卒業生~母校は母港になる
No.92(49期)心の安全基地
2024/05/14
はじめまして。2007年卒業の宮野育子(旧姓森田)と申します。
雲雀丘学園には幼稚園から高校までお世話になり、また、2人の姉もそれぞれ雲雀丘学園に通っていたことから思い入れが強く、大好きな場所です。さて、この度寄稿のお話をいただき、私ごとではありますが卒業してから現在までのことを少しお話させていただきます。
高校時代、将来のやりたい事が定まらずウジウジと悩んでいた私ですが、恩師の助言を受け、兵庫医療大学(現 兵庫医科大学)看護学部に1期生として入学、卒業しました。
病院に入職後、心臓血管外科・呼吸器外科病棟に2年勤務し、その後HCUへ異動し7年勤務しました。看護師としての毎日はとても忙しいものでしたが、数々の壁に直面しながらも、信頼できる仲間に出会い、助けられ、充実した日々を送っていました。
元々子供が好きだった私は、結婚を期に『母親になる』という目標がついに叶うのだと思っていました。しかし、立て続けに3度の流産を経験し、不育症と診断されました。 流産のショックもさることながら、先の見えない治療からどんどんマイナス思考となり、つらい時期を過ごしました。
思いきって勤務形態を見直して間もなく、長女がお腹に宿ってきてくれ、無事に出産を迎えることができました。 その後、幸運なことに次女を授かることができ、現在3歳、1歳の2児の母として育児に奮闘しています。また、この4月からは職場に復帰する予定です。
看護師という素晴らしい仕事を続けていく上で、つらい経験をしたからこそできる声かけ、行動が必ずあると心に留め、私だからこそできる看護とは何か。試行錯誤していこうと思っています。
先日、職場復帰を前に何年かぶりに母校にお邪魔しました。雲雀丘学園に入った途端、不思議と実家に帰ってきたようなとても温かな穏やかな気持ちになりました。懐かしい先生方とお話しするうちに中学、高校時代にタイムスリップしたかのような感覚になり、『私にはこの場所があるからきっと大丈夫なんだろうな。』と漠然と感じました。14年間、雨の日も風の日も通った雲雀丘学園は私にとって、家族や親友たち同様、心の安全基地のひとつなのかもしれません。
これからも雲雀丘学園で過ごした日々をふと思い出すタイミングがたくさんあると思います。温かい思い出を大切に、育児にも仕事にも邁進していきたいと思います。
宮野育子(2007年卒、小51期・中高49期)
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