高3学年通信(66期生)
一は全、全は一
2020/06/25
今日はお昼頃にざっと一降りしましたね。今週はこの後すっきりしない天気のようです。次の晴れ間が待ち遠しいですね。
雨が降って外に出られなくなってしまいましたが、授業はどうだったのでしょうか。体育の授業を覗いてみました。
男子は予定通りハンドボールの授業でした。今日はシュートの練習だったようです。走りこんで飛び上がってボールを投げていました。不慣れながら、ジャンプシュートをしている姿はかっこよかったです。
こちらは女子です。外でサッカーの予定でしたが、今日はトレーニングになりました。なかなかハードなメニューをこなしていました。筋肉痛に注意ですね。どちらもお疲れ様でした。
さて、今週も残り2日です。この2日が終われば、来週から通常の時程に戻ります。朝は8:20には登校して朝学に取り組んでもらうことになります。授業も50分になります。しばらくはまた大変に感じるかと思いますが、元々はこのリズムで過ごしていましたからね。頑張りましょう。
では、本日の日めくりカレンダーです。
集団に属していると、何か成果があっても、それは集団の成果だと捉えられることが多いですね。今どきは、それを良しと思わない人もいるのかもしれません。個人が努力した分は個人に評価が還元されるべきだ、という意見を聞くこともあります。
考え方はそれぞれで、何が正しいということはないのでしょうが、個人の努力の中にも、集団の力や他人の力が加わっていることは間違いないと思います。そして逆に、個人の力が無ければ集団の力は存在しません。一人の力が全体の力となり、全体の力が個人の力を引き出します。ならば、一人の努力が全体の恩恵となるなら、全体の恩恵は一人の努力に感謝すべき、という言い方も成り立つかもしれません。大切なのは、一と全は互いにもたれかかって存在しているということです。
どんな生き物も、それ一つだけでは存在しえないし、社会や世界というものは、一つ一つの個無くしてはあり得ません。「一」という存在は、その存在が確立されている時点で「全」の中にあるものであるし、「全」が存在しているということは、それを構成している「一」があるということです。そんな中で、「一」のした努力が「全」の成果とされたとしても、「一」の努力そのものはその「一」のものです。その努力がその「一」にとって価値あるものであることに変わりはありません。他人からの評価以上に、輝かしい勲章がすでにそこにはあるのです。
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