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2007年11月30日

成功者列伝 6 若き日の映画評論家

 もうかなり前のことになるが、神戸のメリケンパークに「映画の碑」ができ、その除幕式に参列されたYさんに直接お話をうかがったことがある。Yさんは有名な映画評論家であったが、私がうかがったのは主に旧制中学の頃の話。
 Yさんは、子供の頃からの映画好きが昂じて、旧制中学の学生になっても、時々学校をさぼって新開地で映画を見たという。そのことが学校にばれて、叱られるはめになる。ところがYさんは、その自分を叱っている先生に映画の魅力をとうとうと話し始める。「映画には学校では教えきれない人生に対する様々な叡智がある。これを若者に見せなくてどうするのか」というのが、主な論点であったとか。
 その時のYさんの迫力はきっとすごかったなに違いないし、また、その先生も生徒の言葉に耳を傾ける柔軟な人であったに違いない。先生はYさんが見たという映画を一人で見に行き、結局、ミイラ取りがミイラになって、生徒全員に対する映画鑑賞会が企画されるにいたったと言う。
 学校を卒業後のYさんは、普通の仕事をしながら、映画館通いを続け、映画評論を雑誌に送り続ける。
やがて雑誌社はこのYさんに目をつけ、Yさんは編集者として雇われることになる。以後の活躍は皆さんご存じのとおり。センダンは双葉より芳しの一席。お後がよろしいようで。 (田畑)

2007年11月26日

成功者列伝 5  包丁一本サラシに巻いて

 Fちゃんとはもう30年来の付き合いになる。といっても一緒に遊んだとか飲みにいったとかしたことはない。ただこちらが彼の行く先々へ足繁く通うだけである。
 はじめは私が勤務していた公立高校のすぐ近くにある小さな寿司屋で出会った。8人も座ればいっぱいになるようなカウンターだけの寿司屋をいつも一人でやっていた。昼休みに時間があると、そこへサービスセットを食べに行く。1500円を先に渡して、よろしくというと、あとはお任せでいろいろな寿司が出てくる。春先には白魚の躍り食い、夏には鮎の背ごし、秋には松茸のお吸い物、冬にはクエのにぎり。ほかにもいろいろ寿司が出されるので、おそらく私からは利益をあげるどころではなかっただろう。Fちゃんは、魚好きの私を大切にしてくれ、私は一週間に一度はその店で至福の時をすごした。
 私の感動はやがて私の友人、同僚に伝わり、ファンが増えた。やがてFちゃんは店のオーナーとの関係が悪くなって、その店をやめ西宮へ移り、その数年後には神戸へ、そしてさらに数年後には明石へと転々とする。すでに彼のファンである私や私の仲間は、時には一緒に、また時には単独で、Fちゃんが移動する度に、その店を確認しに押しかけるのだった。
 今、Fちゃんは念願の店を持ち、店は繁盛の一途をたどっている。予約しないと入れない場合が多い。店がかなり大きくなったので、見習いや寿司職人をやとっている。これは喜んでばかりはいられない。Fちゃんの前にすわらないと、Fちゃん以外が寿司を握ることになる。数年前に食べくらべたら、同じネタを握っても、他の人とFちゃんでは味がちがうことがわかった。
 Fちゃんは高校を出て、日本料理の修業にはいり、その道をただただ脇目もふらずに歩いてきた。今の仕事の様子を聞いてみると、早朝から夜中まで睡眠時間さえ十分でないようだ。客からそれほど高い金額をとることなく、ほかでは味わえないような料理に腕をふるう。料理が生き甲斐であり、仕事であり、一番の関心事らしい。長期の休暇をとることもなくよくまあ続くものだ、と私はいつも感心してしまう。
 Fちゃんは今では、私のような昔からの知り合いだけでなく、近くに住む人々、近くの会社や商店で働く人たちにも人気がある。特に天然物にこだわる彼が大切にしているのは、幼馴染みの漁師さんたちで、彼らはFちゃんの腕に惚れていい魚を持ち込み、その後夜になって客としてカウンターに座ったりするのである。(田畑保行)

2007年11月22日

私立大の学部学科の新設・改組と志望動向

2007年度入試に引き続き、私立大では学部・学科の新設・改組が相次ぎます。一般に新設・改組の学部・学科には志願者が増える傾向にありますので、全体の動向と併せて注意する必要がありそうです。2008年度入試においては、特に首都圏、近畿地区の難関私立大において、学部・学科の新設・改組が行われますので。今回ははその特徴的な動きについて。

