校長通信
創立記念日① 第57号
2023/10/09
後期生徒会長の認証と共に、創立記念日に関する全校講話を行いました。すでに、各クラスで親孝行の日の取り組みが行われています。例年の通り、学園・中高の歴史を紹介させていただきます。
スタートは1949年です。この地域に学校がなく、地域の住民が学校をつくろうということになりました。池田の師範学校の校長(現在の大阪教育大学学長)に相談に行き、当時35才の土井信男先生が派遣されることになりました。のちの学園長です。
学校をつくるには、お金が必要なので、現在のサントリーの創業者の鳥井信治郎氏に相談に行きました。「まず全員で150万円集めなさい。それが実現すれば創設委員長を引き受けよう」とおっしゃいました。「この学校は地域の全員が力を合わせてつくる」という意図だったようです。結局、目標200万円でしたが足りませんでした。不足分は鳥井先生が黙って出されたそうです。
創設趣意書には「独立の小学校とし更に接続の中学校をつくり一大総合雲雀丘学園にしていきたいとの高遠なる希望」とあります。先生2人の「貧乏学校」は現在、創立70年を超え、先生200名、子供たちは幼小中高2800名を超える総合学園となりました。校舎設備も整いました。年譜は以下です。
1953年、板倉操平先生(元池田師範学校校長)が中学校長に就任。男女各1組(男子29名女子21名)で中学開校式。
1954年、鉄筋3階建の中学校舎が完成。
1956年、男女各1組(男子55名、女子24名)で高校開校式。
1958年、10月1日学園歌制定、11月学園講堂が完成。
1959年、第1回高校卒業式(卒業生64名)、創立10周年記念式典。
一気に書き上げましたが、創立にかかわるの方々のご苦労は大変なものでありました。学園誌によると「1ヶ月しか猶予がないのである。しかも土地も建物も金もない。無から有を生じるような学校であった」「借家住まいの学校では父兄も教師もやがては子供にまで不安感が生じるようになり、その頃の神戸新聞に「雲雀丘の学校つぶれるか」といったような記事が出たほどであった」とあります。
一方、子供たちのために教育のために高い志がありました。「研究に値する案が話し合われたことがある。それはこの地域を中心にして教育委員会をつくり、教育長も決めて学校をつくっていってはどうか。公立と私立を折衷したような考え方で自分たちで責任をもって理想の学校教育をやろうということであった」このような考えから地域全体から募金を募る運動へと発展したようです。今でいう学校協議会やCommunitySchoolの考え方かも知れません。公立校にない新しい教育、高いレベルを求められていました。
そこに鳥井信治郎氏に初代理事長をお願いし、物心ともに大きな支援を受けることになりました。1950年に私立学校は新制度の学校法人になり、法務局登記の第一号でした。みなさんの思いが詰まったすばらしい創立の精神ができあがりました。
災害用備蓄品の入替に先立ち、備蓄品を持ち帰ってもらおうと思います。ご家庭でも災害時の対応についてお話しいただきたいと思います。また、生徒の皆さんには,地域のリーダーとして社会的弱者へのケアの視点も持っていただきたいとお話ししました。
2学期中間考査に向けて全力で頑張りましょう!