卒業生~母校は母港になる
No.79(59期)人生の宝物
2023/09/30
はじめまして。土井ゆかりと申します。
雲雀丘学園高校59期生として3年間過ごし、卒業後は京都大学医学部に進学し、現在は研修医1年目として働きはじめました。
初めから医者を志したわけではなく、「高3、5月の模試で志望学科がA判定!まずい、このままだと舐め腐って勉強のやる気が出ない。とりあえず絶対手が届かなさそうなかっこいいところを暫定目標に置いてやる気を出そう!」とアホみたいな動機で京大医学部を志望したら想定外にやる気が出て成績が伸び、ならばと受験したら合格!というのが実際のところです。
たとえ自分には過ぎたもののように思えても、目標を高く持てば自然とそれに向かって努力できるようになることもあります。人間の可能性は無限大なので、在校生の皆さんも、やる気が出ないときはとりあえずワンランク上を目指してみてください。
大学入学後はのんびりと楽しく過ごし、迫り来る社会人生活に怯えていましたが、社会人になってみると医師としての労働も案外楽しいものでした。
「こんな動機で医学部に入ってよかったのか?」「勉強が好きな人間ではないのに、一生勉強し続けなければならない職に就いて本当によかったのか?」と何度も自問しましたが、どうやらそれなりに適性はあったようです。私はお金で叶えたい小さな欲望がたくさんあり、自分の力で他人を幸せにすることに喜びを感じる善人であるため、お給料と感謝の言葉によって脳の報酬系が刺激され、毎日楽しく仕事できているのかもしれません。
現時点での私の意気込みは「患者さんの前で医者として恥ずかしくない振る舞いができるように準備しておこう」程度ですが、努力を継続することはできそうです。そのうちそんな努力も当たり前になって、いつの間にか自分の領域で第一人者と呼ばれるようになっていたら素敵だな、と夢見ています。
日々の成長は本当に少しずつで、「こんなに頑張った気がするのに!客観的にみると進捗たったのこれだけ!?」と思うことも多々ありますが、目の前のことに全力を尽くしながら一歩一歩進んでいます。
もう卒業してしまいましたが、雲雀丘学園は今も私の心の拠り所の一つであり、たまに帰るととても元気をもらえる大切な場所です。
私は生活態度も授業態度も決して優等生とは言えませんでしたが、雲雀の先生方には本当にあたたかく見守っていただいたなぁと感謝の念が絶えません。
定期試験直前、勉強するのが嫌で図書室でたくさん小説を読んでいたら司書の南竹先生が心配してくださったことがありました。
また、京大医学部を志望する、頑張りたい!と決めた後、英語の西山先生には英作文を沢山添削していただき、国語の守本先生には京大の過去問をもとに哲学的な授業をしていただき、数学の三輪先生と永田先生には特製プリントをいただいて添削していただき、化学の谷川先生には特製プリントだけでなく面接の練習までしていただきました。本当に色々な先生方に助けていただき、学力的にも心理的にも支えていただきました。先生方なくては合格も、今の私もなかったと思います。
先生方、ここに名前をあげていない先生方も、本当にお世話になりました。書ききれない、色々なことを大切に覚えています。雲雀での日々は間違いなく、私の人生における宝物です。
在校生の皆さまもいつか雲雀での生活を懐かしく思い返す日が来ると思います。目標を高く持って高みを目指しつつ、二度とない制服での青春を後悔のないように楽しんでください。「やってみたいな」と思ったことは口に出して人を巻き込んで実行してしまいましょう。
主体的に取り組む人生は想像以上にとっても楽しいです。
京都大学医学部附属病院 研修医 土井ゆかり(2017年卒、59期)
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