2018年08月20日

「お墓参り」

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暑い夏に必ず思い出すのは子どもの頃のお墓参りのことです。
私の父は大正10年、六甲山の山々の狭い谷あいの村の農家の三男として生まれました。その生家のお墓は車では通れない山道をどんどんと登って行った先の小高い森の中にありました。途中のお寺で水を汲ませていただき、溢さないようにゆっくりと歩いていくのですが、真上から陽が照りつける下を汗だくだくになって登っていくのでした。脇の水路の流れがわずかに涼しげでした。「ここはお祖父さんお祖母さんのお墓だ。次はお祖父さんの出た家のお墓、次は…」とあちらこちらと回るお参りする順番も決まっていました。最後はお地蔵様に水をかけ、お線香をあげて手を合わせました。山を下りてからは同じ年頃の従弟・従妹たちと園側に腰かけて、井戸で冷やしたスイカや瓜をガツガツと頂くのが楽しみでした。私が生まれるずっとずっと昔から、先祖代々、毎年毎年必ず欠かすことなくやってきたお墓参りです。勉強やクラブ活動が大事なことは百も承知のうえでしたが、「お墓参りは最優先」というのが我が家の決まりとなっていたのです。そして毎年のこの行事について、父はそれはもう大変満足そうなのでした。
今はもう35歳になる息子が私に必ず聞いてきます。「今年は何日にお墓参りに行くの?」彼は九州に住んでいますので「遠いから気持ちだけで良いよ」と答えるのですが、幼稚園・小学校の孫2人とお嫁さんを連れて必ず帰ってきます。こうやって大事なことは継いでいかれるのだなあとしみじみ思う酷暑の夏です。

(雲雀丘学園幼稚園園長 平尾聡)


2018年08月10日

「学問をなさい」

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 五十年程前の、小学生の頃です。いつもと違う先生が来られて、講話をされました。
「不思議に思うこと、もっと知りたいと思うことを追い続けていくと、それが学問につながります。ごまかして○をもらっても、自分の知りたいという心は満足できません。だから正直になります。思いもよらないことを発見した人がいたということを知ると、尊敬の念がわきます。自分は何も知らないということに気づくと、謙虚になります。だから、学問をなさい。」何年も経って、折に触れて、これは先生のおっしゃったことと同じだと思いあたる場面が何度もありました。上の言葉も、そのたびに記憶が書き換えられて、正確ではないかも知れません。それでも、反芻するうちに育つ「種」のようなものが先生のお話の中にはありました。遠い記憶の中の、西日のあたる教室で小学生を相手に静かに学問を語る先生。1960年代後半のお話です。

(中学校・高等学校 教頭 深川久)


2018年08月03日

教師のその一言

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 教師になって12年目の頃でしょうか、卒業生である教育実習生に「どうして教師になろうと思ったの?」と何気なく尋ねたことがあります。正直なところ在学時にはそんなに勉強が得意でなかったし、少し派手な感じの生徒でした。答えは「中井先生が地理の発表の時にすごく上手。教師にむいているかもと言ってくれたからです。」と明るく答えてくれました。顔から火が出る思いでした。全く覚えていませんでした。確かに性格は明るく、話し方や間のとり方などみんなを引きつけていました。実習中も自信を持って失敗をおそれず取り組んでいました。彼女はその後公立中学校の美術の先生に採用されました。

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 この一言はいい一言だったかも知れません。一言が大事ではなくて、この時の生徒との関係性、眼差しが重要なのだと思います。教師の一言は大きな力を持っており、しっかりと生徒に向き合って行かなければならないことを改めて気づかせてくれました。私たちは日々生徒に教えているようでも、生徒たちからたくさん教えてもらっています。

(中学校・高等学校 校長 中井啓之)