1.理工系の学部では、2007年度入試に引き続き、大規模な新設・改組が行われる
 私立大の理工系学部では、2007年度入試に引き続き、大規模な新設・改組を実施する大学が多くなっている。関西では同志社大学工学部が理工学部と生命医科学部に改組、立命館大学に生命科学部が新設される。
ここ最近、理工系の学部は不人気傾向であるが、2007年度入試に新設・改組を行った早稲田大と関西大の理工学系学部において志願者数が大幅に増加した。法政大は、前年のデザイン工学部の新設に引き続き、工学部の改組が予定されており、今回の模試の動向においても、志望者数が増加している。
一方、“医学と工学”や“医学と理学”など医学に関連した学部・学科の新設も引き続き行われており、2008年度入試においては、法政大に生命科学部や、同志社大に生命医科学部が新設される

2.新設の薬学系統の志望状況
 不人気傾向が続く薬学系統であるが、2008年度入試においては、慶応大が共立薬大と統合し、立命館大で薬学部が新設されるため注目されている。なかでも、慶応大・薬の志望者数は、前年の共立薬大時代の志望者数の2倍に増加しており、その人気がうかがえる。主な併願先から想定される受験者層を確認しておきたい。
模試動向では薬学系統志望者数の減少には歯止めがかかった。特に高難易の大学において志望者数が増加している。一方、低難易の大学においては志望者数が減少しており、難易度による二極化がみられている。
3.その他の学部・学科新設の動き
 理工学系統、薬学系統以外でも、首都圏、近畿地区の難関私立大中心に、多くの学部・学科が新設される。関関同立では関西学院大学の人間福祉学部。模擬試験ではここを志望校にあげている人は甲南大学文学部、関西大社会学部、龍谷大社会学部を併願先としている人が多いようです。

2007年11月21日

全国模試に見る私立大学 志望概況

模試から分かる志望動向の三回目です。今日は私立大学の志望動向。昨日の国立大学と同様、前年に引き続き今年の受験生も、経済・経営・商学系統の志望者が全国的に多い傾向のようです。
◆私立大全体では志望者数が増加 
2007年度入試においては私立大全体の志願者数が3年ぶりに増加したが、今回の模試動向でも、難易度の高いの大学では志望者数の増加が目立つ。しかし、比較的難易度の低いの大学では志望者数が減少している大学が多く、人気の二極化がみられる。センター方式の利用拡大、地方会場の新設などがみられる。
◆経済・経営・商学系統は引き続き高人気
ここ数年の傾向と変わらず多くの大学で志望者数が増加しており、系統全体で高人気が続いている。
◆生活科学系統は、児童学での志望者数の減少が目立つ
児童学を中心に、近年新増設が相次いでいる生活科学系統であるが、模試動向では前年の志望者を100とした場合の志望者指数は98と落ち着きをみせている。児童学は、2008年度入試においても新増設が多いが、志望者指数は93となっており、入試競争の緩和がみられそう。
◆保健衛生学系統は、2007年度入試に引き続き、理学療法、作業療法において志望者数が減少
 高人気が続いていた理学療法、作業療法であるが、2007年度入試において志願者数が減少に転じた。今回の模試動向においても、引き続き志望者数が減少しており、大学によっては若干の競争緩和が予想される。
◆理学、工学系統の志望者数は下げ止まり
近年不人気の続いている理学、工学系統であるが、今回の模試動向では共に志望者指数は100と安定している。ここ数年新設・改組が行われている系統であり、その影響もあって、人気が下げ止まっている。 

2007年11月20日

全国模試に見る難関国立大 志望概況

昨日に引き続き全国模試から分かる志望状況の傾向です。今日は難関国10大学(北海道・東北・東京・一橋・東京工業・名古屋・大阪・神戸・九州)の傾向を。
◆難関国立10大学全体の志望者数はやや増加
第1回ベネッセ・駿台マーク模試における難関国立10大学の志望者数は前年より7,639名増え、前年を100とした場合の志望者指数106となった。国公立大全体の志望者指数は105であり、難関国立10大学では後期日程の廃止により募集単位数そのものが減少することを考えると、難関大志向が根強く続いていることがうかがえる。
◆後期日程廃止・縮小の影響
 難関国立10大学では、2007年度入試に引き続いて2008年度入試でも後期日程を廃止・縮小する学部が相次ぎ、この影響が注目される。東京大で理科三類以外の科類の後期日程が一括募集となり募集人員が大幅に削減される影響で、一橋大や東京工業大の後期志望者数の増加が見られる。また、東北大では文<後>、経済<後>で志望者数が増加しており、法<後>、教育<後>の廃止が一因として考えられる。その他、大阪大・医(医)<後>の志望者数が大幅に増加(指数173)しており、これは近隣にある神戸大・医(医)と京都府立医大・医(医)での後期日程廃止が影響していると思われる。
◆全国動向と同様に、経済・経営・商学系統が高人気
 学部系統別では全国の国公立大の動向と同じく、文系では経済・経営・商学系統、理系では工学系統の志望者数増加が目立っており、両学部系統とも前期では10大学全てで志望者数が増加している。

2007年11月19日

2008年入試の志望動向は?

全国の模擬試験受験者の志望校から入試志望動向が見えてきます。
今年の動向は以下の通りだそうです。ひとつの資料として使ってください。
いよいよ追い込みの高3生 がんばれ!

