校長通信
創立記念日 第63号
2020/10/01
創立記念日にあたり、初代中学高校校長板倉操平先生の『わが心の自叙伝』から学校創立時を紹介します。
「雲雀丘学園は他の私立学校の様に校主によって造られた学校ではない。父兄が創業者であり、先生が協力し、生徒が又一体となって造り上げた学校である。何等の設備もなく、教室さえ無い所から学校教育が始まった。小学校の当初は、既設の幼稚園に間借りし、工事事務所を買い取って学校とし、中学校も小学校の空教室へ新一年生を入れて授業を始め、時には物置までも教室にした。かかる教育を受けた第一回の入学生、それが小学校六年間、中高六年間、合して十二年の教育を終えて卒業した生徒達のその後の成績は如何、大学入試の難関といわれる、東大、京大、阪大へも入学した。・・・大学等へ次々合格している。(中略)・・・年次を加える毎に、先生も増員せられ、設備も一応は整ったが、しかし、既設の他の私立学校、公立学校に比ぶれば、職員組織も整わず、設備も不備であった当時の卒業生第一回、第二回の連中は其の後の成績は最も優秀であり、多士済々、現在も社会で大いに活躍している。本校教育の効果を各方面に発揮している。・・・(中略)・・・設備も整い職員組織も充実した其の後の生徒諸君、其の日の生活に安住していると、創業時代の卒業生に及ばぬ結果となる。今は守成時代に入ったが、飽くまで創業時代の意気込みを忘れてはならぬ、生徒先生も。」(原文まま)と叙述されています。
創業時の卒業生の方々は、大学教授、芸術家、海外公館領事、実業家など、色々な分野で活躍されています。この時代だけなく、そのあとの卒業生もそうです。個性豊かな人材が多いと感じます。あまり、知られていないのが残念です。当時は、校舎が新築されたあと、藪や竹林・池を先生と生徒の手で運動場にしました。何かと言えば、屋外での整備作業が多かったと聞きます。充実した設備や学習環境に安住することなく「ハングリー精神を持って挑戦せよ!」と板倉校長先生は雲雀丘生徒、そして教職員を鼓舞され続けている気がします。