卒業生~母校は母港になる
No.38(54期)のびのび育った15年
2022/07/13
幼稚園から高校まで実に15年もの間、雲雀丘学園にお世話になりました。30歳手前になった今ですら、まだ人生の半分は雲雀っ子。8つ上の姉も雲雀丘学園に長くお世話になっていたので、小学校入学当初から顔見知りの先生も多く、本当に家族ぐるみで良くしていただきました。
小学校の時は理科の授業が楽しみで仕方ない少年で、中学ではバスケ部、高校では水泳部と写真部と、色々なことを齧った学園生活でした。台風で1日に短縮になった文化祭、海パン姿で踊った体育大会、担任の先生の好きな曲で金賞を取った合唱コンクール…そんなイベントも懐かしい思い出です。
同志社大学法学部政治学科進学後は、バックパックを背負ってアジアやヨーロッパへ旅行したり、未経験から始めた空手で黒帯を取ったり、貴重な人生経験を積みました。(もちろん、勉学にも勤しみました…)
大学卒業後は東京のホテルに就職し、現在7年目となりますが、ここでも実に色々なことを経験させていただいています。最近では東京オリンピックで、テレビでみる華やかな世界が自分の仕事と密接にリンクし、国際イベントの一部に自分が関わったという体験は一生の思い出です。現在はマーケティング部門にて、ウエディングの販促に関わりつつ、ホテル内茶室のプロモーションを担当し、小さいころから夢だった日本文化の世界への発信!に日々精進しております。
こんな私の根っこに、雲雀丘学園でのびのび育てていただいた15年があったことは間違いありません。また、何のために学んでいるのだろうと思っていた授業の内容も(恩師の先生方、ごめんなさい…)、実は教養として身についており、現在の仕事で役立っていたりします。本当に、しっかりとご指導いただいた恩師の先生方あっての今の自分であり、母校へは感謝しかありません。
現役生のみなさまには、「今やったことが、後々の人生で必ず自分を助けてくれるので、勉強でもクラブでも、他のことでも何でもいいので、目の前のことに全力を尽くして!」とエールを送りたいです。そして何に全力で取り組んでいいか分からなければ、先生方に、先輩達に、よければ我々OB/OGに、気軽に相談して欲しいと思います。きっと力になってくれます。
最後になりますが、今回このような寄稿の機会をいただけたこと、改めて感謝いたします。
懐かしい思い出話や、現在のお仕事のお話、在校生へのエールなどなど、お話ししたいことは山ほどありますので、この寄稿を機に久しぶりに寄港させていただこうかと考えております。笑
またこれをきっかけに、母校でお世話になった皆さまと、また繋がりをもてれば幸いです。これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
太田大貴(2012年卒業/54期)
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