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親孝行・やってみなはれ

2022年01月28日

痛い新婚1年目

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 本学園の冬の賞与は12月10日が支給日です。学期末の成績処理と懇談で文字通り『師走』の多忙を極めていたときの嬉しい日でもあります。しかし,1991年12月10日(火)5時間目の体育の授業で体育館でバスケットボールを教えていた私は,見学の子どもの代わりに,ゲームに参加し,ドリブルインでシュートを打ち終わった後,体勢を崩し,着地に失敗して右足を脱臼骨折しました。協立病院に運ばれレントゲンの結果,踵と足首をつなぐ距骨が真っ二つに割れていたのです。即入院を勧められましたが,自宅近くの済生会吹田病院に行くことを決めて,一晩,痛みに耐えて,翌日入院しました。

 何と,その日からは,個人懇談が始まるというタイミングで,学校に大変迷惑をかけてしまいました。学級担任の代行を瀬川昭夫先生にして頂きました。学年主任の町田秀夫先生にご自身のクラスと私のクラスで倍の人数の懇談をして頂きました。通知表は,岩﨑優先生が代わりに作って下さいました。今から思うと,歴代の校長先生に全てお世話になったことになります。他にも,たくさんの先生方に助けて頂きました。

 入院即日に脱臼を治す手術を受け,踵の牽引で2週間。腫れが引いた12月25日に距骨にボルトを入れて骨をつなぐ約2時間の手術を受けました。当然,クリスマスもお正月も病院で過ごすことになり,その年の春に結婚した妻にも大変な心配と苦労をかけました。

 それまでの私は,入院手術はもちろん,傷を縫ったり骨折したりするけがもなく,熱もめったに出ない健康そのもので,丈夫な身体にさほど感謝もせず,思い上がった気持ちがあったかも知れません。しかし,50日間の病院生活で,医療現場で働く人の苦労や入院している患者のつらさとその家族の思いなど,それまで経験できなかった貴重なことを学びました。

 当時担任した42回生の雪組の子ども達は,ひときわ厳しかった担任の留守中も私が居る日々と同じように,復帰するまで粛々と学んでくれました。幸い,リハビリも順調に進み,6ヶ月後,骨折前と変わらない動きができるまでに回復しました。様々な人々に支えられた新婚1年目でした。

 この出来事以降の私の学級指導目標は,「担任が突然居なくなっても,普段通り学べる学級集団の育成」です。当時の小学校の先生方と子ども達に感謝の気持ちしかありませんでした。もちろん妻にも,とても感謝していることは,言うまでもありません。



(小学校校長 井口 光児)