
卒業生~母校は母港になる
No.108(35期)居場所
2025/03/03
人は命が尽きるまで成長するもの。
学生時代に享受したあらゆるものが肥やしとなり、若い木が大樹へと成長する、そんな大切な時期を雲雀丘学園で過ごしました。
大それたことを書きましたが、振り返って思い出すのは、校則をすり抜けて少しでも自由を得ようとしたあれこれ。スカートの丈も、リボンの長さも、正カバンの形も、気に入らない。サブバッグを持つことはおろか、カバンに一つのキーホルダーも許されない。あり得ないような規則だらけの学生生活。
それでも、毎日同じ時刻の電車に揺られ、通い続けました。目を瞑っていても、車窓からの風景は細部まで浮かびます。7分間、丸覚えです。ところが、高校を卒業と同時に、それまでとは全然違う毎日が訪れます。もの心ついた時にはすでにひばりっこだったので、「はい、明日からは来ないでね」と言われても、進学先の大学では、「ここは私の居場所じゃない」と思ってしまうのです。自分の居場所を求めて、また別の大学へ行き、友達もたくさん作りましたが、やっぱりひばりの居心地には勝てません。
そうか、私の居場所はひばりだったんだ、と、あとから気づくのです。
今、私は塾を開いて地域の子ども達に学習指導をしています。「居場所」の存在。これがパワーの源になるのだと感じています。幼い頃は自分が安心できる人のそばから離れません。見失うと泣き出してしまうほど、べったりくっついています。その時にたくさんの愛情を受けて育つと、「失敗したらここに帰ればいいから、ちょっと冒険してみよう」と、「居場所」から少し離れてみることができます。それを繰り返して、やがては人生の大海原へと旅立つのですが、やっぱり心の中には「居場所」がずっとあります。
「居場所」があるからこそ、いろんなことにチャレンジでき、失敗を恐れないし、失敗しても立ち直れるんだと思うのです。学習指導をしながら、子ども達が安心できる「居場所」を提供することで、我々よりずっと未来を生きていく子ども達が、立派に、自分の思い通りに、生き生きとした人生を歩んでいってほしいと願っています。
五十にして天命を知ると言いますが、果たして私は天命を知れたのでしょうか。これが天命なんだろうかと自問しているところです。そんな50歳の節目に、告天舎にて同窓会が開かれました。みんなそれぞれ、大きな樹になっていて、逞しく、誇らしく、新鮮で、懐かしくて…いろんな感情が交錯する中で、「あーやっぱりここが私の居場所かも」と心が温かくなりました。数ヶ月経った今もまだその余韻に浸っています。
齢50歳、人生100年時代の折り返し、当分はこの余韻で頑張れそうです(笑)
野上(笹田)塁(1994年卒・35期生)(写真は、昨年開催された35期同窓会の様子です)

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