2018年02月16日

嘉納治五郎師範の志を継いで

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 嘉納治五郎という人物を知っていますか?!この先生は、日本のオリンピックの父とも言われ1940年東京オリンピック誘致(戦争のため返上)に尽力された方です。また日本の体育教育の立案者でもあります。帝国大学(現東京大学)を卒業後、学習院で教鞭(英語・算術・書写等)を執られ、当時の学問(知育)一辺倒の教育に疑問を投げかけられ心身を鍛える教育を提案、
20180216-1.jpgそれを「体育」と命名されました。そしてまずは、体育の授業で柔道が実践されました。師範の教育理念は徳育(挨拶・礼儀作法)にも精通し知育・徳育・体育とバランスのとれた人間形成を目指すものでありました。まさに、雲雀丘学園教育の根本である「健康な体力とたくましい実践力を持つ強い人間を創る」に相通ずる教えであります。私も嘉納師範の志、鳥井信治郎先生の孝道を継ぎ、指導に当たっております。本学園の体育・武道を通して生徒が成長し世界に羽ばたいてゆく人になることを期待します!
(中高校・体育科教諭 平太義教)

2018年02月09日

「あいさつ」は自分のため

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 小学校では、生活指導の中で
かるく、つも、きに、づけて一礼あいさつ」
をスローガンに掲げ、取り組んできました。児童会役員のあいさつ運動、それに加え部活動の部長、副部長参加のあいさつ運動、交通部の活動など、たくさんの子ども達が朝の挨拶運動に取り組んでくれています。
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 今年度、私は毎朝エントランス前で子ども達にあいさつをしようという目標を立てました。子ども達の反応は様々です。遠くから大きな声であいさつする子、わざわざ立ち止まって深々と頭を下げあいさつする子、恥ずかしそうに通りすがりにつぶやくようにあいさつする子、まったく目を合わさずに通り過ぎる子。初めは、あいさつをしない子がいると、寂しく残念な気分にもなりました。しかし、やっているうちに、「あいさつは相手に言わせるためにやっているのではない」ということに気づきました。それに気づいてからは、同じ子どもでも毎日反応も表情も違うこと、先日まで目をそらしていた子が、少し表情を緩めたことなど、細かい子ども達の反応に気づくことができるようになり、その変化がうれしく感じられるようにもなりました。そして、あいさつに立つようになって、子ども達と授業で顔を合わせることが、以前よりもっと楽しみになってきました。
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子ども達は、授業で音楽室に入ってくるときに、「おはようございます」「こんにちは」と言って入ってきてくれます。私もそれに答えます。そういう授業は、ずっと穏やかな気持ちで進めることができます。歌を歌う時、私も子ども達の中に入って一緒に声を出して歌います。澄んだ歌声の中で一緒に歌えることで、幸せな気分になれます。私たちはどうしても「~しなさい」という教師の立場で指導してしまいがちですが、子ども達と同じ目線に立って物事を見ることにより、気づかされることもたくさんあります。
 あいさつは、自分と直接関係を持たないたくさんの人とつながることができる、そして、する方、される方、どちらも幸せな気分になる「魔法の言葉」だと思います。だれかにやらされるのではなく、自分から自然にあいさつができる子ども達を育てていける小学校でありたいと思います。
(小学校 生活指導主任 岡村圭一郎)

2018年02月02日

歌を歌うように

20180202-0.jpg「名簿を見ずに,子どもの名前を呼べるってすごいですよね。」
時々そのようなお褒めの言葉をいただきます。小学校の卒業式は古き良き伝統を引き継ぎ,講堂の壇上から客席に座る子どもたちの名前を一人ひとり読みあげていきます。担任としては緊張する瞬間です。

20180202-1.jpg 「緊張すると言葉が出なくなるのはあなたの悪い癖ね。」
学齢期の私は,母から何度となくこの言葉を言われました。また,
「でも,歌を歌うときは緊張しても言葉がすらすらでるから不思議よね。」
大きな声で歌を歌う子だったので,即席合唱団のメンバーに何度となく選ばれた私に,母はそのようにも言いました。

 卒業式,緊張すると名簿を見ていても言葉が発せられないのが,本当のところです。ただ,歌を歌うように,子どもの名前を呼ぶことができれば素敵だなと思うことも,また事実です。
 4月初めから1年かけて,子どもの名前を覚え,そこにリズムをつけ,練習をします。本番,子どもたちの顔を見ながら歌を歌えることに感謝をするとともに,喜びを感じ,68回生を送り出したいと思います。
(小学校教諭 藤川雅康)