2018年07月27日

「心田を耕す」

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 大学で学んだ教育学の教授は、「心田を耕すことが教育の大切な営みであり、心田を荒らしてはならない。」と、おっしゃっていました。
 教員になって聞いた直木賞作家の水上勉さんの講演会で、再びこの言葉に出会いました。
 「私の生家は墓地の近くにあり、父親は葬具一式という看板を出し、死人が出るたびに墓地に穴を掘り、棺桶を葬る仕事をしていた。私が5歳になった頃、父親が私の両足をつかんで墓穴につり下げた。周りには椿の根っこが広がっていたが、目が慣れてくると、一つのしゃれこうべが目にとまった。そのとき父は、『いいか勉、明日ここに入んなさる人も、町長さんも県知事さんもみんな見えているようなしゃれこうべを一つ残して土に帰んなさるんや。人間は皆平等だ』と、言った。この言葉が私の心田を耕したのだ。私というこよりの根に作られたこの心田を通して、私の経験のすべてが吸い上げられ、上の方で一つひとつの実になった。それが私の作品なのだ。」
 あまり多くを読んだわけではありませんが、水上さんの作品『雁の寺』、『越前竹人形』等を貫くものの一つは人間の平等だといえるでしょう。5歳の頃に「心田」を耕されたことが、その人の一生の作品の個性に関わったといえるのかもしれません。
 「心田を耕す」の語源を調べてみると、お釈迦様が托鉢をして回っているときに、農耕者から、「私は田を耕し、種をまいて食を得ている。あなたも田を耕し、種をまいて食を得てはどうか。」と問われ、「私が耕しているのは、人々の心の荒れ地です。」と、答えたことに端を発しているようです。学園講堂横に銅像が建っている二宮尊徳も、「心田開発」や「心田を耕す」のことばをつかったそうです。
 田んぼの手入れを怠れば、田んぼはやがて雑草が生い茂る野生地に戻ってしまいます。しかし人間が手入れをすれば耕作地となり、私たちが生きていくための食料を育んでくれるのです。これを人の心に置き換えるならば、周りの人間が手入れを怠れば人間も野生に戻ってしまいます。心田を荒らせば、理性が失われ動物の本能だけになるからです。しかし、心は正しく手入れをされれば、人間らしい力が育まれていくのです。自然の恵みに感謝し、思いやりを持って共に助け合いながら生きるための力がついていくのです。「心田を耕す」ことは、人間を育てることそのものといえるのです。
 雲雀丘学園では、創立の精神「親孝行」で、子どもたちの心田を耕し続けます。

(小学校校長 石田 成光)


2018年07月20日

師匠の教え 「後姿のこと」

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 後姿の美しい剣道をしなさい、と私の師匠はよくおっしゃいました。剣道は相手と正対して行う競技ですので、正面から見た姿については道着の着付け、姿勢、構えなど注意深く点検するものですが、本当の気構えや修行の深度が現れるのは後姿なのです。
20180720-1.jpg力まず、大きく、背骨がスッーと天に伸びるように構え、相手を威圧する、そんな正面から見た立派な姿は実は、それなりにつくろえるものなのです。実際に相手に対峙し、立ち合いが始まるとその真の強さが現れるのが後姿です。
 打突を急ぐあまり、前かがみになったり、打突時に力が入り背骨のラインが左右によれたり、また、攻め込まれ、苦し紛れに上半身をのけぞらせたり、左右に折り曲げたり、いつの間にか初めにスッーと伸びていた背筋が丸くなり、左右のバランスも崩れてしまいます。
こうした乱れは後姿を見ていれば一目瞭然です。
 いつ、どんな時でも相手に正対し背筋を伸ばし、圧力をかけ続け、打突時にも足腰がしっかり前に出て、美しい姿勢で打突する、あるいは攻め込まれた時でも、姿勢は揺らぐことなく、竹刀と正しい姿勢でその攻めを攻め返す、あるいは相手の打突を応じて返すなど、いつも背筋が伸びた美しい後姿で剣道ができるよう努力しないと師匠は説いていたわけです。
 後姿はつくろえません。本当に厳しい修行に裏打ちされた自信や真の強さなくしては何時も崩れない背筋が伸びた美しい後姿にはなりません。
 師匠はこうした言葉を通して、前から見ても後ろから見ても、筋の通った堂々とした人間になれ、そうなるべく努力せよと語ってくれたのではないかと思っています。
 教育の場でも同じことが言えるのではないかと思います。子供たちはまさに我々の後姿を見ています。後姿がいつも美しい、表裏なくいつも輝いている、そんな人物に人は集まってくるのではないでしょうか。そんな人に一歩でも近づけるよう、精進し続けたいと思います。

(小学校副校長 成地 勉)


