学園ブログ

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常務理事便り

2019年09月13日

往復書簡⑬「皆の協力で勝ち得た改革」大森先生から

~雲雀丘学園常務理事・学園長 岡村美孝~

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常務理事、お手紙ありがとうございました。物事を変えていくこと、つまり改革は大変な作業なんですね。確かに過去の延長線上で考えてもそれは改革にはならない。ブレイクスルーしないと変わらない。それには変わるまであきらめない、言い続けるというしつこさが不可欠だということを佐治会長は態度で示されたのだと理解します。

それでは私が学園に来た頃の様子、どのようにして改革が進んでいったのかを書いてみたいと思います。少し長くなりますがお許しください。



<難関大を目指す選抜特進コースの設置と意識改革>

私が雲雀丘学園中学・高等学校に赴任した時は、中尾校長先生が学校を大きく変革してこられた第一段階の最終コーナーに入ったときではないかと思います。国際科をなくして、代わりに難関大学を目指す選抜特進コースを設け、その高校入学生が高校3年生になった年に着任しました。私が授業を担当したのは、選抜特進ではなく、特進コースの生徒達で、国公立を目指す生徒はほんのわずかで、ほとんどが私立大学を目指し、生物の試験は覚えれば済むものと思っていたようです。指定校推薦を得るには定期考査で高得点を取り評定を高くすればよいとの考えで、生徒の質問は授業内容ではなく、「試験はどの問題集のどこから出しますか?」というものでした。高校3年ですから基礎を使っての応用問題を50点分出題すると、「今までなら1日前に勉強したら十分8割は取れたのに、このような試験だと問題集を勉強する意味がない」と、生徒が怒ってくるような状況でした。選抜特進コースの生徒の模試の成績も厳しいものでした。しかし、塾をはじめ、周囲の学校も選抜特進コースの生徒が初めて卒業するので、大学受験成績がどうなるか興味津々で見ています。うまくいけば好循環のスパイラルに入りますが、悪いと期待感で受験してもらっていた状況が一変し、雲雀丘学園は低迷してしまう大変な時期でした。模試の結果を整理するのですが、多くの生徒が偏差値50を割り、さらに志望校の判定はEのオンパレードで、気が滅入りそうだった記憶があります。

 一方、教員の意識も「難関大学の受験指導はできない」、「学校行事よりも勉強を重視する自己中な生徒しか超難関大学に合格しない」、「幼稚園、小学校を併設している中学・高等学校は難関大学を多数合格するような学校にはなれないのが常識だ」などの考えもありました。一部の生徒や先生だったかもわかりませんが、意識改革も必要でした。生徒たちの性格は非常に良く、先生方もまじめな方ばかりだったので、教師は授業内容の改善を生徒は真摯に日々の授業を大切にしていけば必ず成績が上がる。本校が選抜特進コースをつくって成功し始めたと認めてもらうためには、国公立大学の合格者数を増やすこと、そして、国公立大医学科や東京大学の合格者が出れば、自ずと学内の意識改革もできるので、

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まずは自分の授業で生徒に真剣に学ぶ姿勢を教えていくことから始めようと考えました。そして、模試のデータをもとにまずは、今後5年間の国公立大学合格者数の目標を設定し、学校長に提出しました。右図がそのときに作成した目論見表です。



<カリキュラムの改革>

 着任して2か月がたったある日、中尾校長先生から、学校の中心となる先生方の集まる会議で、この学校に来て気になることを正直に話すように言われました。そこで、「進学成績を上げたいといわれているが、何を目指しておられますか?と先生方に伺うと『東大や京大、医学科を出す』と言われる方や、『関関同立100以上』とか、『すべての生徒を指定校も使ってどこかの大学に入れる』など、皆さん目指しているところが違うが、本当はどれなのですか」と尋ねました。帰ってきた答えは、東大、京大、阪大、神大や難関私立大を目指すだったのですが、“関関同立”はすべて付属中学や高校を設置したので、雲雀丘で学んで、成績上位の生徒しか“関関同立”に合格しないのならば、将来雲雀丘学園は危うくなるのは、火を見るよりも明らかでした。

また、学校案内には『難関大学合格を目指す効果的なカリキュラム』と書かれていましたが、文系の生徒のカリキュラムでは東京大学の二次試験の地歴で2科目に対応できておらず、理系の生徒では京都大学の工学部のセンター試験の社会科の科目に対応していなかったのです。塾に行かなくても東大、京大に対応できるカリキュラムに変える必要がありました。