学園長より一言・・・卒業式には卒業生の担任はクラスの児童の名前を壇上から呼名します。通常はどの先生も名簿を見て担任の36名の生徒の名を順に読み上げます。しかし藤川先生は名簿を見ません。そこにはお母さんから教えられた「歌を歌うように」という隠された秘密があったのですね。しかし私には、「大切に育ててきた子供の名前を晴れ舞台で空で言えないでどうする」という先生としての矜持があるように思えます。

2018年01月26日

輝く子たちと輝く日々を ~雲雀丘学園警備隊隊長 木嶋靖夫さん~

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「おはようございます!」
私たち、学園を守る警備隊の仕事は登校される皆さんへのあいさつから始まります。
たかがあいさつと思うことなかれ、やはり人と人とが初めて交わす礼儀の第一歩となる言葉ですから、とっても大事です。私たちも只の警備ということだけではなく、生徒達が真似して恥ずかしくないような振る舞いを心がけることによって、少しでも人間教育の一端を担えればと思っております。
一度、過去に別の警備員が「おはよう!」と生徒達に声掛けているのを見て、叱り付けた事がありました。
孫ほども年齢は離れているかも知れませんが、やはりこの学園に通う子供たちには”おはようございます”と折り目正しくあいさつが出来る人になって欲しいとの願いからです。
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 概ね、幼稚園児そして小学校に上がりたての子達は大きな声で元気よく、中高に入ると思春期による気恥ずかしさからか、やや控えめな、おしとやかなあいさつに変わっていきます。
その中でも印象に残っているのは、まだ小学校1・2年ほどの生徒さんですが、毎朝登校の際に、我々の前で少し距離を取り、ピシーッ!と気を付けをして、深々とお辞儀をしながら「おはようございます!」と大きな凛とした声でごあいさつをされる生徒さんがいらっしゃいました。
その姿を初めて見たときに(こんなきれいなお辞儀・あいさつをする子供が居るのか)と衝撃を受けました。
一気にこの学園の、そしてこの学園に通う生徒達のファンになってしまいました。

 正直、子供達からのあいさつに我々も大変元気付けられています。元気をもらい、私たちもまたそれを返していく。
その関係性の中で、皆さんがぐんぐん成長していく姿を間近で見れる立場であることに喜びを感じています。

 最後になりましたが、生徒の皆さんにはこれから長い人生において、月並みな言葉ではありますが、是非「人の気持ちがわかる人間」になって頂きたいと思います。
そういった心持ちの方が増えれば増えるほど、世の中にはなんの問題もなくなって行きます。
幼稚園、小学校、中学高校、そして大学生、社会人へと成長していく上で、他人から色んな言葉をぶつけられます。
怒りや憎しみの感情などが爆発しそうになる場面もあるかも知れません。
その時には言いたい言葉を「5秒待って」下さい。5秒待っても無理なら「10秒待って」下さい。
ひと時の感情に流されず、少し待って相手の立場を考えてから言葉を掛けることが、良好な人間関係を創り、人のことを思いやるすなわち「孝道」への秘訣です。どうぞお試しあれ!


(学園より)
雲雀丘学園の警備はプラスワン㈱にお願いしています。主に幼、小、中高の登下校時の園児・児童・生徒の安全を確保する業務を担っていただいています。その警備の方々の隊長が木嶋さんです。いつも子供たちの目線で声をかけていただき、どこの学校よりも子供たちと警備員の方々との素晴らしいふれ合いが存在します。

2018年01月19日

親の顔が見てみたい ~瀧ノ上 慧(さとみ)さん~

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あなたにとっての親孝行とは何ですか?
何か悪いことをした子に対して周りの人がよく使う言葉、「親の顔が見てみたい」
私にとっての親孝行は‘親の顔が見てみたい’と言われることです。私の生き方を見た人から、‘あなたの親の顔が見てみたい’‘あなたの親はどんな育て方をしたのか?’と言われること。私が尊敬し、私が誇りに想う両親のことを尋ねられることが、私にとって一番の喜びであり、それが私にとっての親孝行です。子供が褒められてニコニコする親、子供を誇りに思う親と同じで、親が褒められてニコニコする私、親を心から誇りに思う私です。
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 学校の先生方と。日の丸を持っているのが瀧ノ上さん。

親の育て方を知りたくなるような、親の顔を見たくなるような、そんな生き方をし、そして堂々と、自慢の両親のことを伝えることで親孝行をします!あなたにとっての親孝行、是非考えてみてください。
I am proud of my parents.