2018年07月13日

萬緑

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萬緑の中や 吾子(あこ)の歯 生え初むる  中村草田男

 私が高校時代に出会った句です。生後4,5ヶ月ほどの乳児でしょうか、緑あふれる大自然の中でわが子の歯が初めて生えた発見とその喜びがあふれています。そこには大自然と幼子の生命力とその力強さとともに、わが子が自然に祝福されているような感動があります。おそらく、当時の私はそんな風にこの句を捉えていたと思います。しかし、今から思えば、「吾子」が気になります。十七音の短詩型の俳句では、わが子は「子」と言えばすみます。あえて「吾子」としたところにも、この句の眼目があるようにみえます。「生まれてくれるだけで親孝行」という言葉もありますが、この句には、手放しに「吾が子」の誕生やその存在がどうしようもないほど嬉しい、そういう実感があふれています。多分、私も人の親となり、それを実感として受けとめ得たということなのでしょうが、始めてこの句を自分のものにできた、腑に落ちたという感覚になりました。

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「草田男主宰の俳誌」

 話は少し変わるようですが、このような経験を積む中で、実際に、なってみなければわからないこと、やってみなければわからないことは確かにあると思うようになってきました。結果が見えているのであえてしようと思わない、する意味がわからないから挑戦しない、結果に自信がないからしないというように、いろいろな言い訳をして新しいことに挑戦しないことがあります。しかし、する前にその結果や意味がわかるはずはありません。する意味や意義は実際にする中でしか見えてこないというのが私の実感です。まあ、これは私が教える高校現代文の大きな主題でもある「生きる意義や意味は、実際に生きる中でしか見いだせない」ということとも関連しているのですが、本学園の「やってみなはれ」にもつながっているのではないでしょうか。また、「孝道」「親孝行」にしても同様で、なにも難しく考えることはなく、定義は「親に感謝し、敬う心」で十分であり、後は実際にそれをする中でその意味は実感されていくようなものだと思えます。
 冒頭の句に戻りますが、吾が子の歯が初めて生えたぐらいのことを手放しで喜ぶ経験を通して、吾が父もまたそうであったであろうことに思いが至る。そういうことも「孝道」の実践、「親孝行」の手始めだといえるのかもしれません。

 (中学校・高等学校 高校3年学年主任 守本 進)



2018年07月06日

「教育は祈る気持ちで」

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 教員になって4年目、初めての高校3年の担任をしたときのことです。私は2組(外部からの高校入学組)、隣の1組は内部からの進学組で担任はM先生でした。70歳近いM先生は年齢も風貌も水戸黄門のような方でした。私は進学成績で1組に負けたくないと、M先生にライバル意識を持っていました。早稲田大学の合格発表では1組に完敗、M先生は「よく頑張ったのに残念でしたが、受験はこれから。国公立大まで諦めずに頑張りましょう」と。私はそれを素直に聴くことができませんでした。国公立大学の二次試験の日、我々は職員室でただ時間のたつのを待つばかりなのに、M先生は授業もないのに教室に行かれたのです。そして、誰もいない1組で重い生徒の机(机と椅子連結型)を運び、丁寧に清掃して一人一人の机上を雑巾がけしながら、小声でその生徒を激励していました。これが、このクラスの強みかと思っていると、M先生は私のクラスに入って、同じように掃除をし、机上を拭きながら「A君、頑張れよ、大森先生が言っていたことを思い出して、落ち着いて・・・」と。私は恥ずかしながら、隠れてずっと見ていました。
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写真は安積高校歴史博物館の机

M先生のその姿を見てからです、もう、M先生に勝ったとか負けたとかの気持ちはなくなり、M先生とともに頑張りたい。M先生に喜んでもらいたいと思うようになったのは・・・。それから37年、結果を追うことなく、二次試験の日は密かに掃除をし、生徒の健闘を祈って来ました。毎年のように、生徒達が奇跡を起こしてくれるのです。今も験を担いでいますが、私の教育の原点は、「教育は祈る気持ちで」と背中で語られた今は亡きM先生の姿なのです。
(中学校・高等学校 教頭 大森茂樹)


2018年06月29日

仕事への情熱

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今でも強く印象に残っている言葉として、以前、異業種が集まる情報交換会に参加したときに他社の先輩から教わった、“passion, mission, action”があります。

