卒業生~母校は母港になる
No.3(41期)新聞記者として
2021/05/06
私が雲雀丘学園に入学した1993年4月。当時皇太子だった現天皇陛下と皇后雅子さまが結婚された年です。中学・高校の計6年間を私は雲雀丘学園で過ごしました。卒業後は神戸大学法学部で4年間学び、2003年4月から朝日新聞社で記者として働いています。
全国紙の記者は多くの場合、転勤を繰り返します。私も静岡、鹿児島、福岡各県に赴任し、事件事故や災害、政治、選挙など様々な取材に取り組んできました。ずっと実家暮らしだった私にとって、1人暮らしはとても孤独でした。年に1~2回の長期休みに雲雀の友だちと会うのを楽しみに、目の前の仕事に取り組みました。
仲の良かった友だちとは絆を深め続け、一方で中高時代は苦手意識のあった友だちとも、卒業後に距離を縮めることができました。卒業後の経験が、お互いを尊重しあえるよう成長させてくれたのかもしれません。
結婚と出産を経て、2017年4月から大阪を拠点に取材しています。所属する社会部の取材対象は幅広く、同窓生から「こんなことで困っている」と情報提供してもらって、取材を始めることも多いです。仕事以外でも子育て情報を交換したり、たまに集まって励まし合ったりしています。2020年10月からは、ABCテレビ「おはよう朝日です」で様々なニュースについてお話しする機会を頂いています。
関西に帰ってきて、仕事でお世話になる方や同僚のお子さんが雲雀丘学園に通っていると聞くようになりました。うれしくて「私の母校です」と言ってしまいます。多感な時代を過ごした思い出が、自分に染みこんでいることを実感します。
とはいえ学生時代、思い通りにいかないこともたくさんありました。先生方に迷惑や心配もかけました。今も何をやってもうまくいかない時期や、人と自分を比べて落ち込むことがたくさんあります。
今、思い通りの学生生活を送れずしんどい思いをしている学生さんもいるでしょうが、心配しないでくださいね。今は充実していないと思える時間も全て、その後の自分の糧になります。こうして母校を通してたくさんの方とつながれることをうれしく思います。
山根久美子(1999年卒業、41期生)
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