瀧ノ上 慧(さとみ)さん
カナダ、プリンスエドワード島にある英会話の学校、スタディアブロードに勤務。
同校のマーケティング・マネージャー。雲雀丘学園は毎年夏季にカナダ研修を同校で実施。
瀧之上さんには長年にわたり独自の研修プログラムの作成や生徒への支援をいただいている。

2018年01月12日

人間力養成 柔道・剣道寒稽古

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 寒中お見舞い申し上げます。
 昨年1月の怪我からほぼ1年、リハビリのひとつとして“切り返し・懸かり稽古を受けるだけ”という制約つきではありますが、『大晦日稽古・大阪寒稽古』と剣道に復活することができました。学園のご理解のたまものと感謝しております。
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 さて、『人間力向上』が本学園の大きな目標です。その「人間力」には、「仁・義・礼・智・信」の五常の徳など、さまざまなものがありますが、その中でも特に「何事にも負けない強い心」を鍛えるため、柔道・剣道合同での寒稽古を、学年・体育科・有志の先生方の協力の下、続けてきております。中1から高2までの男子の武道の授業発表の場として、すっかり学園の風物詩になったこの行事、大寒前後の厳寒の朝、暖かい布団をはねのけ登校し、冷たい体操服・柔・剣道着に着替え、凍り付くような畳・床板の上に裸足で整列、体操・受け身・素振り・乱取り・防具を着けての基本稽古と流れます。一年でたった一日のこの厳しさが、生徒諸君の大きな財産に成るものと信じて続けています。今年も1月23日から26日までの4日間、頑張ります。ご理解の上、ご協力、応援のほどよろしくお願いします。
(中高 指導主事 大見利之)

2017年12月28日

あいさつと授業風景

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 雲雀丘学園に赴任して、約8か月が経ちました。多くの雲雀丘学園の生徒、児童、園児は皆とてもかわいく、本当に子供らしく、生き生きと学校生活を送っているように思われます。

20171228-1.jpg 今どきの朝、雲雀丘は平地と比べてかなり寒いですが生徒会の役員の児童たちは専用通路際まで出てタスキをかけ、とても大きな声で、登校してくる児童一人一人に、また先生方に大きな声であいさつをしてくれます。とても気持ちの良い登校風景です。特に一年生・二年生の低学年棟へ向かう児童は元気よくあいさつをし、お辞儀をして、教室へ入っていきます。
 一方、高学年、中高生になると、黙って通り過ぎていく人やこちらからあいさつをしてやっと、あいさつを返してくれる生徒・児童がほとんどになってしまいます。


20171228-2.jpg また、授業においても全く同じ光景が見られます。低学年は皆、活発に手を挙げ、自分の気持ちや考えを聞いてもらおうとします。しかしながら、高学年や中高の授業になると、手を自ら挙げて発言し、主張する児童・生徒は極めて少なくなってしまいます。これは本校だけではなく、あまねく日本各地でみられる授業風景かもしれません。 あまつさえ、大学生を対象としたシンポジューム等でさえ、同じような光景がよく見られます。
 思っていても発言しないのは間違ったらいやだから、恥ずかしいから。人と違ったらいやだから、また、恥ずかしいから、云々ということでしょうか。しかし、それではグローバルな世界では戦っていけません。たとえ間違っていても自らの意思を発することの大切さや間違いこそ正解へ至る正しい道であることを知り、進んで手を挙げる勇気はあらゆる人と伍して社会の中で生きていくために必ず身につけなければならない徳目です。
 そこに至るステップとしてあいさつに勝るものはありません。見ず知らずの人にも言葉を交わし、頭を下げることは大変勇気のいることです。気恥ずかしさという壁を超えてなされる行為です。稀代の教育者、森信三先生もしつけ三原則の中で「朝のあいさつひとよりさきに!!」と朝のあいさつの重要性を説かれています。もっともっと、自らすすんであいさつする声が飛び交い、活発にあいさつが交わされることが、将来、世界中、どこへ行ったとしてもやっていける強い個人を作る礎になる、と信じてあいさつの率先垂範を心がける毎日です。
(学園広報担当 成地 勉)

2017年12月22日

父母が頭かきなで

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「父母が頭かきなで幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる」
                 丈部稲麻呂(はせつかべのいなまろ)

