学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.109(51期)人生のレールをひいてくれた部活動

2025/04/06

 はじめまして。私は中・高を雲雀丘学園で過ごした細川裕介と申します。私は高校卒業後、日本最北端の国立大学である北見工業大学に進学しました。何故わざわざ、北の果てまで行ったのかというと、理系の国公立大は私立大と比べると学生数が少なく、研究に没頭しやすい環境が作りやすいと高3の担任の先生からアドバイスをいただいたからです。当時、センター試験が思うような結果でなかった私は、何とか受験可能な国公立大学がないかと、担任の先生に相談しました。今思うとずいぶん無茶なお願いをしてしまったなと思っているのですが、先生は私の相談に真剣に考えてくださり、何とか二次試験で挽回出来る可能性のある大学が見つかりました。その一つが北見工業大学でした。北見工業大がある北海道北見市へは国内移動にもかかわらず関西からは飛行機を乗り継がなければならないほど遠い場所であったため、無事試験に合格した後でも最初はかなり不安でした。しかし、自分の将来勉強したいことを最優先に考え、北見工業大への進学を決めました。大学4年間は広大な北の大地でのびのび過ごし、研究にも没頭できました。その後、もっと研究がしたいという思いから、大阪市立大学大学院(現大阪公立大学大学院)に進学し、現在は技術系の公務員として働いております。

 私の雲雀丘学園での思い出は、なんと言っても鉄道研究部に6年間所属し続けたことです。この6年間の部活動で得た経験は、私の人生を支えるきっかけの1つとなりました。中学入学当初は、鉄道研究部の存在すら知らず、正直何を行っている部活動なのか分かりませんでした。しかし、私の雲雀丘学園での初めての担任の先生が顧問であったことと、中学入学後に出来た友達4人が鉄道研究部に入部するというので、何となく鉄道研究部に入部しました。この何となく入部した部活動での経験が、その後の私の人生を支えるきっかけになるとは当時、全く想像もしていませんでした。一般の方は、鉄道研究部の活動というと、鉄道模型をジオラマでひたすら走らせたり、駅のホームでひたすら電車の写真を撮ったりがすることが主な活動内容と思われるのではないでしょうか。確かに、これらも部活動の一部ではあるのですが、当時はこれらの他に、阪急の駅のホームや百貨店の一部を借りてジオラマをセットし、主に小学生以下の子どもたちと鉄道研究部員とが一緒に模型の運転や、組み立てるとプラレールに被せて走らせることができる阪急電車が印刷されたペーパークラフトを一緒に作ったりして、電車に興味がない子どもでも楽しめるイベント活動を行っていました。このイベント活動は当時、年に2〜3回あり、学校の授業では経験することが出来ない社会活動を経験する貴重な場でした。この他、春と夏の年2回、青春18きっぷを用いて3〜4泊程度、鈍行電車を乗り継いで目的地まで行く合宿も行っていました。この合宿は、鉄道の写真を撮るのはもちろんですが、鉄道各社の車庫見学をさせてもらい、車両のメンテナンスや、鉄道の利用者数を増やす工夫、お客様の安全を守るために普段取り組んでいる話等、鉄道各社の事業活動について聞くことができる貴重な機会もありました。実際働いている方に学生のうちから意見交換や質問ができることは、今思えば贅沢な機会でした。この他、社会科の授業で聞いた各地の名産物やお祭り、歴史的建造物の見学等についても、合宿中に現地で実物を見ることできました。これは普段教科書で見る内容を、五感を使って覚えることが出来るため、大変勉強になりました。ちなみに当時は中高6年間、鉄道研究部に所属していれば、中高の修学旅行を含め、日本全国47都道府県を回ることができるというのが鉄道研究部の部活紹介時の鉄板ネタでした。私も6年間所属し続けたので、ほぼ日本全国への旅行は制覇しました。私はこの合宿やイベント活動での経験を就職活動時のアピールポイントとして使用しました。これらの内容は面接でもウケがよく、この話題のおかげで面接での緊張を軽減できたと私は思っています。また、社会人になった今でも、会議などで出張を命じられた際、行き先が都心であっても地方でもあっても学生時代の合宿で全国をうろつき回ったせいか、迷子になることはありません。他にも鉄道研究部に所属していたおかげで、自身の人生の役に立った経験はここに紹介しきれないほどたくさんあります。それくらい、私の人生において鉄道研究部での経験が大いに役に立ちました。

 私は雲雀丘学園に6年間通い続けたことで、授業と同じくらい部活動でも様々なことを学ばせていただきました。私は在学中、お世辞にもそんなに勉強はできる方ではなかったので、部活動だけでも一生懸命取り組んでいてよかったと思っています。どんなことでも何か一つを最後までやり続けることは大切であると学生生活を通じて学ばせていただきました。

 最後になりましたが、中学から6年間、学力も部活動もあまり目立つような生徒でなかった私をそっと陰で支えてくださった顧問の先生や進路を探してくださった担任の先生、その他お世話になった雲雀丘学園の先生方には感謝しております。

 雲雀丘学園卒業から約16年が経ち、現在の私は子どもを育てる親となりました。仕事に家庭にと毎日忙しい日々を送っていますが、いつかまた鉄道研究部の後輩たちの活躍や、自身の学生時代を思い出すためにもこっそりとイベント活動をのぞいてみたいと思います。

細川裕介(2009年卒、51期生)

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