卒業生~母校は母港になる
No.30(8期)比較文化論の面白さ、大切さ
2022/04/26
私が雲雀丘学園高等学校を卒業して56年という年月が経ちました。
高校から入学した私は3年間の在学中に学園の温かい優れた校風に学び、今でも交流の続く良き学友に恵まれ、まさしく青春を謳歌して楽しく過ごしました。
そしてこの春、学園創立70周年の記念式典にお招きをいただき、式典の後には、中井校長様より学園内をくまなくご案内していただきました。
隔世の感を覚えるほどに、学園の施設やカリキュラムの内容が素晴らしく充実されていて、生徒のみなさんが生き生きと勉学に励んでおられる様子が目に浮かびました。
私は卒業後は早稲田大学に進学しましたが、勉強はほどほどにしながら、大自然と親しめる「探検部」に入部し、年に4ヶ月間ほどは、山と海とを相手に、文字通り探検(expedition)活動に没頭していました。
特に想い出深いのは、4回生の時に世界各地の人々をカメラで撮り廻り日本に紹介するという企画を立案し、それを某大手新聞社に持ち込み、提携してもらえ、温めてきた夢を実現することができたことです。
当時の日本はまだ外国の情報が少なかった時代ですから、それぞれの国の人々の表情を撮影して各国を紹介できないものかと、大いなる挑戦をしました。
昭和40年代ですから、当然フィルム式カメラであり、その重たいカメラ3台と提供された大量のフィルムを抱え、バックパックの3分の2はカメラ機器とフィルムで一杯でした。
単身で飛び廻った6ヶ月におよぶ旅での訪問国は24カ国を数え、いろいろな人々との出会い、たくさんの経験を通し、世界の広さを体で実感しました。
それぞれの国には、それぞれの人種や民族が暮らし、それぞれの異なる歴史を築いてきました。
言葉が違う、気候が違う、街や建物が違う、食事が違う、臭いが違う、さらには異なる宗教が存在する。一つひとつの国に、独自の文化が息づいています。
多くの国を訪れ、様々な人に接し、それぞれの独自なものを見る、こうした体験は私達に非日常の刺激を与えてくれます。同時にそれぞれの文化に触れることは、一方で自分たちの文化を知り、見つめ直すことにも繋がります。
これこそが「比較文化論」の原点だと思います。
大学卒業後は激戦のファッション・ビジネスの世界に身を置き、半世紀以上が経ちましたが、公私に亘り、比較文化論を実践し楽しんだ結果、訪れた国は今や75カ国200都市を超えました。延べで数えると、500都市、滞在日数は1600日を超えました。日頃のかなり多忙なスケジュールの間をぬってでも時間を確保し、興味津々に世界を飛び廻ってきました。
他国の文化や社会に接して体感することで、それぞれの多様性を理解する。自分のあり方、コアを持ち、そして他と比較し、その距離感で自らのアイデンティティを確立する。
こうした比較文化論の実践が私自身の人格形成や仕事への取り組み方へ、間違いなく大きな影響を与えてきたと感じています。
先ほども出てきました「興味津々」という言葉ですが、これは興味が尽きることなく次々と溢れてきて、疑問を持ったり、調べたり、考えたりする様子のことです。それは行動の出発点となり、それを意識すること、やってみることで成長につながると考えています。
人やものから何かを感じる、学ぶ、刺激を受けること、と同時に、それらを受け止める感性を磨くことも非常に大切と思います。
そのためには、レベルの高いこと・ものに接する、「一流に接する」ということも重要な要素です。
一流のものや人は必ず他人の感性を触発する何かを持っています。私達の素養や感性もまた、一流に接することで培われ、磨かれていくのではないでしょうか。
私は学生時代、とりわけ勉強熱心だったわけではありません。ただここで述べたようなこと、「比較文化論」「興味津々」「一流に接する」を意識、無意識を問わずやり続けてきて、今があるように思います。
世の中の価値観が、昔とは比較にならないほど激しく変化する時代にあっては、自らの明確なアイデンティティを確立することは非常に重要です。
世界の文化を比較してきたという私の経験談が、皆さまのこれからの何らかのお役に立つなら幸いです。
株式会社キング 代表取締役会長CEO 山 田 幸 雄(1966年卒・8期生)
1970年、スイス、モンブラン登頂 2013年、ミャンマー、バガン遺跡
1997年、パリ、カール・ラガーフェルド氏(シャネルのデザイナー)と対談
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