学園ブログ

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常務理事便り

2024年05月31日

Vol 10 里田んぼ にて

~雲雀丘学園常務理事 成地 勉~

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一昨日、昨日と少しずつ、梅雨の匂いがし始めました。この二日間を使い、小学校は2年生がひばりの「里田んぼ」の代掻き、3年生は田植えを行いました。昨日の田植えには昨年いただいた博報賞の審査員の先生方も見学に来られ、どのような理念のもと実施されているのか、子どもたちは田んぼや田植えをどのように受け止めているのかなど、教育の現場を視察されました。私はその場にいなかったのですが、報告によると、博報賞にふさわしい活動と評価をいただいたようです。特に田植えだけではなく、稲刈りや脱穀をし、最終それを食べるところまでを、子どもたち自身が視野に入れながら活動していることが、田植えだけで終わってしまう多くの他校とは違うと驚かれ、称賛していただいたとのことでした。

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 日本人と稲作は切っても切れないものです。弥生の頃より、米を食することで生活を営み、子孫を残したわけです。日本人のDNAには心身の両面において、米作りを通じて得られる多くのことが残されているのではないでしょうか。その意味で稲作は日本人や日本の文化を形作っている礎といっても過言ではないでしょう。米を毎年作っていくには、田んぼの土が弱くならないように自然の腐葉土などを肥料にして地力を維持してきました。雑草や虫の害、あるいは大風や大雨に悩まされながら、米を作ってきました。日照りが続くと米は枯れ、飢饉が訪れたでしょう。このようなことから、日本人は自然を畏れ、自然の八百万に神が存在することを信じ、それを鎮めたり、感謝したりする日本的な信仰が生まれ、日本文化の根幹となりました。また、コメ作りは適した自然の気候、一定の時の経過などが必要ですので、自分一人だけでは何もできません。多くの仲間と心を一つにして助け合いながらでないと難しいのです。そこで日本人はほかの人を慮る、気遣う、合意に時間をかける、和を貴ぶなどの民族的な特質をもつに至ったように思います。小麦の文化、肉、バター、乳の文化が入ってきたのは戦後のアメリカの占領政策以降のことです。その是非についてここでは論じませんが、営々と築いてきた我々の文化が戦後、漂流し始めているような気がしてなりません。日本人が本来持っていた自然や仲間を貴ぶ心が、米作りを通じて子どもたちの中に自然と芽生えることを願っています。

 SDGsが今ほど話題になるはるか以前から、日本人は極めてSDGs的だったのです。