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ことばの扉
2018年09月10日
「ことばの扉」その6
いつも「ことばの扉」を開いてくださり、ありがとうございます。開始当初から仏教経典のことばが続きましたので、今回から少しおもむきを変えて、『論語』のことばを取り上げることにします。『論語』は、古代中国の古典であり、「四書」(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)のひとつです。孔子とその弟子たちの言行が集録されています。この書をまとめたのは、孔子の弟子である有若(ゆうじゃく)や曾参(そうしん)という人たちの弟子だとされています。つまり孔子から見れば孫弟子ですね。少なくとも孔子が亡くなってから30~50年後の編纂です。ただこの書の原形がどのようなものであったのかは、よくわかっていません。漢王朝が儒教を国教にするのは、孔子の時代から400年も後となります。
『論語』の大半は、断片的な短い言葉で綴られています。ですから拾い読み的に親しむことも可能です。
ではまず今月は次のことばを取り上げましょう。
[その6]
「子曰(い)わく、君子(くんし)は貞(てい)にして諒(りょう)ならず。」
(衛霊公第十五)
「先生がおっしゃった。立派な人は、道理を守り正しいことを実践するが、偏狭ではない」といったところでしょうか。この場合の「諒」とは、自分の見方・考え方を押し通すことです。どんなに立派な意見や行動でも、かたよったりこだわってりしてしまうと、本来の徳が失われてしまうわけです。
(相愛大学教授)
(如来寺住職)
(NPO法人リライフ代表)
(雲雀丘学園評議員 釈 徹宗さん)