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2018年07月12日

「ICT活用によるコミュニケーション推進」

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新聞紙面で、「IT」という言葉が以前よく取り上げられていましたが、直近では「ICT」の文字をよく目にするように思います。
「ICT」には、「IT」に「Communication」のワードが入り、技術にあわせて情報共有への「活用」を含めた方向へ潮流があるようです。
この活用について個々の「活動」と照らせ合わせながら、あるコンサル会社のお話をさせていただきます。

同社によると、いろいろな「活動」において、活動の意義が「わかり」そして活動そのものが「でき」、最終的に「成果をだす」一連の流れのなかで、
外部環境による不確実性が大きいなか、活動が「できること」が必ずしも「成果をだすこと」に繋がっておらず、両者の溝は大きいと思われているが、
実際には、ある活動の必要性を理解し「わかって」も、これを具体的な行動「できる」に繋げられていないという溝のほうが大きいと示しています。
さらに、この「わかること」についても、ある程度の情報量の共有がなく、「わかること」に達していないケースが多いとも述べています。
環境等、他責にするのではなく、みずから「行動を行っているか」、そもそもの「理解」がしっかりなさているか、といったところに一石を投じた内容です。

こうしたことは個人だけでなく、特に「理解」については学校、会社など、複数の人との連繋が必要になる組織の場合はさらに大切になると思います。
よく問題が具体的に共通認識されないがため、思考の停滞がおこるといったこともあり、特に企業内では一つのことに複数の部門が関係するがため、
論点がずれたまま、組織の力関係で決着してしまうことになります。
この打開策には、やはり日頃から「現場」レベルでの「情報共有化」という「活動」をしっかりと相互に行い、ワンウェイではなく、またファイアウォールを
取り除いておくことにあると思います。

中坊公平氏が「神は現場に宿る」、織田裕二氏も「事件は現場で起きている」と湾岸警察署でも云っておりましたが、ICTにより「現場・現物・現実」について
情報共有化を推進することが可能な時代になったと感じます。

トランプ政権では保護主義が台頭、いわば経済のブロック化が進行していますが、過去にこうした保護主義がその閉鎖性から戦争につながっていったことは周知のとおりです。
日頃のICTを活用し、こうした「情報の非対称性」を防ぐことは規模の差はあれ、改善にむけたステップであると思います。

(中学校・高等学校 事務長 竹内俊博)

2018年07月04日

「IT社会に思うこと」

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前職での話で恐縮ですが、私が社会人になった1980年頃のこと、お得意先からの注文はすべて電話で受けていました。「オールド○○ケース、リザーブ ○○ケース 赤玉スィートワイン○○ケース、純生大瓶○○ケース、・・・・」等々。新米の私は注文を聞き取るのに四苦八苦、聞き取りのミスで送り先を間違うこともありました。それから10年が経ち1990年頃にはFAXでの注文に変わり、2000年頃にはEOS発注(電子発注)となり、受注ミスはなくなり省力化も進みました。また、携帯電話やメールがなかった時代には、朝から支店中の電話が鳴りっぱなし状態、いつも上司から「早く電話を取れ!」と怒声が飛び交っていました。今のオフィスはどこも本当に静かになりました。
そして、1995年にマイクロソフト社が発売したWindows95により、パソコンが爆発的に普及し、パソコンなしでは仕事が出来ない時代になりました。そしてさらに人口頭脳やロボットが世の中を変える第4次産業革命を迎えようとしています。ここ20~30年の世の中の変化は、凄まじいものがありますが、この変化は今後も間違いなく続くでしょう。

還暦も過ぎ、生来のアナログ人間の私には、想像もつかない世の中の変化や進化が日々進行しています。次代を担う子どもたちには、今やICT教育は不可欠です。しかしながら一方で、私がいつも園児たちに言っている「優しい心」と「強い心」を併せ持つ人になってほしいことと同じように、ICTを自在に操れる知識や技術を身に付けたデジタルな頭脳を持ちながら、0と1だけでは測り知れない人の心の機微を理解し、人とのつながりを大切にする人間力を備えた人に成長してほしいと願っています。その両立がまさに雲雀丘学園が目指す教育だと思っています。

中山台幼稚園園長 長岡 伸幸