 万葉集の防人歌です。稲麻呂は駿河国の人で天平勝宝七年(755年)、防人として筑紫(福岡)に派遣されました。駿河からの旅立ちの時、父母が別れを惜しんで頭(かしら)を撫でてひたすら無事を祈ってくれたことを、遠く離れた筑紫の地で思い出すという歌です。頭を撫でるのは愛情表現でもありますが、無事でいてくれ、幸いであれという当時のまじない的な行為でもあったようです。現地での生活はもちろん、筑紫までの旅も二ヶ月もかかるほどの過酷さを思いやり、我が子の無事を祈る両親の思いがあふれている行為です。「幸くあれて」(さくあれて)、「『言葉』ぜ」(『けとば』ぜ)という東国の方言そのままの表現にも素朴な真情があふれていて胸をうたれます。

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 そしてこの歌からは、稲麻呂が過酷な防人の生活の中で心の支えとしていたのが、自分の無事と帰還をひたすら祈ってくれる父母の存在であることがうかがえます。自分を待っている人、必要としてくれる人がいる、自分の身体は自分だけのものではないという思いが筑紫での生活の支えであったのです。私が教えている高校現代文では、「アイデンティティ」ともいいますが、稲麻呂の、この世界での自分の居場所、自分という存在の意味や価値の実感を支えてくれているのが父母であり、そういうありがたい存在が頭をなでてくれたという感覚が身体に刻み込まれているということなのでしょう。
 以前、本学園ブログに当時の松下堅一郎常務理事が紹介された髙倉健さんのエピソードを思い出します。日経電子版に連載された「高倉健のダイレクトメッセージ」の中にある話です。「映画のポスターを見て母は『あの子はまた、あかぎれを切らしとる』と、踵(かかと)からわずかにのぞいた肌色の絆創膏(ばんそうこう)を見つけたのは、世界中でたったひとり、母だけでした」。自分を俳優、映画スターとして見ているのではなく、ひとりの人間、いや、かけがえのない息子として見てくれる人がいるという実感、華やかではあるが移ろいやすい銀幕の世界とは離れて、裸の自分を見てくれている人がいるという安心感、それらが高倉健という名優を支えていたことがわかります。
 このふたつの話で思うことは、直接的には、子は親に支えられているということですが、実は、その支えているはずの子に、親もまた支えられているということです。何ものには替えがたい分身としての存在があり、それを見守らずにはいられない、支えずにはいられないという親としての思いが「アイデンティティ」となっていることがわかります。確かに、親子の関係がいつも順調というわけではなく、時にはねじれてしまう時もあるかもしれません。しかし、その根底には疑いようもない、なくてはならない深いつながりがあることだけは確かだと思います。そしてそれが私たちの生きる力の大もと、源になっているのだと思います。
 今年の親孝行の日(創立記念日)の時に学園講堂で中学1、2年生にこのような話をしました。

あなたたちの運動会やピアノやなにかの発表会の時の写真を見てください。そこには懸命に走っている、またはピアノの前で緊張している自分の姿、あなたたちが主人公の姿が写っているだけで、お父さんやお母さんは写っていません。なぜならその写真を撮ったのはご両親だからです。ということは、その写真の後ろにはあなたたちを、あなたたちの成長を見守っている親御さんがいらっしゃるということなのです。そして、その写真に写っていない、見えない存在のことを考えるのがこの親孝行の日のひとつの目的なのです。


 このようなことを自らのことを振り返り、また自省を込めて話した次第です。
 (中学校・高等学校 指導主事 守本進)


2017年12月15日

「挨拶」「清掃」は心の鏡―「人間力」が「学力」の基盤―

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 40年間高校生に対して進路指導をやってきて断言できるのは、学力を上げる最も近道は、人間力をつけることだということです。
 現在、雲雀丘学園は、幼稚園から高等学校まで、皆、挨拶の励行に努めています。「挨拶」は心の鏡です。『おはようございます』『ありがとうございます』『失礼します』『すみません』『はい・いいえ』などは、心が曇っていてはできません。呼名されて『はい』と気持ちよく返事し、『ありがとうございます』と言える人は、間違いなく教えられ上手です。

