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常務理事便り
2021年09月09日
「雲雀のご意見番」を偲ぶ
守本先生が私を追い抜くのは、阪急宝塚線の線路沿いの道が上りに差し掛かる付近でした。内心悔しい私は、後ろを気にしながら歩くのですが、それでも背後からよく声をかけられ驚いたものです。そこから学校まで、私は少し速足で先生と話をします。学園のこと、政治のこと、スポーツ、芸能に至るまで、いろんなことを話しました。色々な話題に精通しておられました。特に、批判ばかりのマスコミや政治家には辛口の意見を述べられたと思います。
コロナに対しては大変慎重に対応されていました。国民には自粛ばかり求め、具体的な対策をとらない政府や医師会には批判的でした。そういえば、サントリーの職域接種のニュースが話題となり、雲雀丘学園も加えてもらえないかという話をされました。すぐに永井事務局長にその話をつなぐと、とんとん拍子に話が進んで、全教職員へのワクチン接種が実現したのには私も驚きでした。
教え子の寄せ書き お嬢さんからのプレゼントの帽子
もともと立派な先生だということは聞いていました。先生の先生だということです。しかし、それを目の当たりにしたのは私が校長の時でした。朝の登校時の生徒への声掛けで、毎朝、現場に1番に顔を出されていたのは先生でした。そして、1番大きな声で生徒全員におはようの声をかけられます。頭が下がりました。大学入試を控えての高3生への補習授業も先頭に立って先生方を引っ張ってこられました。1番のベテランの先生が率先するので、学園の士気も上がったと思います。
先生が高3の学年主任の時、センター入試を控えた朝、先生と北野天満宮に受験生の合格祈願にお参りしました。先生は、男子生徒のネクタイを結び、女子生徒のボウを胸のポケットに、正門をくぐられました。この朝は特に寒く、先生の頭のニットの帽子には少し雪が積もっていました。この帽子は、最愛のお嬢さんのイタリア出張の土産だと後で知りました。とにかく、神主さんに雲雀丘学園の名前を1番に呼んでもらおうと社殿の前に並びました。 そして、神前の1番前に陣取り合格祈願の生徒の写真と名前を神様によく見えるように並べて祈願しました。
「できることは何でもする」が、このころの先生の口ぐせ。とにかく3年生にかける熱意には凄まじいものがありました。上述の登校も歩行スピードが増し、私はついて行くのに精一杯。まるで額から湯気が立っているように思いました。まさに鬼気迫る、です。
先生は、まさに雲雀のご意見番でした。単に不満を口にするのではなく、批判に終わるのではなく、常に建設的な意見をのべられたと思います。また、自分のことではなくほかの人の相談や学園の将来についての意見もよく述べられました。時には私と対立し声高になったこともありましたが、それも雲雀を愛するが故のこと、懐かしい思い出です。
「いつまでも教壇に立ってくださいね。落語家の本望は高座で死ぬことですよ」そんなことを申し上げたことがありました。「本当ですか」といって まんざらでもなさそうでした。私はもともと定年反対論者で、これはサントリーにいたときからの持論です。定年なんてクソくらえ、やる気があって 求められるのであれば、世のため人のため、そして雲雀のため働く方が良いのです。
先月8月25日、葬儀に参列させていただきました。先生には3人のお子様がおられ立派な社会人となっておられました。残されたご家族は、終始涙をこらえておられましたが、お互いに気遣いかばい合われ仲のいいご家族とお見受けしました。棺の内側にはたくさんの雲雀丘学園の教室や風景の写真が貼られていました。雲雀が好きで好きでたまらなかったようです。最後に喪主のご長男と奥様が赤ワインをそっと先生の口に木の葉でふくませてあげられました。そういえばお酒も楽しく飲まれる先生でした。 合掌
(2021.9.9)