校長通信
創立記念日① 第58号
2022/09/26
祝日ごとに台風や低気圧のせいで雨が続いていました。23日もたくさん降りました。写真は24日土曜日の人工芝校庭です。元気に体育の授業が行われていました。
10月1日の創立記念日にあたり、開園時のジオラマを60ホールから生徒昇降口に前に出しました。
このジオラマは、1951年(昭和26年)9月30日に開園1周年記念式、バザー開催を再現したものです。中央が鳥井信治郎初代理事長、その左が土井信男初代小学校校長・幼稚園園長(のちの学園長)です。
1953年、板倉操平先生(元池田師範学校校長)が中学校長に就任。男女各1組(男子29名女子21名)で中学開校式。
1954年、鉄筋3階建の中学校舎が完成。
1956年、男女各1組(男子55名、女子24名)で高校開校式。
1958年、10月1日学園歌制定、11月学園講堂が完成。
1959年、第1回高校卒業式(卒業生64名)、創立10周年記念式典。
一気に書き上げましたが、創立にかかわるの方々のご苦労は大変なものでありました。学園誌によると「1ヶ月しか猶予がないのである。しかも土地も建物も金もない。無から有を生じるような学校であった」「借家住まいの学校では父兄も教師もやがては子供にまで不安感が生じるようになり、その頃の神戸新聞に「雲雀丘の学校つぶれるか」といったような記事が出たほどであった」とあります。
一方、子供たちのために教育のために高い志がありました。「研究に値する案が話し合われたことがある。それはこの地域を中心にして教育委員会をつくり、教育長も決めて学校をつくっていってはどうか。公立と私立を折衷したような考え方で自分たちで責任をもって理想の学校教育をやろうということであった」このような考えから地域全体から募金を募る運動へと発展したようです。今でいう学校協議会やCommunitySchoolの考え方かも知れません。公立校にない新しい教育、高いレベルを求められていました。
そこに鳥井信治郎氏に初代理事長をお願いし、物心ともに大きな支援を受けることになりました。1950年に私立学校は新制度の学校法人になり、法務局登記の第一号でした。みなさんの思いが詰まったすばらしい創立の精神ができあがりました。
創設趣意書には「独立の小学校とし更に接続の中学校をつくり一大総合雲雀丘学園にしていきたいとの高遠なる希望」とあります。先生2人の「貧乏学校」は現在、創立70年を超え、先生200名、子供たちは幼小中高2800名を超える総合学園となりました。校舎設備も整いました。64名でスタートした高校卒業生は1万名を超えています。先人たちの心を受け継ぎ、理想の学校教育を目指して、創立の精神を実現する人間育成に努めたいと思います。