卒業生~母校は母港になる
No.5(33期)雲雀の仲間たち
2021/05/19
私は,中学高校の6年間を雲雀丘学園で過ごしました。中学1年から剣道部に所属し,在学中の6年間はほぼ剣道のことばかり考えてきた印象です。雲雀丘学園を卒業後,興味のあった外国語を学ぶために進学し,大学時代は,アメリカ,ポルトガル,オランダと留学し,各国で寮生活を体験しました。その後,大学院に進学し,現在は,宝塚市内で法律事務所を営んでいます。
私が弁護士を志し,司法試験を受けようと思ったのはポルトガルから帰国し大学を卒業してからですので,24歳を超えてからでした。
そのころも,雲雀丘時代の友人らと定期的に交流があったのですが,24歳からこれまで学んだこともない法律の世界を目指して勉強を始めることを友人らは無条件に褒めてくれて応援してくれました。今思えば,それに背中を押され自信になりました。そういう場面で「無理だろう」と言わず「がんばったらいけるって」と言ってくれる友人らの懐の深さが雲雀の仲間なのだなと思っています。
中学時代から一緒にやんちゃもしてきた雲雀の友人たちも,今や,会社を経営したり,歯科医師や鍼灸師になったりと,皆それぞれ立派に仕事をしています。オーストラリアでバリバリのキャリアウーマンをしている仲間もいます。
そんな仲間たちと,5年ほど前から,月に一度,行ける仲間が集まってゴルフに行っています。また,年に2,3度,ゴルフ旅行や,カニ旅行など,家族ぐるみの旅行にも行っています。
私たちも年齢を重ね,ゴルフをしていても,家族の話や健康の話ばかりですが,中学自体のあだ名で呼びあい,昔話をして,あの頃と何も変わらない関係で話せています。月に一度のゴルフや,年に数回の旅行など,大人としてはかなりの頻度で会っているにもかかわらず,毎回,中学の時のように楽しい時間を過ごしています。
こんな風に,時が経っても,同じ空気で友人と時間を過ごせる懐の深さが雲雀丘学園にはあるのだと,最近つくづく感じています。
今,私の娘たちはプロゴルファーを目指して,毎日毎日練習に明け暮れています。これからの中学・高校と進学する中で,私が得た雲雀丘学園の仲間のような仲間が彼女たちにもできることを願って,日々3人4脚で頑張っています。
毎日毎日通うゴルフ練習場でも,雲雀のOBの方が声をかけてくれたり,応援してくれたりしています。また,仕事をしていても,雲雀のOBなんだよと言って相談に来て下さる方々もたくさんいらっしゃいます。
宝塚で仕事をしたり,娘らと時間を過ごしていると,雲雀の卒業生の方と出会う機会も多く,皆,そのことを誇りに話しかけてきてくれます。そんな時,雲雀丘学園を卒業して良かったなと思います。
このような機会が,今後も増えていくことを楽しみにしています。
よつば法律事務所 代表弁護士 中嶋知洋(1991年卒業、33期生)
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