余白
ここ数日のブログを読み返して、反省。赤面。実は、初めてブログなるものを書きました。文字だらけで読みにくいですね。そんな訳で、この秋晴れの下、何を思うか。
サウンドスケープ論で知られるマリー・シェーファーという人は、「音分裂症」という言葉を使っていますが、とにかく現代社会は様々な音にあふれ、本当の「沈黙」というものがありません。音に限らず、時間も空間も何かが収まっていないと気が済まないのが現代人の危機的状況であるような気がします。
「漢検が終わったら、さあ、来週は模試があるね。」
生徒にそう言いながらも、彼らが近視眼的になってはいないかを心配します。
いま、自分がどこにいて、何をなすべきかを的確につかむには、大空から地上を眺める鳥の視点が必要です。焦らせ、急がせ、追い立てておいて、「ゆとり」も持てと言うのは矛盾するのですが。
日々やるべきことに追われる忙しさの一方で、暇な時間までも、テレビやパソコン、携帯等のおかげで退屈することがないのが現代社会です。
だからこそ、「余白」。
何もすることのない時間、一人で過ごす空間、「余白」をもてあますことなく、上手に楽しみたいものです。自戒も含めて、そんなことを考えます。
「昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく) 明日をのみ思ひわづらふ 」
島崎藤村『千曲川旅情のうた』より