◆経済・経営・商学系統の人気上昇
景況感の回復を受け、経済・経営・商学系統の人気上昇が続いている。今回の模試動向では昨年を100とした場合の志望者指数113と、全学部系統の中で志望者数の増加が最も顕著である。
◆教員養成・教育学系統は落ち着いた人気
教員養成・教育学系統はここ数年改組・再編が続いており、教員養成課程が拡充され、非教員養成課程が廃止・縮小される潮流にある。2008年度入試でも7大学の当該系統学部で課程再編が行われるが、系統全体の人気は落ち着いており、教員養成系統、非教員養成系統ともに前年並の志望者数となっている。
◆理学、工学系統で志望者数増加
理系では理学、工学系統で志望者数増加が目立っている。特に、2007年度入試で数年ぶりに志願者数が増加に転じた工学系統は、昨年を100とした時の志望者指数111と理系で最も志望者数の増加割合が大きく、人気の回復がうかがえる。
◆保健衛生学系統は前年並の人気
保健衛生学系統は、資格志向を背景に高人気が続いていたが、2007年度入試では理学療法、作業療法を中心に志願者数が減少した。今回の模試でも、系統全体の志望者数は前年並であるものの、理学療法、作業療法では志望者数が減少している。
◆医学、歯学、薬学系統は相対的に低人気
 国公立大全体の志望者数が昨年を100とした時の志望者指数105であるのに対し、医学、歯学、薬学系統は、98、92、100と相対的に低人気である。薬学系統は2003年度入試をピークに志願者数の減少が続いているが、人気回復の兆しは見られない。

2007年11月17日

続・ヨーロッパ教育事情瞥見

 ローマを出た後は、スイスのインターラケンに立ち寄り、ユングフラウ登山をした後、いよいよハイデルベルグに向かいました。このハイデルベルグは「アルト・ハイデルベルグ」で有名です。現在でも14万の人口のうち学生は3万という大学都市で、ハイデルベルグ大学はドイツ最古の大学です。一番印象に残ったのは名物の「学生牢」で、これは第一次大戦時に実際の使用を中止したものですが、警察力に頼らず学生の自治によって運営されていたもので、色々考えさせられました。
 ハイデルベルグの後は、日本企業のヨーロッパ基地で有名なデュッセルドルフの日本人学校を視察しました。尤も、次に訪問したオランダのアムステルダムにも、江戸時代から馴染み深いせいか現在でも交流が盛んで、当時は140社の支店がありました。
 アムステルダムでも私学の見学をしました。私学校は、公立教育が国教会(プロテスタント)の教育であることに反撥したカトリック側の要求から生まれたものであるとの説明でしたが、この辺りは日本人の仏教徒である私には全然ピンと来ません。そもそも、「私は仏教徒で」などと言うのも気恥ずかしいくらいのものですが、欧米では今だに進化論を信じない立派な学者がいたりして驚かされることがあります。新大陸であり自由の国、合衆国でさえ一番幅の利くのはWASPだとよくいわれます。これは White Anglo-Saxon Protestant(白人でアングロサクソン系プロテスタント)のことですが、これを聞くと何だか白けた感じになります。パレスチナにせよ、中東、近東にせよ争いの火種は大抵宗教なので、東洋人、とりわけ日本人が特別なのかも知れません。

 大学入試制度において、受験生の学力を測る方法が日本とアメリカが非常に異なることはAO入試をめぐって先日書いたとおりです。単純化すると、日本は個別の大学が行う入学試験、アメリカは業者の行う共通テストでした。これに対してヨーロッパはこれらのどれとも違うようです。それは国家試験で、国が行うものとしては、わが国の「大学入試センター試験」に似ており、共通テストとしてはアメリカのSATに似てはいますが、実態は次のようです。例をイギリスにとって説明してみます。

 イギリスで私たちは英国文部省の教科担当官から講義を受けました。それによると、Ordinary Level(普通級)とAdvanced Level(上級)の2種類の General Certificate of Education(GCE:一般教育証書)があり、前者は16歳で、後者は18歳で受験し、後者が大学入学のためには必須の試験だということでした。
この名称も制度も今回のシリーズの1回目に村本さんに紹介して頂いたスリランカの制度そのままです。考えてみればそれもそのはずで、スリランカの独立前の昔の名前はセイロンで、インドの一地方でした。そのインドは長い間イギリスの統治下にありましたから、当然といえば当然かもしれませんが、昔のままの全く同じ名称、同じ制度というのはいかにものんびりしたお国柄を思わせます。(尤も本家の英国では現在はAdvanced Levelの呼称はそのままのようですが、Ordinary Levelは GCSE (General Certificate of Secondary Education) と呼んでいて、 Ordinary という言葉は使わないようです。)

