校長通信
創立記念日① 第58号
2021/09/27
9月最終週、秋らしくなりました。写真は保健室実習の先生が作成された「遠くの景色を見て目を休めよう」で、中学校舎から西方向です。ここからの夕焼けは私の好きな景観の一つです。高台にある本校は、西に六甲山系・甲山、東に五月山、千里丘陵、北は長尾山山系、そして南は大阪平野と眺めの良い場所で、季節の景観を知ることができます。
10月1日(金)創立記念日・親孝行の日にあたり、2回にわたり学園の創立時のことを書きます。生徒の皆さんには次回の全校集会で少し説明いたします。
昭和24年、「有る物は木造の一教室、土井、石黒の先生2人に36人の生徒だけだった」(創立30年記念誌)川辺郡西谷村立西谷小学校雲雀丘分教場が雲雀丘学園の始まりです。翌年、学校法人雲雀丘学園設立が認可され、同年9月30日開園式が行われ、翌日の10月1日を開園記念日と定められたものが現在の創立記念日となっています。
中学校は昭和28年に男女各1組(男子29名・女子21名)50名で、高等学校は昭和31年に男女各1組(男子55名・女子24名)79名でスタートしました。それが、今年の入学生は中学校170名規模4クラス、、高等学校300名弱7-8クラスになっています。中高1400名、学園全体で2800名となっております。
師範学校文部教官から着任された土井先生はのちに学園長になられ、自叙伝「雲雀丘に芽が出たよ」のなかで学園創立時の教育方針と考え方を記されています。
「父兄にとって、一番の関心事は学力のようである。次に、躾の問題がよく取り上げられる。そうした要望にこたえる教育を押し進めると、上品で勉強の良くできる子供となる。これだけでは、得てして頭デッカチの青白い子供となる。逆境に弱い子供となる。・・・金銭に不自由がないから、おうようである。しかし物を大切にしない。働くことが苦手である。大切にされ、他人から奉仕されることが多いので感謝の気持ちが薄い。これでは実社会に出てからが心配である。逆風に遭遇すれば、たちまち難破してしまう」「健康な体力と、たくましい実践力をもつ、強い人間をつくる」これが私の得た結論だった。創立の精神の後半部分は、この土井先生のお考えが反映されています。
大阪第二師範学校(現在の大阪教育大学)校長から赴任された初代校長板倉操平先生の「わが心の自叙伝」には、私立学校の使命、学校規模について下記のように示されています。
「本人の持つ個性を見出し、それを伸ばせば、結構世の中に出て立派に生活ができる。個性を発見し、それを伸ばすことが教師の大切な仕事であるのに、今日の公立学校ではそれが出来ぬ。私立学校は公立の真似をせず、又有数大学へ入学せしむることのみを誇りとせず、生徒の持つ個性を発見し、それを伸ばすことが中学高校時代大切の任務と思うが、そのためには、学校も大規模にせず少人数の生徒でしかも、先生は6か年持ち上がりにするがよい。」
1クラスからスタートした学校が1400名の学校、2800名の学園になりました。お二人のお言葉は、今の教育にも通じるところが多く、時代が変わってもわれわれが意識しておくべき言葉だと思います。