卒業生~母校は母港になる
No.77(49期)思っていた以上の幸せな毎日
2023/08/28
初めまして。49期生の堀池麻衣と申します。
私は3人きょうだいなのですが、全員が幼稚園から高校まで15年間雲雀丘学園にお世話になりました。更に中学からは2人の従兄弟も入学。各学年に誰かしらの兄弟、従兄弟がいるため先生方からは"堀池一族"と呼ばれ「一体誰と誰が兄弟で、誰と誰が従兄弟なの?!」と
学年を超えてたくさんの先生から話しかけていただける機会が増え、嬉しかったのをよく覚えています。
そんな生粋の"雲雀っこ"な私ですので、この度母校から寄稿のご依頼をいただけましたことをとても嬉しく光栄に思っております。
ご依頼いただいた先生より「ぜひママならではの目線で子育についてお願いします。」とリクエストをいただきましたので、グローバルでワールドワイドなご寄稿は他の卒業生の皆様におまかせして(もとよりそのような素晴らしい経歴はないのですが)卒業後の人生と子育てについて、在学中の思い出を交えながらお話しさせていただきたいと思います。
雲雀丘学園高等学校を卒業後、医療関係で人の役に立ちたい、尚且つ子供が手を離れてからも復職ができる仕事に就きたいと思い歯科衛生士の専門学校に入学しました。
苦手な勉強に加えて月毎に変わる病院実習と日々のレポート提出に追われながらも、患者さんと接する中で技術や知識だけだはなく心で向き合う大切さを学びました。
在学中は総代、卒業時には卒業生代表を務め無事に歯科衛生士の国家試験に合格することができました。
伯父の歯科医院に就職をしたのと時期を同じくして、祖母が応募してくれていた兵庫県の親善大使のオーディションで思いもよらずグランプリに抜擢。
県内外でのイベントや式典での司会をはじめ、テレビ出演や県のPR活動を通して生まれ育った兵庫県がもっともっと好きになりました。
親善大使をしていたというと人前で話すのが得意なのかと思われる方が多いのですが、学生時代は決してそんなことはありませんでした。むしろ今でもどちらかと言うと苦手です。
それでも苦手なこともとりあえずやってみよう、飛び込んでみよう!と思えるようになったのは学園の「やってみなはれ」精神、そして何より今でも大切な雲雀丘で出会えた親友たちのおかげです。
「やってみなはれって言われても…」と二の足を踏んでしまう気持ちに優しく寄り添ってくれ、それでいて時に熱いパッションでねじ伏せてくれる。
そんな優しく熱い彼女達の存在に支えられながら、私は現在子育てに奮闘しています。
親善大使の任期を満了後程なくして結婚し、2人の子供に恵まれました。
我が子に出会えたその瞬間、生まれて初めて「自分の命よりも大切」の本当の意味を理解しました。
産声が脳を揺さぶり、絶対に守る、幸せにすると強く思いました。
こんなにも大切でかけがえのない我が子のために"完璧なママ"になりたい!
そう思い育児や離乳食の本と睨めっこするも、育児書通りにいくことなどほぼ無く、毎日が「おもてたんとちゃう!!!!!」の連続でした。
乳児期は寝る間もなく、離乳食が始まれば手が込んだものほど食べてくれない。
出かける直前になんだかお尻から素敵な香りが漂ってくる。
炎天下でも極寒でも雨が降っても毎日公園。
挙げれば本当にキリがありません。
寝不足で、思い通りに家事が進まなくて、イライラして、怒って、怒り過ぎたと反省して。
それでも育児によって疲れ果てているのに、他でもないその子供達の笑顔に癒され心満たされる。
子育ては世界で一番美しい矛盾だと思います。
修行のような日々の公園通いも、いざ入園前日になると「あぁ…この暑くてダルくてしんどくて愛おしい時間も日課じゃなくなるのか…。」となんだか切なくなるものです。
思い描いていた"完璧なママ"とは程遠い私を家族は大好きだと言ってくれます。
子育て歴ももうすぐ10年を超えますが、いまだに新しい発見と壁の連続でいっぱいいっぱいになることがよくあります。
"育児は育自"と言えども、育自を感じられるのはもう少し先になりそうですが学園の先輩、同級生、後輩、そして先生方との出会いを糧に、毎日を過ごしていきたいと思います。
堀池麻衣(2007年卒 49期生)
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