 イギリスで大いに興味を感じたのはパブリック・スクールの存在です。「パブリック」というからには公立かと思うと、これが私立で、私たちが訪れたのは、その中でも名門中の名門、首相を21人も輩出したというイートン校でした。超エリート校で大英帝国を支えた学校だとよく言われます。現在でも超エリート校なのは故・ダイアナ妃の2人の王子もここで学んだことからでも分かります。なにしろ創立は1440年です。当時、学問をするには学者を自宅に呼ぶか、寄留させるかの方法しかなかったところ、ヘンリー六世が貧乏な学生を集めて住居と教育を与えてケンブリッジのキングズカレッジに送り込む意図の下に創設したものだそうで、貴族の「プライベート」な教育方法ではなく「パブリック」だというわけなのでしょう。
 ところで、後年オーストラリアに生徒を引率して、当時交流していたオーストラリアのメルボルン近郊のジーロングを訪問したとき、当地のコライオ校の校長先生がかつてはイートン校の寮長だったと聞き、懐かしく思ったものでした。このコライオ校には生徒のホームステイで大変お世話になっていたものでした。さらに余談ですが、先程、故・ダイアナ妃の名前を出しましたが、思い出しついで付け加えると、コライオ校に付属のジーロング・グラマー・スクールの山の分校であるティンバートップ校に腕白盛りのチャールズ皇太子が1年ほど在学していたことがあるそうです。

 イギリスの教育制度もイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドなどの各地域によって異なり、単線型の日本に比べると、合衆国同様、複線型で非常に複雑な構造になっています。昔はイギリスは階級意識が非常に強く、伝統的に「パン屋の子はパン屋、学問は要らない」ので、パン屋の子が大学に行くなどということはとんでもない非常識のように考えられていましたが、我々が訪問した1980年代から徐々に変わり始め、大学への進学率は1970年代の5~6%から、平成15年度版の文部科学省の「教育指標の国際比較」によると、高等教育進学率は60.0%[2000年]と驚異的な伸びを示しています。これは1980年代後半から高等教育の拡大政策が採用され、普通の進学者以外に成人進学者が急増したことに原因があるようで、それを除くと30%。程度と推測されます。いずれにしても劇的に増加していることは確かです。

 少し長くなりました。「教育事情瞥見」などと称しましたが、結局、四方山話に終始してしまった感じがします。まだロンドンもパリも残っているのですが、割愛します。

文責: 山本正彦

2007年11月16日

ヨーロッパ教育事情瞥見

 昨日の項の最後の部分に「日本はアメリカに比べると、教育制度的には、いわゆる「発展途上国」なのではなかろうかと思ったりもしてしまいます。」などと書きましたが、昨日の夕刻の民放のニュースで韓国のある大統領候補が現在の中学2年生が高校3年になる2011年に大学入試を全面廃止すると公約したそうで、早速、インターネットで調べてみました。それによると、彼は5日の記者懇談会で「『大学入学試験を廃止して修学能力試験を高校卒業資格試験に転換、先進国型内申を主として選抜する』とし『本考査を受ける国は日本とメキシコくらいで、内申主の選抜がグローバルスタンダードだ』と明らかにした」そうです。「日本とメキシコくらい」はすこしひどいようですが、ブログで書いた内容と同じようなことを考えている人が、同じ日にニュースに登場したのには少し驚きました。