20180629-1.jpgこの言葉は、創造的な仕事に取り組むために必要な姿勢を示したもので、改革に挑戦し、自ら率先して新たな課題を解決していくためには、まず「情熱(passion)」といってもいいような強く熱い想いや志が必要不可欠で、そのような仕事に対する情熱があれば、新たな「使命(mission)」を自らに課して、その使命を遂行していくための「行動(action)」に結びついていく。そして、この“passion, mission, action”のサイクルをうまくまわしていくことができれば、自らのモチベーションを維持しながら、継続的に組織貢献できるようになる、というお話を伺い、大いに心に響いたことを思い出します。
この言葉を教えてもらったのは、もうすでに15年も前のことになりますが、今でも心のなかにはしっかりとしまってあって、何かに行き詰まった時には思い起こし「仕事への情熱」の炎が消えかけていないか自省することにしています。
(学園事務局長 杉本隆史)


2018年06月22日

「私がしてしまいました,ごめんなさい。」

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 5月末のある日の夕刻,1人で下校中の1年生が,専用通路で中高生に傘の先でお尻をつつかれ,大きな声で驚かされるという出来事があり,とても怖かったという連絡を翌日,担任が受けました。高学年の子ども達に,その現場を見た子どもはいないかと尋ねると,具体的な情報が集まったので,中高校に申し入れをしました。その翌々日に,担任の先生に連れられて,1人の生徒が謝りに来ました。
 悪意の無い,ほんの軽い気持ちでのふざけた行為だったかもしれませんが,入学して2ヶ月しか経っていない1年生にとってはとても怖くていやな気持ちになったことを伝えました。翌朝,再び来校したその生徒は,相手の1年生に素直に謝ってくれました。
 中高校での指導の詳細はわかりませんが,担任の教師から訪ねられたときに,「私がしてしまいました。」と正直に名乗り出るのは勇気が必要だったと思います。また,小学校まで謝りに来るのも反省と後悔の心で,逡巡したと想像できます。
 年少者に行った行為は,看過されるものではありませんが,自分の失敗から多くを学んでくれたであろう生徒に,人間としてのより良い成長を願わずにはいられません。また,大きなお兄さんが幼い自分を一人前として扱い,正直に謝ってくれた姿を見て,1年生の児童も学んだことがあったに違いありません。1年生の担任が,「これからは,小学生を守ってあげてね。」と伝えると,堅かった顔が柔らかな優しい表情になったそうです。それを聞いた私も少し嬉しくなりました。
 園児から児童生徒まで,多くの子ども達が専用通路を利用します。2500人以上が狭い通路を利用しますから,小さな揉め事が生じるのは無理もありませんが,相手に不快な思いをさせたことが分かれば,素直に謝ることで円滑な社会生活を送ることができるのです。それは,年齢に関係ありません。学園内は,社会の縮図です。年長者は年少者をいたわり,年少者は年長者を敬う気風が,しっかりと醸成されるような指導をこれからも続けていきたいと思います。
(小学校教頭 井口 光児)


2018年06月15日

「思い出の先生」の一言

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お世話になったT先生の話をします。この先生は人格者でまたユニークな先生でした。
お伝えする話は先生がご自身の体験談をなされたときのことです。

T先生が子供の頃の授業中のことです。担任の先生に教科書を読むよう指名され、立ち上がって音読し始めたところ、クラスのみんなが一斉に笑い出したことがありました。
20180615-1.jpg不思議に思い、周りを見てみると、自分より前に座っている生徒ばかり笑っている、手元の本をよくみてみると、前の日に、この教科書の表紙が破れて取れたため、自分で「本の表紙」を本体の部分にのりで貼り付けたのですが、小学生だったT先生は「まちがえて」、表紙を上下逆さに貼り付けたため、周りの生徒から本を逆さまに読んでいるようにみえてしまい、笑われたようでした。

T先生は子供のころの笑い話としてお話になられましたが、その先生自身裕福ではない家庭で育ち、また二人のお兄さんが使ったあとに譲り受けた教科書であったため、痛んで表紙がはずれたのでしょう。
先生は本を大切に使い続けることを伝えたかったと思います。

いまは、ものが潤沢にありあふれている時代です。また参考書も含め、いろいろな書籍があります。
一方で、教科書一冊をしっかりと読み込み、手垢がつくくらいまでやり遂げることも大切だと思います。
このT先生はけっして「ものを大切にしなさい」とおっしゃられませんでしたが、こうしたストーリーを通じて真意を伝えられた先生の素晴らしさを思い、印象に残る「一言」として記します。
(中学校・高等学校 事務長 竹内俊博)