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2007年06月23日

三たび慶応義塾について

 前回、私は「大学はむしろ原理原則を勉強するところであり、基礎研究を行うところだと思います」と書きました。図らずも、「虚学のすすめ」を書いたことになります。しかし、慶応義塾のことを忘れていたわけではありません。今回のシリーズは慶応義塾で始めましたから、書きながら「実学」の二字が頭から離れませんでした。それで、改めて考えてみることにしました。
 先日、「昔々読んだ彼(福沢諭吉)の著作の中で、腑に落ちて、今でも残っているもののうち、慶応義塾の精神となっているものは、「独立自尊」ということと「実学」の二つです」と書きました。このうち、「独立自尊」については少し触れました。残るは「実学」についてです。
「実学」の反対概念は「虚学」でしょう。しかし、この「虚学」というのは、どうも嫌な響きです。念のため、『広辞苑』で引いてみたが、果たして載っていません。やはり余程幅の利かない言葉なのでしょう。「虚実皮膜」というのは近松門左衛門の演劇論を代表する概念です。ちゃんと『広辞苑』には載っています。「虚数」というのも数学上の立派な概念です。しかし、どうもこの「虚学」というのは体裁が悪い。それはそうでしょう。この「虚学」という概念を立てれば、さしづめ、受験勉強などは虚学の最たるものということになるでしょう。
 私は「実学」に異を立てている訳ではありません。役に立つ学問が悪いわけがありません。ただ、私は大学は原理原則を学び、研究するのが本筋であろうと思うだけです。先日の連携講座の時、土屋先生も「実学」の紹介の際に、「自分は必ずしも大学は実学のみを目指すべきものではなく、別の意見をもっていないわけではないが云々」というような意味のことを言われていました。(こういうことを慶応義塾の先生が公言できるのも、SFCの自由でのびのびした雰囲気がよく伝わってきます。)
 しかし、よくよく考えてみると、この「実学」というものが分からない。この定義から固めてみようと思って、インターネットで検索してみましたが、雑駁で(ないかも知れないが、玉石混淆、数が多すぎて)要領を得ない。今、問題にしているのは「慶応義塾の『実学』の精神」だから、諭吉の真意は、やはり、ご本尊の本で確かめる他はありません。そこで、彼の代表作『学問ノススメ』で確かめてみることにしました。
 書庫の中で汗だくになり、やっと探し当てて開いてみました。途端に、黴臭い匂いと共にその文体や語彙から旧幕から明治にかけての、古臭い匂いも漂ってきます。「実学」については初編にすぐ出てきます。「・・・学問とは、ただむづかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上の実なき文学をいふにあらず。・・・古来世間の儒者・和学者などの申すやう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて、親心に心配する者あり。無理からぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして、日用の間に合はぬ証拠なり。されば今、かかる実なき学問はまづ次にし、もっぱら勤べきは、人間普通日用に近き実学なり・・・」
 これで、彼の「実学」に寄せている意味が大体呑み込めました。明治以前、「学問」といえば、幕府の御用学問の朱子学をはじめとする、儒学のことを意味していたのでした。ですから明治初年辺りに「漢学者」とか「道学者先生」といえば、「迂闊」の代名詞として、あるいは、諭吉の「世帯持ちの上手」でないものの代表のように云われていました。漱石の小説(今は確かめている暇はありませんが)の中に『菜根譚』が好きで、座右の銘のように使っている男が出てきて、それを軽蔑風に描いていますが、当時の「空気」をよく伝えているように思います。そう云えば、漱石は慶応3年生まれです。
 諭吉が目の敵にしたのはどうやら、儒学とか文学のようです。本当は彼の著作を4,5冊熟読しなければ云えないことで、乱暴な話ですが、今、引用した部分を敷衍していけば、諭吉の「実学」とは SCIENCE ということになります。科学といえば、現在、自然科学、社会科学、果ては人文科学と科学の花盛りです。従って、考えようによっては、現代の大学の風潮は諭吉が作ったということになりかねません。
 ところで、SFCにおける実学というのは趣が違うようです。一般に実学といった場合、実社会に従属した形で、その働き手の養成をめざすといった意味合いがある。ところが、土屋先生の話を聞いていると、どうも違うらしいのです。働き手の養成をめざすといった下請的、従属的、消極的な行き方ではなく、むしろ、指導的立場に立とうとしている向きがある。現に、IT産業の起業家たち、指導者たちを多く輩出しているようで、大変な鼻息です。
 
 ところで、受験生諸君にとって、実学、虚学の議論などはどうでもいいことかもしれません。しかし、一度立ち止まって考えるのも悪くないテーマだと思います。
 「実学」のうち、諸君の興味のあるのは、絵に描いたような実学の学校である専門学校でしょう。専門学校は、現実の社会に密着して、現在行われている技術を習得しようとするものです。前回、「最近では技術革新が加速したため、新技術の寿命は短くなり、せいぜい10年といわれています」と、書きました。このことは、例えば、テレビ、パソコン、携帯電話などの身近の電気製品の変化の激しさをみれば分かると思います。従って、昔のように、一度、専門学校で見につけた技術で、一生食えるわけではありません。ただ、専門学校は、一口では云えないくらい、いろいろあって、すべてにこれが当てはまるものではありません。たとえば、ファッションは「流行」の意味ですから、もともと変化を前提にしたものです。ですから、専門学校の選択に当たっては十分検討して下さい。
 「ダブルスクール」という手もあります。大学で勉強する一方、専門学校にも通うという方法です。お金も二重にかかる上、体力を要りますが、タフでリッチな人には向いているかもしれません。

