。社会人になった今でも雲雀丘の友達と会う機会もあり、みんな様々な進路を歩んでいて話を聞くたびに刺激になっています。
今回、この文章をまとめるにあたり、次から次へとたくさんの思い出がよみがえり「そういえばあんなことあったなあ」と自然に笑顔になれるのは、雲雀丘学園で過ごした3年間が本当に充実して楽しい日々だったからだと思います。大好きな友達と大好きな先生方に出会えた高校3年間は一生の宝物です。
和辻 帆乃佳(2016年卒 58期生)
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