 ところで、今回のシリーズの初回で触れたように、二十年以上も昔のことですが、兵庫県私学総連合会の主催したヨーロッパ教育事情視察団に雲雀丘学園の職員として参加してヨーロッパの6カ国を2週間ばかり廻りました。イタリアのローマを起点として、スイス、ドイツと北上し、オランダまで達すると飛行機でロンドンに飛び、ロンドンの次はパリを訪問、最後にパリから帰国しました。宿泊した都市はローマ、フィレンツェ、ベニス、インターラーケン、ハイデルベルグ、デュッセルドルフ、アムステルダム、ロンドン、パリで、各地の学校施設を視察というよりは見学してまわりました。その傍ら息抜きに、際立った名所旧跡、博物館(大英博物館など)、美術館(ウフィッツ美術館、ルーブル美術館など)も見聞できたのは幸運でした。
 当地で強く感じたのは教育を取り巻く環境が日本と非常に異なっていることでした。何しろ1983年のことで、二十年以上昔のことになります。当時を振り返りながら現在の事情も織り交ぜて「瞥見」することにします。
 大阪や神戸のような都市はトイレ休憩で下車したフランクフルトぐらいなもので、訪問した都市は古都が多く、至る所に教会の尖塔が空高く聳え立って、宗教的伝統が根強く残っているのが印象的でした。「『神は死んだ』なんて言ったのは誰の台詞だったっけ。」などと思ったくらい宗教も過去も根強く残っているようで、特にローマなどは、悪く言えば、骨董屋の中にまぎれこんだような気がしたものでした。
 そのローマではサンタ・マリア学院という私学の名門校を訪問しました。詳述すればきりがありません。時々友人の海外旅行のアルバムを説明つきで見せられて閉口することがありますが、同じ愚を冒すことになるので、特に印象に残ったことだけを書きます。
 それは非行に対する考え方です。学院によると、非行の根本原因は家庭にあり、学院にそぐわぬ行動をとるものは、自ら選んだ学院の教育を自ら否定し、学院に存在する意味を自ら放棄するするものである・・・・・・従って、家庭と本人と十分話し合いの上、退学してもらうことになるということでした。驚いたのは、飲酒や喫煙は決して非行とはみなさず、喫煙を希望するものには時間・場所を指定していることでした。学院側は許可をしているのではなく、あくまで管理上の処置に過ぎず、許可する、しないは学院の問題ではなく、家庭の問題であり、その生徒、学生個人の問題であるとのことで、ただし、管理上の規定を破ったものは罰金1万リラ(当時)を徴収するとのことでした。この学院は教会をもっており、教育のバックボーンは宗教(カトリック教)で入学条件には親がどの程度宗教心をもっているかを観て、態度のあいまいな場合は入学を断るということでした。この飲酒・喫煙に関する規定もサン・ピエトロ大聖堂のあるローマで、天を目指して屹立する教会の尖塔をあちこちに眺めていると何となく納得させられる気がしたものです。あれから24年、日本流に言えば二周り廻ったことになりますが、その後あの規定はどうなったか知りたいものです。EU統合を経た今日ですが、そう変わっているとは思えません。
 ローマは右を向いても、左を向いても、歴史の教科書のような街で、アッピア街道、フォロ・ロマーノをはじめとして、3日間、遺跡、名所、美術作品などを見聞して廻りました。フィレンツェ、ベニスでは教科書とか画集などでしかお目にかかれなかったミケランジェロ、ダヴィンチ、ボッティチェリなどの天才たちのオリジナルの絵画、彫刻に目を瞠りました。

文責: 山本正彦

2007年11月15日

アメリカ教育事情瞥見

 海外の教育事情瞥見のつもりでAO入試に触れていたらかなり道草を食ってしまいました。アメリカの教育事情にもどります。
 一昨日も書きましたが、日本の教育制度は戦後、当時の連合国総司令部によって合衆国の制度を下敷きにして作られたものだから、そう変わりは無いだろうと思っていましたが、とんでもない大違いで、ちょっと覗いてみただけでも、日本とは大変な違いです。我ながら迂闊さと無知に呆れました。
 私の承知していたアメリカの高等学校の教育事情とは次のとおりです。
    * ホームルーム方式ではなく、時間制で教室を移動する授業体系
    * 講義式の一斉授業ではなく、質疑応答式の授業
    * 年度は9月から始まる
 これくらいなもので、残りは日本大体同じだと思っていました。実にお寒い限りです。

 合衆国には日本の文部科学省にあたるものはなく、連邦政府全体の教育庁があるにはあるが、これはせいぜい予算配分などの業務に当たるくらいなものらしい。国の成り立ちが日本の都道府県とはまるで異なり、各州が国のようなもので、各州が州法によって統治されているからで、各州の教育委員会が教育内容をきめる。従って、各州毎に教育制度は当然異なることになります。しかもその拘束力はそれほど強いものではなく、同じ州内でも修学年限でさえ自由裁量に任される場合があるようです。ただ学校の運営は州教育委員会の下に置かれている学区が公立学校の管理運営上の大きな権限を有しているようです。修学年限でさえこのとおりですから、学期、教育内容も規定は無い。検定教科書はない。従って、如何に教えるかではなく何を教えるかが問題になる。教科科目も一様ではない、等々。一々数え挙げたらキリがありません。
 従って、共通テストが必要になるわけで、これが一昨日に触れたETS(Educational Testing Service)というテスト業者が年数回全世界で行うSAT(Scholastic Assessment Test)とAssessment Program が行うACT(American College Test)という全米統一試験があるわけです。4年制の大学の75%位がこれを基準にしているようです。

 教育制度については「瞥見」なのでこれくらいにしておきます。

 実に日本の教育制度は合衆国のそれに比べると拍子抜けがするくらい単純明瞭です。文部科学省というお上のご沙汰でトップダウンで事が決まるのは、日本はアメリカに比べると、教育制度的には、いわゆる「発展途上国」なのではなかろうかと思ったりもしてしまいます。事実、学力の国際比較でも、諸外国に比べ精彩を欠くようになり、「学力低下」が取り沙汰されるようになっています。戦後60年を超えた今日、制度疲労が起きているようです。制度そのものを変えなければならない時期にきているのかもしれません。

