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常務理事便り
2025年01月17日
Vol44 30年前
~雲雀丘学園常務理事 成地 勉~
30年前、私は三田市ニュータウンのマンション15Fに住んでいました。丁度、大学の10日間の寒稽古が終了し、連休にからだを休めて、さぁ、出勤だ、という17日の夜明け直前でした。
柔構造のマンションの上層階が突然揺れだし、あっという間に食器棚が倒れ、食器が飛び出してすべて割れてしまう轟音でした。私と家内はそれぞれが隣に寝ていた、まだ小さかった子どもに本能的に覆いかぶさりました。たぶん数秒間だと思いますがあまりにも大きく揺れたので、倒れてしまう!と思ったほどでした。TVは映りましたので、すぐに点けますとNHK大阪局が出て、大阪では瓦が一部落ちた程度、といった放送だったと記憶しています。しかし、夜明けとともに地震の全容が明らかに前代未聞の大地震であったことが分かったのでした。すぐさま、三田から妻方の祖母が一人で住む西宮に車を走らせました。裏六甲の道路には崩れて落ちた大岩が道を塞いでいましたが、何とかすり抜けることができました。甲東園では新幹線の高架が落下し、その隙間を走り抜け、ようやく門戸厄神の祖母宅近くにきますと、傍の阪急今津線に171号線の高架が落下し線路をふさいでいました。「これはアカン!おばあちゃんは・・」と思いながら祖母の家につきました。案の定、全壊状態でした。家の形は原型をとどめていましたが、大きく傾き、居間部分の屋根は落ち、壁が落ち、内は崩壊状態でした。しかし、幸いにも祖母の寝室は大きな電灯が天井から落下していましたが崩壊を免れ、祖母は気丈にベッドに座っていたことを鮮明に覚えています。
この阪神淡路大震災では6434名方がなくなられ、25万棟の家屋の全半壊という甚大な被害が発生し、自然災害の恐ろしさをまざまざと我々に見せつけました。更に、この16年後にはこの震災の倍以上の被害となった東日本大震災が起こり、昨年のお正月には能登半島地震が起きています。亡くなられた方、被災された方には心からお悔やみ申し上げます。
そして、南海トラフ地震は30年以内に80%の確率で起きることが予想されています。大陸プレートの移動に伴う地震は、揺れも巨大で、大津波を招く恐れも多いといわれています。被害も広範囲で甚大なることも予想されています。
今を生きる我々は、これまでの震災に学び、防災への準備をしっかりと整えなければなりません。自然災害はそれ自体を防ぐことはできませんが、被害を最小にする取り組みや準備は可能です。児童生徒にも防災教育などを通じて、その脅威やすべき準備を伝えていきますが、ご家庭においても「その時どうする!」を家族間で話し合い、足らずを補っておく良い機会としてほしいと思います。