校長通信
実りの秋、文化の秋 第61号
2024/10/28
科学部のみなさんが稲作の報告に来てくれました。紆余曲折、大変の苦労の上に収穫までたどり着きました。コメントをノートに書いてくれましたが、その間も楽しそうに雑談が続きました。
1学期の始めに田植えをし、自分たちで作った農薬を散布しました。事の発端はカメムシの大量発生でした。カメムシはイネの害虫で実を食べてしまうので困っていました。そこでとある番組で紹介されていた「無農薬農薬」を作りました。原料はトウガラシ、ワサビ、酒、ニンニクなどで1学期の終わりに霧吹きで田んぼにまきました。部員の半分ほどが食べたらしく、おいしくなかったそうです。効果はあったようで例年よりもたくさん収穫できました。
和歌山県田辺市には南方熊楠顕彰館があり、白浜町には南方熊楠記念館があるようです。今回は田辺市に行き、勉強してきました。
南方熊楠(1867.5.18~1941.12.29)は、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、同時に植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類・地衣類・蘚苔類・藻類の日本における初期の代表的な研究者です。熊楠は和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後、1887年から1900年にかけて14年間米英に遊学しました。10数ヶ国語を自由に使いこなし、国内外に多くの論文を発表し、日本に「ミナカタ」ありと世界の学者を振り向かせました。帰国後の1904年から田辺に定住し、37年間を田辺で過ごしています。
明治の時代にアメリカ、イギリスで最先端の学問を学び、生涯、在野の学者に徹し、地域の自然保護にも力を注いだエコロジストの先駆けとしても注目されています。
東大阪市にある司馬遼太郎記念館も訪れました。「坂の上の雲」の再放送をやっているせいもあり、外国人の方や年齢、男女問わず沢山の人が来館されていました。多くの言語に翻訳され、ドラマ作品になっているからだと思います。私自身は長い期間にわたって一番手にした作家かも知れません。いろいろな作品がありますが、なぜか学生時代は戦国時代の作品を、社会人になってからは明治期の作品を手に取るようになりました。
記念館限定の『二十一世紀に生きる君たちへ』を購入し、改めて読み直すことにしました。
・・・さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。・・・
兵庫県立美術館からも企画展の案内を受けており、高校生以下は無料だそうです。現在は『石岡瑛子デザイン』、12月21日からは、阪神淡路大震災30年企画展『30年目のわたしたち』が行われます。