文責 山本正彦

2007年11月14日

続・AO入試

 しかし、この方式の効果が顕著だったのは最初の5年ばかりだったようです。何事にせよ土着して浸透するに従って、斬新さが失われて「和式」になっていくもので、これは何も高校側がSFCのAO入試に対して「傾向と対策」を練って対応したからばかりではないでしょう。5年も経つと思い通りの学生が集まらなくなり、2000年には普通の推薦入試と形式こそ変われ、大差がなくなってしまいます。
ともあれ、AO入試はその後1994年に立命館大学が取り入れ、徐々に私立大学の間に拡がっていきましたが、2000年あたりから激増し、最近ではすっかり定着し、私学はおろか国公立の大学も採用するようになっています。

 AO入試の現状ですが、日本の大学には合衆国のAdmissions Office に相当する入試担当事務局が存在しないので、事務員と教員が協力して(実態は教員が中心になって)行っているようです。出題、選抜方法、実施時期は大学によって色々です。大体は大学が「求める学生像」を提示し、それに対して受験生はエントリーシートでそれに応募します。入試事務局とやりとりを行った後正式に出願するということになります。大学側は書類審査で絞ったあと、面接や小論文、実技、適性検査など様々な方法で選抜するのが一般的のようです。時期的にも早く実施されること、また学力試験がないので、従来の入試では断念せざるを得なかった大学に入学できたり、適性に合致した大学を選ぶことが可能になるなど有利な点もあるのですが、逆に、学力試験が無いので合格できてしまったため、あとで大学の授業のレベルについていけないなどという悲惨なことにもなりかねませんので注意も必要です。(すでに合格している諸君は十分覚悟して臨む必要があります。)

 文部科学省の発表では、今年度の入試で初めて、私立大学の一般入試による入学者が5割を切り、49.6%となりました。それに対して増加したのが推薦入試とAO入試による入学者で、これが49.8%を占めることになり、一般入試の比率を上回ることになりました。私立大学の入学者実数は47万6823人で、このうち一般入試での入学者は23万6669人、推薦入試は19万8143人(41.6%)、AO入試が3万9225人(8.2%)となって、この推薦入試分とAO入試分の合計(23万7368人)が、一般入試を上回ったのです。(昨年度は一般入試の方がこの合計数を7670人上回っていました。)特に、AO入試の増加率はめざましく6254人の増加になっています。推薦入試の増加は3993人にすぎませんから、この一般入試が凌駕された一番の原因はAO入試の激増に他なりません。
 又、国公立大学でも、従来は30%を目安とされていた推薦入試の募集定員の比率が、2008年度入試から推薦入試とAO入試をあわせて50%まで可能になりました。
現に、各国公立大学が7月までに公表した選抜要項の概要によると、推薦・AO入試の大学・学部の実施率は過去最高を示しています。推薦入試は国公立大学142大学(91.6%)、402学部(74.0%)、AO入試は59大学(38.1%)、154学部(28.4%)となっています。
国公立大学も法人化されて、少子化の影響もあり、私立並みに学生の獲得に本腰をいれて考えるようになった結果といえるでしょう。

  文責 山本正彦

2007年11月13日

AO入試

 大学の入試方式で近年わが国の入試制度に強いインパクトを与えたのはAO入試でしょう。AO入試という耳慣れない用語を聞き始めたのは、1990年(平成2年)からです。『OA入試』のうち、『AO』というのは ‘Admissions Office’ のことで、これを始めて聞いたときは、アメリカ流の入試方式の一つのことなんだろうと簡単に受け取っていました。しかし、とにかくそれはとても新しい方式らしいという感じはしま
た。
 それ以前の推薦入試に、例えば亜細亜大学が行った一芸入試という風変わりな入試がありました。魚を三枚におろす特技で合格した受験生がいたらしいなんてことが、真偽のほどはともかく、噂になったこともありました。現に、担任をしていた我がクラスからこの亜細亜大学の一芸入試で入学を果たした生徒がいました。(何の特技で合格したのか、なにしろ1990年以前のことで、残念ながら忘れてしまいました。)
 しかし、この『OA入試』というのはそれまでのその種類の入試制度と異なり、画期的に新しいらしいということが段々分かってきました。『AO』というのは ‘Admissions Office’ のことだから、『入学許可事務局』とでもいった意味で、この事務局が扱う推薦入試の一種だろうというふうに考えていましたが、ここが一番違う点で、AO入試というのは推薦入試ではない。つまり、推薦は不要だということです。さらに、入学『試験』でもないらしいのです。
 無知をさらけ出すようですが、戦後の日本の教育制度はアメリカのそれをを模倣しているのだから、迂闊にも、アメリカにも日本のように入学試験があって、大学の教員が入試問題をつくるものだと漠然と考えていました。ところが、アメリカでは入学生の選抜に当たっては、教員はタッチしないものらしい。この事実にはまったく驚きました。合衆国には入学試験はなくその代わりに、ETS(Educational Testing Service)というテスト業者(因みにこの業者はおなじみTOEIC とかTOEFLなどの英語検定試験も作っています)が年数回全世界で行うSAT(Scholastic Assessment Test)とAssessment Program が行うACT(American College Test)というテスト結果を入学基準にするらしい。SATが共通テストという意味では日本の大学入試センターの行うセンター試験に似てはいますが、日本の場合、これはほんの予備試験のようなもので、その後それぞれ個別の大学の教授たちが腕によりをかけた二次試験が待ち受けているわけですから用途はまるで異なります。もちろん、選抜に当たっては書類選考が基本となるようです。
 AO入試を日本で華々しく導入したのは慶応大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)の総合政策学部、環境情報学部でした。前述のように1990年のことです。「筆記試験によらず書類審査と面接によって多面的、総合的に評価」されるもので、従来の筆記試験による入試と激しく対立するものでしたから話題を呼びました。尤も、アメリカのような事務局はないので、事務員と教員がほぼ総動員で、膨大な経費と時間をかけて実施されたようですが結果は大成功で、大学側の思惑通り一般的な入試では得られないような優秀で、個性的な学生を確保できたようです。
 事実、多くの学生のベンチャー起業家や、Webコンテンツ産業の創業者が輩出し、起業家を育てたり、メディア産業にも優秀な人材を多数送り出したりして華々しい出発をして話題を呼びました。

