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常務理事便り
2019年08月28日
往復書簡⑧「生徒を信じ、生徒に本気」大森先生の返信
岡村常務理事へ
お手紙ありがとうございます。いつも興味深く拝読させていただいております。
岡村常務理事が「サントリーに入社したのは全くの偶然で、サントリーの役員になり、そして現在雲雀丘学園で常務理事になれたのも運以外の何物でもないと思っています。」とのこと、本物の方ほどそのようにおっしゃいますね。「運」という字は「運ぶ」と読めるように、足を運び、手を運び、心を運ぶという努力の積み重ねの結果、「運」が来るのでしょうね。奇跡を起こしておられる方々は、みなさん、感謝、謙虚、報恩の精神を持って生きておられるので、文学者でシスターの鈴木秀子さんが書かれている本のタイトル「奇跡は自分で起こす」のだと思います。
さて、「進路指導の道に進んでいった原点は何か、卓越した指導力を発揮するようになったきっかけは何か。」とのご質問ですが、卓越した指導力などはありません。生徒が努力して奇跡を起こしていったのであって、私は務めた学校の先生方や生徒達によって、教えられたことばかりを伝えているだけなのです。少し長くなりますが、その体験をお話しいたします。長くなりますが、よろしいでしょうか?
進路指導の道に進んでいった原点はというと、最初に勤務した学校が兵庫県の私立の進学校だったから、否応なしに進学指導をしなければならなかったのです。その学校は、当初、近隣の公立のトップ校の併願校で、公立高校を落ちた生徒が来ていました。その生徒たちを3年間しっかり鍛えて、国公立大学に進学させることが目標でした。私が赴任した当初は、模試のデータを作成し、いろいろな地区の公立トップ校と比較もするのですが、平均偏差値も度数分布もうらやましいほどでした。負けん気が強かったこともあり、何とかこの差を縮め、できれば勝ちたいと思い、まずは良い授業をしよう。さらに、近隣の国公立大学の過去問を調べ、その傾向を分析し、対策を授業に組み入れようとしました。しかし、焦ってもなかなか成績は上がりませんし、学力の低い生徒が足手まといのようにも思っていました。そして、学校が良くなるためには、もっと成績の良い生徒を集めなければと、考えていました。また「受験だ、もっと勉強しないと落ちるぞ」等と脅しましたが、いくら言っても、2年たっても成績が大きく上がるものではありませんでした。
大きな転換点になったのは、出向した姉妹校で初めて高校3年を担任した時でした。
<出向した姉妹校で高校3年を担任した時の運動会の応援合戦:この生徒達のために>
私が私立校教員に就職して3年目に、姉妹校へ出向するように命ぜられました。26歳の時です。前年は本校の高校1年生の担任でしたが、その継続ではなく、姉妹校の高校2年2組の担任を仰せつかりました。その学年は姉妹校の4期生で、高校2年1組は初めての中高一貫コースとして挙がってきた生徒たちのクラスで、この学年の進学成績が姉妹校の命運を握っている重要な学年でした。2組は、外部から入試で入ってきた生徒達で、高校1年時、生徒部長と英語科の主任がそれぞれ別々に担任されていたクラスを一つにし、55名の生徒からなるクラスでした。なぜか私が担任だったのです。それだけではなく、理科の教員の中では私が最年少にもかかわらず理科主任で、さらに、今まで生物を教えておられたM先生は寮監になり、私が中学1年から高校3年までの生物分野を一人で教えるようになっていました。その当時は、試験はロウ原紙にガリ版で書き、輪転機で印刷するので、中1から高3までの生物6種類と中学3年の化学の、計7種類を担当しましたので、気の休まる時はありませんでした。私は命令されたままに対応していましたが、担任、理科主任、そして一人で生物を担当することになったのが、姉妹校の先生方には奇異に映っていたのでしょう、5月の1泊の新任歓迎会で、「お前だけは許さんからなぁ」「どれだけ進学成績を上げるか楽しみや」と・・・・。針の筵に座っているような感じでした。それでも、与えられたことに感謝して、1年間それなりに頑張り、高校3年の夏にはクラスの成績も上がってきて、東京大学や京都大学を目指せるぐらいの生徒達も出てきました。その多くが寮生でした。そんなある日、寮監が我がクラスの寮生数名の引き出しから小さなウイスキー瓶が見つかったと連絡が入り、生徒部長ともいろいろと相談しましたが、彼ら全員退学処分となってしまいました。彼らの中には学級幹事(委員長)もいて、成績も我がクラスのトップレベルでした。クラスの生徒からは、自分のクラスの生徒を守れない無力な担任だとののしられ、先生方からは生徒管理もできない教員だと非難され、家庭では第一子の出産のため妻は里帰りしているときでしたので、一人情けなさに打ちひしがれる思いで過ごしていました。9月の体育大会ではクラスごとの応援合戦があるのですが、クラスはバラバラ、私に対しては不信で、最初の応援合戦の出し物は、決して人様に見せることができない内容のものだったので、それはクラスだけでなく、学校の恥と思い、大反対しました。「生徒も守れない担任が、我々が自由にできる応援合戦に口だしする権利などない」などと言われましたが、「それなら、学園長のところに行って、大森を担任から外すよう頼んで来い」「僕が目の黒いうちは、決して認めない。このような出し物をするなら、高校3年2組の応援合戦は辞退すると、生徒会に言いに行く」と…。「こんなつらい時だからこそ、みんなで力を合わせてほしい。」と言いましたが、生徒から出てくる案は踊り狂って死ぬというようなものでした。最終的には、「先生も出場すること、体育大会前日に何をするか伝える。気に入らなければ辞退するといってもよい」とのことで、前日まで何をするかわかりませんでした。実際は、組体操で、最後にタワーを作り、その上に僕が乗って、巻物を垂らすというのです。何が書かれているかもわかりませんし、生徒と激しく言い合っていたので、タワーを作って上から落とされると感じました。出産直後の妻でしたが、この時だけ、私の勤務先の体育祭を見に来るように伝えました。
卒業アルバムに載っていた写真をスキャナーで取り込んだものです。
模試の成績が良いとか、悪いとかはすべて生徒の過去の事なのです。生徒の大学進学は将来のことですから、今、現在どう充実した過ごし方をするかで将来は変わるのです。成績の低い生徒に対して教師が諦めたり、大学進学は無理だと思うのではなく、一人一人の生徒を信じ、生徒のために本気になって指導すれば、生徒は必ず良くなっていくことを生徒から学びました。本気になった生徒たちは、本当に強くなる。そして、学園長があえて、自ら壁になってくださったその深い思いを、後になって知りました。進路指導の根本を、身をもって教えていただいたのです。これが私の進路指導の原点となりました。
この年、もう一つ進路指導で大切なことを、隣のクラス(高校3年1組)の担任の先生から教わりました。それは、進路指導する人間の心の在り方と言えるかもわかりません。
それは、次回、お送りします。
(2019.8.28)