 そして、国公立大学の合格者数を増やすことが学校の指導力向上のバロメーターでもあるので、センター試験で5教科7科目を受験する生徒をふやすこと、しっかりしたセンター試験対策とその後の後期試験直前まで二次対策講義を行うことが重要でしたので、その時間割を学年の先生と一緒に作りました。学年主任を筆頭に、学年の先生方が骨身を惜しまずに講習や丁寧な進路指導をしていただいた結果、従来の国公立の合格者数を倍増させることができました。これが、大きな転機となり、各学年が前年を超えようと生徒も先生も努力されたのです。でも、宿題を一杯出して、勉強で追い立てるようなことをしたかというと、そうではありません。各授業の内容を吟味し、教員自身がセンター試験を良く分析し、生徒の興味関心を引き出しながら、互いに学びに真摯に向き合う雰囲気ができたこと、学ぶ教科・科目を減らすのではなく、5教科7科目すべてを投げ出さないで学ぶように先生方が生徒を励まし、生徒も先生の熱意にこたえようとした相乗効果で伸びたのです。

 改革は、まず、難関国公立大学を目指す選抜特進コースを作ったこと。そして、次に東京大学や京都大学に学校の授業を受けるだけで対応できるカリキュラムに変えたことが挙げられます。



<全員センター試験受験>

 次に行ったのは、私立大学を受験する生徒も、私立大学の指定校推薦で12月には合格した生徒も、全員センター試験を受験するようにしたことです。これには、生徒や保護者、そして教員の中でも反対という方がいて、「すでに指定校推薦や公募制推薦で合格している生徒に、受けさせるのは意味がない」とか「財産権の侵害だ」などと言われました。しかし、大学は学びに行くところであり、高等学校の基礎学力の上に大学の学びが加わるのであり、また、推薦で入学する大学では、同級生の多くがセンター試験や二次試験を受験し、合格レベルに達した生徒であり、彼らと肩を並べて学んでいくわけです。したがって、当然、推薦で合格した生徒であっても、センター試験でそのレベルぐらいには達しないと、大学で留年し、ドロップアウトしかねないので、無意味なことはないはずです。無意味という人たちは、センター試験を大学に合格するだけの手段と考えているからです。大学という最高学府に学びに行こうとする生徒に当然身につけさせておきたい学力をみる試験であり、推薦で合格したらそれで基礎的な学びを終えるのではなく、少なくとも1月中旬までは大学で学ぶに足る学力を身に着けるべく勉強しておいてほしい、学びからの逃避をさせないでおきたいと考えました。さらに、推薦で合格した生徒も全員センター試験を受験させると私立大学の入試担当者に伝えると、大変喜ばれ、指定校推薦枠も増えたのです。

 そこで、指定校推薦した生徒には、合格してもセンター試験を必ず受験するようにと念を押し、万一体調不良になっても追試受験手続をとるようにと伝えたのですが、一部のクラスでは、数名ずつが受験していませんでした。翌日、自己採点の時に受験の有無を調べ、後日、指定校推薦をした生徒でセンター試験未受験の生徒を、保護者、担任同伴で呼び、学校長のおられる前で厳しく注意し、約束を守れないのだから辞退届を出すとまで言いました。生徒 と保護者だけでなく担任も驚いたと思います。「もうそのような勉強はしていない。一般入試受験など全く無理です」との返事からもわかりました。指定校推薦のための定期考査の勉強が終わった後は、ほとんど勉強していないのです。結果的には、学校長から今後4年間大学でしっかり学ぶようにと注意を受けて、辞退届は出さないことにしましたが、翌年からは全員センター試験受験が定着しました。今思い出しても、もっとも大変だったのは

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、全員センター試験を受験させると決め、それを実施したことでした。これも、中尾校長先生の後押しがあればこそ実現できたことで、こうして国公立大学の合格者数が増加し、三桁を狙えるようになっていったのです。それと並行して、“関関同立”など難関私立大学の現役合格者数も増加していきました。

 指定校推薦の生徒で、センター試験受験を大反対しながらも受験した生徒のうちの一人が4年後学校に来て、「先生、あの時は大反対したが、センター試験を受けていてよかったと思います。公務員試験はセンター試験レベルなので役立ちました。ぜひ後輩たちに、そのことを伝えてください」と言ってくれたのです。大学に合格さえすればよいというのではなく、大学で学び続け、社会に出てもしっかりした社会人になるべくその土台となる心構えや脳力をつけてあげるのが、真の進学校の教員の仕事だとの信念は間違っていなかったと思えた瞬間でした。



(2019.9.13)