文責 山本正彦

2007年11月12日

スリランカ大学事情瞥見

 スリランカに駐在の夫君に付き添って在住している妻の友人から、時々『コロンボ通信』と称するメールが届きます。先日、次のようなメールが届きました。一部をそのまま引用して紹介しましょう。

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 スリランカには私立の大学は無く、すべて国立です。

 その入学に当たっては、国が行う二種類の試験に合格しなければなりません。
日本でいえば中学卒業時くらいの年齢のときに、Ordinary Levelを受験し、それに合格すれば上級学校へ進学します。
 数年の後、今度はAdvanced Levelの試験を受け、それに合格した者だけが大学へ進学できます。
スリランカでは、かなり狭き門となります。

 かなり早い時期から選択が行われるので、親たちの教育熱は相当なものです。
しかし、大学を卒業しても、就職難のこの国では、すぐに希望した職種につけるわけではないので、それからも競争です。
 能力の無い子供を持った金持ちは、早い時期に子供を海外の学校へ留学させます。
お金次第で将来が決まるというのは悲しいことですが、これが現実です。

 ところで、我が家はコロンボ大学の近くに位置しているので、週に数回そのグラウンドでウォーキングをやっています。
芝というか、雑草というか、とにかく草の生い茂ったグラウンドです。
1周すると約1kmになるのですが、その中で多種多様な競技を行っています。
サッカー、ラグビー、クリケット、野球などの球技をひとつのグラウンドでシェアして行います。従って、勢いあまって別の球技の領域にボールが入ってしまうこともたびたびです。でも、それをちっとも気にしていないので、笑ってしまいます。
さらに、それらの球技の隙間を縫って、ハードルや槍投げなども行っていました。
おおらかと言うか、いい加減と言うか。

文: 村本孝子
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「所変われば品変わる」といいますが、日本とは大分様子が違うようです。

 二十年以上も前のことですが、兵庫県私学総連合会の主催したヨーロッパ教育事情視察団に雲雀丘学園の職員として参加、イタリア、スイス、ドイツ、オランダ、イギリス、フランスなどの六カ国を二週間ばかり、駆け足で廻ったことがあります。当地で強く感じたのは日本と教育事情が非常に違ったことです。
そこで、今回のシリーズは海外教育事情瞥見とでも題して書こうと思い立ちました。将来、留学を考えている人には多少の参考になるかもしれません。

 文責: 山本正彦    

2007年11月09日

こんな記事見つけた。 パート3!

   7年連続ゴールドグラブ賞!
 MLB大リーグで守りに秀でた選手に贈られるゴールドグラブ賞の
 受賞者が6日発表されア・リーグの外野手でイチロー(マリナーズ)が渡米
 した01年から7年連続7度目の受賞を果たした!
 右翼が定位置だったイチローは今季初めてシーズンを通して中堅を守り
 433度の守備機会で失策は一つだけ!
 守備率は9割9分8厘!!!!1

 幼少の頃より野球を始めるが彼の野球人生はそんなに輝かしいものでは
 なかった。高校野球・・・甲子園に2年の夏、3年の春に出場するも1回戦で
 姿を消す。
 1991年外野手としてドラフト4位でオリックスへ入団、3年目の94年に
 レギュラーに定着94年から2000年まで日本でも7年連続ゴールデングラブ賞
 ベストナイン、首位打者のタイトルを受賞2001年入札制度を利用して
 大リーグ、のマリナーズに入団!野手としては日本人初のメジャーリーガー
 松井秀喜選手や松坂大輔選手のような派手な印象はないが(私の中では)
 野球にかけるひたむきな努力は計り知れない!
 世の中の人はイチローを天才と言うが・・・・・・・・
 確かに野球のセンスは抜群だが彼の自己管理は素晴らしい!
 本物のスポーッマンだと常々思う。
 打撃・盗塁・守備とまさに三拍子すべてに成果を上げている。
 自分の夢に向かって年を重ねるごとに輝いていくイチロー!!!
 夢を現実にしていく!そんな人生を歩んで行きたいですね。
 


