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常務理事便り
2019年03月01日
「最善観」
月が替わって3月1日、学園では高等学校の卒業式が開かれました。全国的のこの日は暖かく朝から晴れわたり、講堂横の白梅も満開、ほのかな気品のある香りが漂っていました。お祝いを述べた私は「最善観」という言葉を卒業生に贈りました。雲雀丘学園卒業生として厳しい現実に打ち勝って、誇り高く堂々と生きていってほしいと思っています。
(白梅も満開)
以下私の祝辞を掲載します。
第61期の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。皆さんとは皆さんが高校1年生の時、学園中学校の3年生の時に、私が校長をしていましたので、本日の卒業はより身近に感じ、ひときわ嬉しく思っています。 心からお祝いを申し上げます。
尚、卒業生の中には、雲雀丘学園の二つの幼稚園から小学校、中高等学校と進まれ、15年間通園された方が26名おられます。たくさんの学校の中で雲雀丘学園を選び、学ばれたことに感謝を申し上げるとともに、15年間、支えていただいたご家族の方に、厚くお礼を申し上げたいと思います。
さて平成の時代も終わりを告げようとしています。
平成はバブルの崩壊から始まりました。日本経済は低成長時代に突入し、失われた20年ともいわれました。一方阪神淡路大震災、東日本大震災という未曽有の大災害を経験し激動の時代でありました。平成最後の10年は、インターネットとスマホが急速に普及し、社会生活が大きく変化しました。
ここにきて世界は一層混迷を深め、予測がつかない時代になってきました。このような時代背景の中で皆さんは大学に進学し数年後には実社会に飛び込んでいきます。私はおそらくここ10年で、最も不確実性の高い時代での卒業式だと言えるのではないかと思います。
そんな荒波に船出しようとする皆さんに、今日は一つの言葉を送りたいと思います。それは「最善観」という言葉です。これは教育学者森信三の著書「修身教授録」に出てくる言葉です。
森先生の言葉を引用しますと、「わが身に起こる事柄は、そのすべてがこの私にとって絶対必然であると共に、またこの私にとっては最善なはずだ」ということです。「それゆえ我々はそれに対して一切これを拒まず、一切これを退けず、素直にその一切を受け入れて、そこに隠されている、神の意志を読みとらねばならない」ということです。
私は40年余りにわたる企業人生活を送ってきましたが、時には夜も眠ることができないような日もあり、極度の緊張の中で体調を崩したこともありました。その時私はいつも携えている手帳の最後のページに記した「必要、必然、最善」を読み返すことにしていました。これも「最善観」と同じ考え方です。自分の身の上に起こったことは、自分が生きていく上で必要だから起こったことであり、起こるべくして起こったことであり、自分の人生で最もいいことなのだ、と前向きにとらえました.これが心の安穏と次なるチャレンジに大いに役立ったこと言うまでもありません。
競泳女子のエース、池江璃花子選手は先月12日、自らが白血病であることを公表しました。東京オリンピックでの金メダルをだれもが期待していましたが、神様は池江選手に過酷な試練を与えることになりました。池江選手は翌日ツイッターで「神様は乗り越えられない試練は与えない。克服して必ず戻ってきますと」と語りました。まさに「最善観」です。私は必ずや、東京オリンピックで金メダルを取ってくれるものと信じています
卒業生の皆さん、皆さんの前途は決して平たんではありません。数々の困難が待ち受けているものと思います。そんな時はそれは天の計らい、天が与えた試練と受け止め、そのうえで人事を尽くし天命を待つことが大切だと思います。
皆さんは縁あってこの雲雀丘学園で学びました。私たち教職員も縁あって皆さんと学園生活を共にすることができました。この縁を大切に、皆さんの将来が実り豊かで幸せ多きものになることを祈念してお祝いの言葉とします。 以上
(2019.3.1)