学園ブログ
- ホーム
- 常務理事便り
常務理事便り
2020年02月20日
「墓前にお誓い」
今日、2月20日は雲雀丘学園の創立者で初代理事長、鳥井信治郎先生の命日でした。学園ではお墓のある中山寺に学園長、事務局長、中高校長、小学校長、小学校教頭、中山台幼稚園長、GKS塾長がお参りをしました。
鳥井信治郎先生は昭和37年(1962年)2月20日早朝、雲雀丘の自宅で83年の生涯を閉じられました。同月25日には社葬が執り行われ、当時首相であった池田勇人氏が友人代表として出席、心のこもった弔辞を読まれています。弔辞の冒頭の部分を紹介し先生をしのびたいと思います(「美酒一代」杉森久英著より引用)
「鳥井さん――私はあなたに、長い長い交際を願いました。今も思い出多い数々が私の脳裏を去来します。あなたは、長い間の私の先輩として、はたまた先生として、ご指導役、酒造界の先駆者としての王者の貫禄を身につけられて、私の未熟な大蔵省役員時代のご意見番として、おりにふれ、ときに適切なる助言とご意見をいただきました。
あなたのご人格よりにじみ出る一言一句は、尊い金言として、必ず固く胸に刻んでまいりました。そして、私もあなたとともに及ばずながら、大蔵省のその道に担当者として微力を尽くし、酒造業、とくにウィスキーについての勉強に力を入れてまいった関係上、ときには私もあなたのご意見役にならせていただいたこともありました。教えられて受けて立ち、長い間、あなたとの友情はひしひしと胸にせまり、限りないなつかしい思い出がよみがえって、温容なあなたのご人格がしのばれてなりません。
あなたは、奇しくも私が生まれた明治32年、20歳の若さを以って寿屋を創立し、果実酒の製造に着手せられ、赤玉ポートワインを手はじめに、あくなき研究心に燃えて、遠く英国に求めてスコットランド式醸造法を考究して、大阪府山崎の地を選んで本格的ウィスキーの製造に乗りだし、爾来サントリーの愛称をもって、国内はもちろん広く世界に向かって誇りうる銘酒の出現を見るに至った、その先見の明に対しては、世人ひとしく尊敬の念にうたれるのであります…(後略)…」
私たちは墓前に鳥井信治郎先生のご遺志を受け継ぎ、「やってみなはれ精神」に満ち、親孝行のできる子供たちを育てるとともに、70周年記念事業を立派に仕上げることをお誓いいたしました。
(2020.2.20)