学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.69(51期)雲雀丘学園の思い出と現在の私

2023/05/28

初めまして、大西(旧姓:西村)季恵と申します。私は中高を雲雀丘学園で過ごし、関西大学社会学部に入学しました。

いざ入学した中学1年生の当初は本当に学校が面白くなく、毎日家に帰って泣いていました。「学校辞める」と何度親に懇願したか・・・。

今思うと、ただ新しい環境に慣れることに時間がかかっただけで、数ヶ月すると楽しく通っていました。中高を水泳部で過ごし、プール掃除がとても楽しかった記憶があります。

高校では定期考査「だけ」を頑張っていたので指定校推薦をいただけました。

指定校推薦は一般で受験するよりも結果が早く分かるので、一般受験する友人に向けて合格祈願の横断幕を作ったのがとても思い出に残っています。先生方1人1人に声を掛け横断幕にコメントを書いていただきました。それを廊下に掲げるとみんなが喜んでくれて本当に嬉しかったです。私は自分のためより人の為に動く方がモチベーションが上がるのですが、それはこういう経験から来ているのではないかと思います。自分の行いで、自分の大切な友人が笑顔になってくれる、それが私も嬉しいのです。

在学中の私は真面目に学生生活を送っていたと思います。叱られることをしないようにと学生生活を過ごしていたので、接客業で初めて社会に出たとき、理不尽なクレームにかなり苦労しました。他人から怒られるという事に慣れておらず、クレームを受けたときに気持ちが沈んでしまい何度も心が折れました。

「叱られないように生きる」というより「自分の意思で行動し、その結果叱られて学ぶ」という学生生活を送れば良かったと少し後悔すると共に、学生時代に叱られることがどれだけ大切かをこのとき学びました。

現在の私は、二児の母になりました。ポケモンにハマりだした長男に毎日ポケモン図鑑を読まされ、イヤッ!しか言わない次男に毎日振り回されながら楽しく過ごしています。

長男を産んですぐ、家庭科の「命の授業」に呼んでいただきました。実際在校生の方にお話するとなると改めて命が誕生する奇跡を考えさせられました。卒業しても授業に呼んでいただいたり、このような寄稿の機会をいただいたり、ありがたい限りです。

仕事は実家の質屋で販売の仕事と、ピラティスのインストラクターをしています。質屋は祖父の代から始まり、父が継ぎ、現在は弟が頑張っています。私は鑑定などできないので、弟が査定し買い取ったものを、質の隣の販売店で販売する仕事をしております。

また、今年の1月にピラティスのインストラクターの資格をとりました。趣味で通っていたピラティスの先生からの「資格取ったらいいやん!」という一言で、取ろう!と決意し即資格コースに申し込みました。思い立ったら後先考えず即行動に移すのでどうなることかと自分でも心配しましたが、無事インストラクターの資格を取得。実家の仕事が休みの日に自宅でレッスンをし、「子連れママが来やすいピラティス」を目指しています。

私の経験上、子どもが小さいうちは自分の用事に行くにはまず子どもを夫や親に預ける、といったところから計画しなければならず、それがとても煩わしく感じていました。レッスンを受ける人が1人で来るのが通常ですが、それだと今までの私が感じてきたことと変わりないので、「子連れで来てもらったらええやん!うちにはおもちゃはあるし、子ども用品も揃ってる!よし、自宅でしよう」という流れです。

資格を取ったものの、いざレッスンを始めるとなるととても不安でいっぱいでしたが、SNSなどで発信すると雲雀の友人もたくさん来てくれて、本当にありがたい限りです。ピラティスを通じて私の地元の友人と雲雀の友人が仲良くなってくれるのがとても嬉しく感じています。友人だけでなく、旦那さんも一緒に来てくれたり、友人の赤ちゃんに会えたりして苦楽を共に過ごした友人と今もかなりの頻度で会い、たわいも無いことで笑いあっています。レッスンを始めてまだ本当に間もないのでこれからも頑張っていこうと思っています!

友人、家族、先生方がいたからこそ今の私があります。その中でも雲雀丘学園で出会った友人との絆は特に深く、これからもずっと続くと思っています。

中高6年間でたくさんの良い友人、先生方に恵まれました!雲雀丘学園に通わせてくれた両親にも心からありがとう、を言いたいです。

また先生方に会いに雲雀に遊びに行かせていただきます!

大西(旧姓西村)季恵 (2009年卒業/51)

(管理人 注)本人は謙虚な性格なので控えめに記述していますが、中高の6年間、大変熱心に活躍していました。環境問題のサミットに参加したり、勉強・行事で活躍したり、学年をリードする存在でした。

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