「颯」の特集2-「東京の大学に行ってきました」。
多くの高3諸君は,夏休み中,ただただ,ひたすら勉強に明け暮れていたと思います。私も,勉強・・・ではありませんが,夏休み中,東京の大学を訪ねて回りました。ちょうどお盆前(土・日)でしたので,オープンキャンパスもなく,学生の姿もほとんど見かけず,普段のキャンパスの様子をうかがい知ることはできませんでしたが,それでもそれぞれの大学がもつ空気の違いは感じ取ることができました。誌面上ですが,さぁ,憧れのあの大学へ行ってみましょう。
8月13日(日) 朝9時,南青山の宿を出て東京メトロ「表参道」から半蔵門線で「永田町」→南北線「東大前」下車。運賃190円。そうそう,これからすべて電車で移動しますから,切符より「メトロカード(大阪地下鉄のレインボーカード,スルッと関西みたいなもの)」を買っておいたほうがいいですよ。
駅名の通り,降りればすぐ本郷のキャンパスです。塀伝いに歩いていくと(これが結構長い),農学部正門が左手に見えますが,ここから入らずに,交差点をすぎ,さらに塀伝いに歩いて正門に着きます。門の左手に恰幅(かっぷく)のいい守衛さんが立っていますので,用件を伝えて中に入りましょう。さすがに日曜日,学生の姿はなく,朝の散歩なんでしょうか,犬を連れたおじさんが歩いているだけでした。
大きく真っ直ぐ伸びたいちょう並木に隠れるように法文館の建物が建っています。1935年に建てられた古い建物ですが,威厳が感じられます。さすが東大,ですよね。
正面に安田講堂が見えてきました。1969年(昭和44年)1月18日、19日に、全学共闘会議(全共闘)と機動隊の攻防があった場所です。生徒諸君が生まれる前の話。この年,東大入試はなくなり,京大に行った人,浪人した人,様々でした。私はそのとき高校1年。授業中に先生がその話をされたのを憶えています。そして,2年になった途端,それまで丸刈りだった校則が,自由になり,自由化の風を感じ取ったものでした。あれから37年,経ったんですね。
さて,キャンパスはなかなか広いので,次に行きましょう。右に曲がって坂を登っていくと,ひときわ大きな銅像が見えます。「濱尾新(はまおあらた)像」。東大創生記に活躍した,総長を2回も務めたことのある大人物です。 それを過ぎると,樹木がうっそうと生い茂った,有名な三四郎池(夏目漱石『三四郎』は、ここを舞台としたため、こう呼ばれるようになった)が見えます。小道がありますので,少し降りてみましょう。あらら,池は意外に汚れていて,大きな泥亀が泳いでいます。ベンチもありますが,蚊が多くて,じっと座って・・・と言うわけにはいきません。
次へ行きましょう。池の反対側に出ると,真っ白なタイル壁の体育館が見えます。
正式には「御殿下記念館」といい,「御殿(本部のこと)」のふもとににあったためこの名がついたとか。皇室とはまったく関係がない。半地下になっていて,外から除くと,中で練習しているのがみえました
さらに真っ直ぐ行くと,医学部本館前に出ます。そうか,ここが紛争の震源地か。講堂まで意外に近い。
左に折れると,経済学部の棟があり,ぐるっと回って,赤門に出ます。東大キャンパスは元は加賀藩屋敷跡。将軍家から妻を迎えるために建てたのがこの赤門でした。ここで記念写真を撮る人が多いですね。
実は20年前にもここにきたことがありましてね,そのときは,この赤門の右手に,キャンパスグッズを集めたショップがありました。今はもうありません。
どうでした?思った以上に広いですよね。調べてみると,40万㎡ もあるんだそうですよ。都心なのにこんな広い場所があるんですね。それから,建物は古いのですが,やはり中の学生に合わせて変わっていってます。そう言う意味で,東大も特別な大学ではなく,「東京にある国立大学」の一つなのです。だから,あまり特別視する必要もないと思います。
暑い中,結構長く歩きましたから疲れましたね。それじゃぁ・・・・駒場の方に行きましょう(おい,休まないのかよぉ)。
そうしたら,もう一度地下鉄に乗って,南北線「東大前」→「永田町」半蔵門線に乗り換えて→「渋谷」,京王井の頭線→「駒場東大前」下車。ホント,改札でて階段降りたら,目の前に正門がありました(もう気がつきましたか?ホームページ「進路のへや」の写真は東大だったんです)。
見学にきたことを伝えて中に入ると,中は本郷とは全く趣が違い,いたって平凡。国立大学ならだいたい似たり寄ったりの,あの雰囲気そのものでした。やはり,学生の姿はなく,時折,見学にきている高校生らしき女の子2人組に会っただけでした。