卒業生~母校は母港になる
No.37(57期)雲雀丘学園という宝物
2022/06/22
私は雲雀丘学園で幼稚園から高校まで 15 年間お世話になり、卒業後は関西学院大学で心理学を学びました。
大学では体育会合気道部へ入部しましたが、心理学は実験・レポートが多く、毎日練習のある合気道部との両立が大変な時期もありました。ですが、雲雀丘学園で定着していた勉強の習慣のおかげで単位を落とすことなく4年間楽しく過ごすことが出来ました。
授業の為練習へあまり参加できず、同期と実力が開くのを感じていたところ、先輩に宝塚市内の合気道場へ連れて行っていただき、通うようになりました。現在もその道場には通っており、他道場・他国との交流会にも参加し、ますます世界は広がりました。
大学生活の中で、ゼミ・部活でとても印象に残っている言葉があります。
ゼミの教授からは『知らないことを学んでいるのだから授業が難しいのは当たり前。分かりやすい授業というものは自分がすでに知っていることを聞いているだけなので学んでいることにはならない。本当に理解しようと思うと授業だけで知識の定着ははかれない。』
部活のコーチからは『仕事には雑用や雑務と呼ばれるものはない。自分の心が雑にしているだけ。大切なことは「一つの仕事に対して気持ちを投下する」こと。』
これらの言葉を聞いたとき、とても素直に受け入れられたことを覚えています。確かにその通りですが自分では気づくことが難しく、また、その時の心次第では受け入れることも難しい言葉と思いますが、そんな時こそ一呼吸置き、この言葉を思い出して行動するように心がけています。
充実した大学生活を送れたのは雲雀丘でのびのびと過ごせたおかげです。ですが、在学中の私は何かに秀でているわけでもなく、成績が良かったわけでもありませんでした。
「なぜこうなるのか」「なぜこの課題が出されるのか」等を考えることはなく、学校へ行き、授業を受け、出された宿題をこなす毎日でした。
勉強に対し、意識が変わったのは高校1年生でした。友達と勉強をしていて 2 人とも分からない問題があり、「先生に聞きに行こう」と誘ってくれました。先生方は何度同じような質問に行っても、的外れな質問をしても丁寧に教えてくださいました。中学生の頃は質問に行くのが何となく恥ずかしかったのですがそれ以降は質問に行けるようになり、自分が納得するまで問題と向き合うことが出来るようになりました。
入試対策では推薦文の添削や面接練習を何度も見て頂き、自分の想いが自分の言葉で形になっていくことに達成感を感じていました。当時入試対策を見てくださったのは担任団ではない先生でしたがお願いしたら快く引き受けてくださりました。大学・社会人生活で後輩指導に悩んだ時、私が思い出すのはその先生です。「先生ならどう言葉を掛けるだろうか」「先生ならどう伝えるだろうか」を考え、常に目標にしています。
雲雀丘学園で得たものはとても大きく、大切なものです。
卒業後もこのように寄稿の機会を頂き、また雲雀丘学園に関わることが出来、とても幸せです。
様々な場所で在校生、卒業生が交流し、雲雀丘学園の良さを語り合えたらと思っております。
長文となりましたがお読みいただきありがとうございました。
池川 真奈(2015年卒業・57期生)
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