卒業生~母校は母港になる
No.35(60期)叱られたこと
2022/06/10
私は、小学校から高等学校までの12年間を雲雀丘学園で過ごしました。
思い返してみれば、叱られ続けた12年間でした。しかし、卒業して気づいたことは、そのような環境で過ごすことができたのは、とても恵まれていたということです。
私は卒業後、1年の浪人期間を経て大阪教育大学に入学しました。学園卒業から現在に至るまで、叱られた思い出は特にありません。その代わり、自分でしたこと、したいことの責任はすべて自分で背負わなければなりませんでした。
当たり前のことですが、その当たり前を忘れてしまうほど、雲雀丘学園の先生方はとても親身に寄り添ってくださいました。その12年間は、私にとって宝物です。実習生としてこの学校に帰り、先生方の工夫や苦労がわかり、実りのある3週間を送ることができました。久しぶりに叱られたことは、勉強になり嬉しかったです。
現在私は大学でアメリカンフットボール部に所属しており、ディビジョン昇格に向けて日々練習に取り組んでいます。アメフトを含め、この学校で培った「やってみなはれ」精神でいろいろなことに挑戦していきたいです。また、これから社会人として早く一人前になって、「親孝行」ができる人間になりたいと思っています。
大阪教育大学教育協働学校理数情報専攻自然科学コース
石原直樹(2018年卒・60期生)
学校ブログ
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