学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.26(32・33期)学友は財産

2022/03/23

  私は雲雀丘学園には幼稚園からお世話になり、高校卒業までを雲雀で過ごして来ました。中学では剣道部に所属していて、高校では一年間だけサッカー部に所属していました。

 現在は製造業で情報処理の仕事をしている一会社員です。 寄稿文を書こうと思いたった経緯は、先生からお願いされた事もありますが、私の経験が本校で勉学に励んでおられる方々の役に少しでも参考になればと思った次第です。たいした経験ではございませんが、読んで頂ければ幸いです。

 私は高校一年生の終わりにネフローゼという腎臓病を患い、これから高校二年生になってサッカーもレギュラーになりたい、予備校にも通って勉学にも励みたいと思っていた矢先でしたが、学校には通えず、病院で過ごす日々でした。

 最初は根拠もなくすぐ治るだろうと思っていたのですが、まずは退院まで1ヶ月かかりました。退院して、しばらくしたら学校に復帰できると思っていたのですが、無理が祟ったのかすぐまた数値が悪くなり、今度は3ヶ月入院する事になりました。直接的に治す薬はなく、副腎皮質ホルモンの薬を飲む事で症状を抑えるのですが、症状が良くなってもその薬の副作用が強く徐々に減らしながら様子を見るしかないとの事でした。

 私はそれでも夏に復帰できれば、またみんなと高校生活を送れると思って頑張りました。ただ入院生活が3ヶ月はかなり長く、ちょっとその話をするとここでは書ききれなくなる為、割愛しますが、隣で寝ていたお爺さんが朝起きたら突然亡くなってたりして、いろいろこの高校生の時期に入院しているという事実は少し精神的にも辛い現実でした。そして、3ヶ月で退院して、何とか学校へ一週間通ったのですが、また入院という状況になり、もう出席日数が足りなくなった為、留年は決定となりました。

 病院を変えて再度3ヶ月入院したのち、高2の時期は療養に専念して、日々を過ごしました。学年降りて高校2年生を再度するか、辞めて高卒認定を取って、大学を受験するかの選択肢がありましたが、私は迷わず、高校2年生をやり直す事を選びました。長年の友人が上の学年にいる状況でしたが、病院で普通の生活が送れない私にとって普通の高校生活を送るのは大事な事だと思ったからです。仲間は変わるかもしれませんが、それでも普通の生活がしたかった。それは私にとっては結果的に良かった事になりました。

 最初こそ、副腎皮質ホルモンの薬でムーンフェイスと呼ばれる脂肪が中心により顔が丸くなって、見た目が変わる状況だと、中々劣等感の塊のような状態になって、周りとも喋りづらい状況になりましたが、かえって周りは私の事知らないメンバーばかりだったので、徐々に打ち解ける事ができました。入院している時に友達が修学旅行行って来た話をされてその友達に悪いなと思いながらとても悔しくて辛い思いをしましたが、その修学旅行にも行けましたし、2年という短い中でその学年でも友人ができて無事卒業もできました。 それから大学に通う間も2学年にわたり友達が増えた事は私の交友関係が増える事に繋がりました。それから随分経ちますが、またSNSを通じて同窓会を開く事になった時に両学年の両方から誘われて、当時喋らなかった方々とも話す機会があり、そこから交友関係が拡がる出会いもありました。旧友がニューヨークでジャズベーシストとして活躍していたり、フルート奏者で有名だったり、酒蔵で杜氏をしてたり、弁護士さんになってたりと様々な活躍をしてる友人がいて、それがみんな雲雀の卒業生なんです。私も励みになりますし、SNSや同窓会でいろいろ話が聞けて楽しかったです。

 お陰様で身体の方も何ともなく、今では雲雀仲間とテニスをしたり、フットサルや趣味の音楽を楽しむ日々を過ごしております。

 長い人生の中で高校生活はほんの3年間ですが、卒業して以降ずっと関係が続いているというのも不思議な縁です。今普通に過ごせていることを幸せに感じています。

 同窓会で先生方と当時の話をしたりするのも楽しかったですし、これからは年齢的にはそういう機会はもしかしたら減るかもしれませんが、楽しい思い出です。今コロナ禍でそういう機会が減ったり、少し前から個人情報という事で、中々卒業してから連絡が取れない状況だったりと、私達が経験した学年としての一体感というのはもしかしたら今の時代薄れていっているのかもしれません。(雲雀ではそのあたり告天子の会等で学校が取り持っていただけるので、そこは皆さん活用していただきたいと思います。)

 世代によって感じ方は変わるものとは思いますが、同じ時期に過ごした学友というものは一つの財産だと思いますので、大事に過ごして欲しいと願います。

 最後に雲雀の先生から一番心に残っている教えは相手の立場に立って思いやりの心を持ちなさいという言葉が今でも教訓になっております。コロナ禍が明けたらまた同窓会でみんなと集まりたいなとは思っています。

 長文となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

(小34、中32、高32-33 中村 真久)

pagetop