学校ブログ

卒業生~母校は母港になる

No.76(42期)永遠に続く

2023/08/11

中高42期生の井平充朗と申します。現在、教員をやっています。

中高の6年間は、テニス部に所属し、高校の時にキャプテンを務めていました。当時は、とにかくテニスが好きで、上手くなりたいの一心でした。朝練をして、授業中に練習メニューや戦術を考え、放課後は部活、そして家に帰ってからランニング、フットワーク、トレーニング、素振りやテニス日記を書いていました。また、部活の無い日は、テニスクラブに出かけ練習を行っていました。熱量高くできたのも雲雀丘学園の先生や周り方々のお陰でした。それは、自主性を尊重してもらえたからこそ、続けることができたのだと思います。

昨年のことですが、雲雀丘花屋敷駅の駅前で先生に出会いました。「何してるの?元気してる?時間があるんやったら、今から校長先生や先生方に挨拶しに行こう。私も一緒に行くから。」と声をかけてもらい、急遽学園に向かいました。突然の訪問だったことや卒業して20年以上経つにもかかわらず、校長先生や先生方は温かく迎えてくださいました。そして、沢山の先生方に声をかけて頂きました。その時、1人の先生が、私の大学受験の失敗、大学院の進学や教員採用試験を合格したことを覚えてくれていました。上手くいかなかった時も良かった時も知っててもらえ、良い学校だなと改めて感じました。この温かさが、多くの卒業生が雲雀丘学園を愛する所以だと思います。

雲雀丘学園の良さは、『先生』の存在です。特に受験勉強で沢山の先生方に大変お世話になりました。早朝からの補習を開いてくださって、過去問題集など何度も反復してくださった先生。マンツーマンで何時間でも分かるように教えてくださった先生。遅い時間にもかかわらず、質問しに伺っても優しく受け入れてくれ、終わった後「またおいで。分からんかったら、いつでも来て良いからな。頑張りや。」と仰ってくれた先生。今思うと勤務時間が過ぎているのも関わらず、献身的に接して頂きました。また、卒業してからも採用試験のエントリーシートを添削して頂いた先生。定年退職されてからも私のことを気にかけてくれて、今も連絡をくださる先生。いつどんな時も力になってもらい、只々感謝しかありません。

そう感じているのは、私だけではありません。今、私の周りの同級生、先輩や後輩の子どもが、雲雀丘学園幼稚園、小学校、中学校や高等学校に通っています。また、通わせたいということも頻繁に耳にします。それは、皆母校に誇りを持っているからです。雲雀丘学園は、卒業生に愛され支えられているんだと強く感じます。

これからも在校生や卒業生に愛され続ける学校であって欲しいと願います。母校の益々の発展をお祈り致します。

井平充朗 (2000年卒・42期生)【写真】1列目左より2番目 

pagetop