2007年11月07日

 こんな記事見つけました。パート2

  達人に学ぶ時間管理術

時間管理は自分がハッピーになるためにするもの!と言う
佐々木かをりさん→(株)イー・ウーマン代表取締役社長
なぜ時間管理が大切なのか?
時間管理が出来ていると、思ったことを計画通りに終わらせることが出来る。
 期待している行動=その日の実際の行動=ハッピー
これが佐々木さんの「幸せの方程式」だそうです。
凡人の私達にも一日は24時間、皆平等に与えられています。
今、特に時間管理に目覚めてほしい学生諸君!
人生のドラマの主役は自分自身です!
時間管理のひとつの方法はメモです。手帳を使って時間管理
つまり行動管理をしてみてはいかがでしょうか。
手帳に書き込んで常にそれを見ながら行動する、書くことで自分が
今、何をしなければならないのか、何がやりたいのか
はっきり見えてきます。
        予定を手帳に書き込む
              ↓
        手帳を見ながら行動
              ↓
        ほぼ予定通りの行動が出来る
              ↓
        達成感で満たされる
決めたことが実現出来ると気持ち良い一日を送ることが出来るし
それが毎日続くと幸せな気持ちにもなれます。
受験生の皆さん目標達成のため、時間管理を!
参考にしていただけたら幸いです。    
 

2007年11月06日

こんな記事見つけました!パート1

 親の年収400万円未満 → 授業料タダ 東大
11月5日(月)の夕刊に「教育の機会均等を保障したい」
国立大では初めて、経済的に恵まれない家庭からも受験しやすくするために!
東京大学の05年の調査によると親の年収950万円以上の学生51%
に達するが450万円未満の学生も14%いるとのこと。
そこで東京大学が来年度から親の年収(給与所得)が400万円未満
の学部生の授業料を無条件でゼロにする。
優秀な学生の獲得につなげたいと言う狙いものぞく。
免除になる収入額を事前に示し対象も拡大
「経済的に恵まれない家庭からもあきらめず受験してほしい!」
と平尾公彦副学長。
ちなみに東京大学は来年度から大学院博士課程でも
大半の学生の授業料を実質ゼロにすることを決めている。
受験生の皆さんチャンスです。
トライする価値ありですね!
時間を上手に使って目標に向かって努力してください!  

2007年11月05日

みぃつけたぁ~

IMG_0004s.jpg 文化の日を利用をして,ふる~い26年前の卒業生と3人で古都の都、京都を散策。プライベートでこの時期京都は初めて! 連休とあって沢山の人、人、人でした。こんなに沢山の人混みはお正月の時にしか経験したことがなかったのでビックリしました。

 八坂神社の近くで人だかりが・・・・・・。好奇心旺盛な私たちはその輪の中へ。な,なんと,ハーレーダビットソン! しかも見たこともない初めて見る型!しばらくそこから動けませんでした。周りは急遽撮影会状態。一方通行のところに入り込んでしまい、バックで移動とのこと。お腹に響くエンジンの音を残し、去って行きました。な~んか,得した気分!
 ハーレは一度は乗ってみたい、乗せてもらいたい車ですね。ん?私だけかな?
 再びそこには京の静けさが戻ってきました。日々の忙しさから癒しの紅葉を求めて来ましたが、温暖化のせいか,紅葉はまだまだでした。 

2007年11月01日

ちょっとした話2

 昔、ある牛飼いの人とその3人の息子が住んでいました。その牛飼いの人は17頭の牛を持っていて、ある日遺言を残して死んでしまいました。その遺言は、「長男には2分の1、次男には3分の1、三男には9分の1で牛を分けなさい」というものでした。3人の息子は17頭の牛を遺言通りに分けられず困っていると、そこに商人が通りかかり、その話を聞き、自分の牛を1頭与えて分けるように言いました。そこで、長男は9頭、次男は6頭、三男は2頭をもらい、余った1頭を商人に返し、めでたし、めでたしという物語があります。
 これは、算数が出来るものには納得のいくものですが、この話には続きがあるそうです。
 この話を知っていたある商人が、同じような場面に遭遇したのです。ただ、遺言が少し違っていて、「長男には2分の1、次男には3分の1、三男には6分の1」だったのです。同じだと思った商人は、やはり同じように自分の牛を1頭与えて分けさしたそうです。そうすると、長男が9頭、次男が6頭、三男が3頭で、1頭も余らず、商人が牛を1頭損したという話です。分数計算さえ出来れば、損をしなかったのにということです。
 解説すると、2分の1+3分の1+9分の1=18分の17で18分の1余り、2分の1+3分の1+6分の1=18分の18=1で余らなかったということです。以上、算数雑学話でした。