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親孝行・やってみなはれ

2024年10月04日

もう一度会いたい

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 これまで親や祖父や子どものことを書いたら、人数は限られているからネタがなくなってきました。そこで家族ネタは勘弁していただき、大学での友人Bくんのことを書くことにします。美術専攻科の裸モデルのバイトをつとめたり、馬鹿話をして理屈をこね回したりと変わったやつでしたが、クラシック音楽を教えてくれました。喫茶店が日課で雀荘やカラオケスナックもあり、大学の教室以外に行くところがいっぱいあった良き時代でした。
 Bくんは合格者1名の高校教員採用試験に合格したのに、ゼミの先生の勧めで教科書会社に就職しました。学校教員相手の営業で酒を浴びせられるなど苦労をされ退職、翌年小学校教員試験に合格しました。(この時代の連続合格は奇跡に近いです)兵庫県小学校に異動、教育委員会や青少年センターを経験後、文部科学省道徳教科書調査官として東京に単身赴任しました。道徳教科化の頃には全国を飛び回り、本校のことでも相談にのってくれました。定年が近づき、いつ兵庫の現場に戻るのかと気にしていたら赴任から10年経った春に奥様から「友達の少ない彼と仲良くしていただきありがとうございました。お話しはよく聞いていました。」とご逝去のはがきをいただきました。
 急でした。4年前に東京出張の時に昼休みに丸の内に来てくれ、大学時代のようにお茶をしたのが最後です。雲雀丘のことを気にして応援してくれていました。「早くへき地で学校を作れ。一緒にやるから。」みたいなことを話していました。
 8月にBくん宅を弔問しました。10年も家族と離れ、多忙の中やりたかったこともいっぱいあっただろうにと駅からの道を踏みしめました。彼の写真と革ジャンをみると「もう一度」「もっと」が込み上げてきました。私は還暦を過ぎ、友人には無理をしてでも会おうと決めていますが、叶いませんでした。
 「人生は出逢いと別れのくり返し」という言葉があります。どちらに味わいがあるかと言えば、やはり別れのほうなのかも知れません。なぜならば、出逢った瞬間にはこの人が自分にとってどれだけ大切な人になるかは、まったく見当もつかないからです。共有した時間が培われ、醸成され、そうして訪れる別れの間際に、初めてこの人と出逢えたありがたさを知る気がします。太宰治の言葉に「私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではない」がありました。だから、あらゆる出逢いに感謝し、一つ一つの惜別の思いをしっかりとかみしめたいと思います。「あぁ、もう一度会いたい。」

(雲雀丘学園中学校・高等学校 校長 中井 啓之)