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 掃除もまた、その人の心が現れます。掃除で思い出深い二人の生徒がいたので、今回はそのうち28年前に担任した一人の生徒のことを書こうと思います。
 その生徒は、高校2年から成績が下がってきて、その焦りもあってか、掃除当番でも、一切せずにサボって帰っていました。注意すると、掃除しているふりをするだけでした。夏の保護者との三者面談で、私はお母さんに「申し訳ありませんが、お子様に進路指導する言葉を持っていません。何度か注意しても、彼はまじめに掃除をしません。いやなことを他人にさせて、自分だけよければよいと思っている人に社会のエリートになってもらいたいとも思いません。自分の力で文1に行ってください」と、本当に申し訳ないと思ったのですが、自分の正直な気持ちを伝えました。その夜、彼の父親から電話が入りました。怒りの電話だと覚悟していたのですが、「今日は面談ありがとうございました。子供とゆっくり話してみます」とのこと。翌日から、彼は掃除をするようになりました。私が見ているからだろうと思い、2週間目からは陰に隠れて見ていたこともありました。しかし、手を抜くことなく皆が帰っても丁寧に掃除をするのです。まるで別人でした。
 5か月後の冬の面談で、再び母親が来られ「迷惑をおかけしています。子供はまだ面談していただけるレベルではないと思いますので、本日もこれで帰ります」と。私は彼の変化を話し、「彼は変わりました。だから、絶対に文1に合格させてあげたくなりました。今から、面談をさせてください」と申し上げたところ、お母さんは涙を流しながら、あの日父親が子供にいろんな話をしたこと、そしてそれから彼が変わり、今まで馬鹿にしていた妹にも丁寧に勉強を教えるようになったことなどを話され、子供の変化が一番嬉しいと言われたのです。
 センター試験が終わり自己採点したところ、彼は文1の足切りになりそうな点数でした。文1の出願を諦めるようにと話したところ、彼は「これは天罰です。足切りになっても来年のために精一杯努力するので、出願させてください。足切りで受験できない場合は、学校に来て勉強します」というので、「では、どんなことがあって自棄にならず、毎日、最善の努力をしていくか?」「もし、受験票が届いたら、それを合格通知に変えるぐらいにやってみなさい」といった言葉に、彼は「はい」と答え、その日から誰よりも早く学校に来て、最後まで質問して帰るという日々を過ごしました。彼の得点の1点下が足切りで、受験票が届いたのです。そして、なんと、二次試験で大逆転して、彼は見事、文1に現役で合格しました。ご両親は文1に合格したことも喜びだったと思いますが、それよりも子供さんの人間性が良くなったことが最高の喜びですと、何度も何度も言われました。
 彼は今、多くの人に好かれながら、他人のために役立つべく活躍している。人道を尽くして生きていくことこそ、本当の意味で豊かな人生を送れる近道だと思う。
(中学校・高等学校 教頭 大森茂樹)

2017年12月08日

挑戦するということ

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20171208-1.jpg 雲雀丘学園の創立の精神「孝道」は、初代理事長の鳥井信治郎先生が「親孝行な人はどんなことでもできます」と日々おっしゃっていたことに由来していますが、先生がもう一つ大切にされていた言葉に「やってみなはれ」があります。これは、不可能と思われるようなことに挑戦を続けることが非常に重要であるということを一言で表現した簡潔な言葉ですが、全ての挑戦が成功に結びつくほど単純なものではなく、成功するまでには数多くの失敗に遭遇することも覚悟しなければなりません。先生も「失敗してもかまへん、しかし二度と同じ過ちを繰り返すな」と口癖のように言っておられたようです。

  古今の偉人たちも挑戦と成功・失敗についていくつもの名言を残しています。発明王エジソンは、「わたしは今までに一度も失敗をしたことがない。電球が光らないという発見を今まで2万回したのだから。それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。」と逆説的に失敗することの重要性を語っています。アインシュタインは「一度も失敗をしたことがない人は、何も新しいことに挑戦したことがない人である。」と挑戦には失敗がつきものであると教えています。

 ビジネスで成功を収めた経営者も同様です。パナソニック創業者松下幸之助氏は「失敗したところでやめるから失敗になる。成功するまで続けたら、それは成功になる」と。本田技研工業創業者の本田宗一郎氏は「わたしの現在が成功というのなら、わたしの過去はみんな失敗が土台づくりをしていることにある。仕事は全部失敗の連続である。チャレンジして失敗を恐れるよりも何もしないことを恐れろ」と。また、京セラ創業者の稲盛和夫氏は「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。諦めた時が失敗である」と。揃って、失敗を乗り越え挑戦を続けることが大きな成功を導くと考えて企業を経営されていたことがわかります。

 現在、日本のものづくりの力が弱くなりイノベーションが起こりにくくなっているのは、失敗すればマイナス評価されたり、失敗を責めたりする社会や企業の風土があるため、失敗を恐れて挑戦を避けていることが原因の一つではないかと言われています。これからの時代に生き残っていくためには、過去の経験則では予測できない変化に継続的に対応していかねばなりません。そのためには新しいことに向かって挑戦していく姿勢は不可欠です。雲雀丘学園は失敗を恐れず常に積極果敢に挑戦しつづける組織でありたいと思います。「やってみなはれ!」 

※書はサントリーホールディングス㈱ 佐治信忠会長によるものです。


(学園事務局長 杉本隆史)