文責:山本正彦

2007年06月21日

「栄華の巷低く見て」

 前回の当番の時に触れましたが、久し振りに進路指導部に帰ってきました。久し振りと言っても、そう遠い昔のことではありません。ほんの4,5年前のことですが、受験状況の変化には目をみはるばかりです。先ず感じたのは、久し振りに出向いた大学の入試説明会で、受験のパターンが非常に複雑になってきているのには驚きました。
 しかし、何と言っても私にとって大変化に感じるのは、国立大学の法人化です。進路指導からも担任からも離れていたため、大学から注意がそれて、その存在が私にとって日常化していなかっかためかとも思いますが、本当に驚いています。受験生の諸君には法人化と言ってもピンとこないかもしれません。法人化というのは、例えば、本学園の正式な呼称は学校法人雲雀丘学園です。私立の学校は学校法人ですから、手短に言えば、国立大学の法人化とは国立大学の私立大学化と言えるわけです。民営化もここまで及んだかといった感じがします。民営化といえば何やら営利企業の臭いもします。
 反射的に思い浮かぶのは、「栄華の巷低く見て」という一節です。これは「嗚呼玉杯に花受けて」で始まる旧制第一高等学校(現在の東京大学)の寮歌の一節で、大学というところは俗世間の「栄華」は「低く見て」学問に取り組む場所である・・・・・・旧制高等学校といえば、明治初年の創立から昭和23年までの卒業生の総数は21万5千人にしか過ぎない超エリート集団で、特にこの「栄華の巷低く見て」の一節は、一種の気負いと気取りが気にはなりますが、大学が実社会の実利を離れた場所であるべきで、俗世間の垢にまみれた発想を廃して超然たるべきである・・・という主張が伝わってきます。旧制高等学校は旧制大学の予科的存在といった雰囲気もあり、単純に現在の大学と比較することはできませんが、一種の熱っぽい「空気」は伝わってきます。
少 し皮肉っぽく書きましたが、私は大学に対するこの考え方に反対している訳ではありません。というよりむしろ、賛成なのです。以下その理由を書いてみます。
 大学の存在理由ですが、大学は教育機関であるか、研究機関であるか、という分け方があります。現実の社会に従属した形で、「実社会に役に立つ」人間を養成するのが大学である、とするか、実社会から隔絶した形で「象牙の塔」にこもり、当世の流行に合わせることなく、純粋培養の形で、「真理の探究」に励むのが大学とするか。旧制高等学校の学生たちが謳歌したのは、勿論後者です。この後者の考え方は悪くありません。私自身も大学はむしろ実際には直接役に立たなくても、原理原則を勉強するところであり、基礎研究を行うところだと思います。
 ざっと見渡しても基幹産業はそう永く続くものではありません。現代の基幹産業はIT関連産業でしょう。しかし、40年前は鉄鋼産業でした。80年前は繊維産業でした。さらに、最近では技術革新が加速したため、技術の寿命は短くなり、せいぜい10年といわれています。こういう諸行無常的産業社会に生きていくためには、現在の風潮に合わせた進路の決定は禁物です。あまり目先のことに捕らわれて妥協しないこと、自分の本当にやりたいことを掘り下げること、その上で、大学で学びながら、現実の社会との接点を探るというスタンスの取り方が賢明だと思います。
文責: 山本正彦


      

2007年06月20日

「自助の精神」について

前回、福沢諭吉の「独立自尊」の精神について書きましたが、諭吉に限りません。この「独立自尊」の精神は「自助」という言葉とともに、明治初年、中村正直によって喧伝されました。『自助論』という、サミュエル・スマイルズの『Self Help』の正直の翻訳書は『学問ノススメ』とともに当時の大ベストセラーになりました。この『自助論』の書き出しが「天は自ら助くるものを助く」という諺です。この諺は日本人には受けがいい。これが「神は自ら助くるものを助く」だったらこうもポピュラーにならなかったでしょう。「天」という観念は日本人好みで、超有名なスローガンに「則天去私」とか「敬天愛人」とかいうのがありますね。
この「天は自ら助くるものを助く」のオリジナルは “ Heaven helps those who help themselves.” で、英語教師にとって非常に重宝な諺です。
 すこし硬い話が続いたので英語教師の気軽なおしゃべりをしましょう。この “ Heaven helps those who help  themselves.” というのは欧米人の「自助精神」を象徴的に表していて、説明するのに簡明で便利なのですが、それ以上に関係代名詞とか those who という慣用句の例文としても便利です。おまけに最初の help には主語が三人称単数で時制が現在の時(いわゆる3単現の時)は動詞に s がつくという中1以来の基礎の文法ですが、次の helpには those が「人々」の意味だから複数ということになり、s がつかない。大体、1つの短文の中に自然に同じ動詞が2回でてくるのも珍しい。とにかく重宝な文です。
 3単現のsで思い出しました。笑い話があります。高校生のときの話です。私の勘違いですが、”God Save The Queen.” というのが ”God save our gracious queen,” ではじまるイギリス国歌です。このタイトルに出会ったとき、妙に感心してしまった。何に感心したかといいますと、s がついていないことに感心した。さすがに神様の場合は非常に偉い存在だから、「超法規的待遇」を受けてs がつかないのであると感心した。一人で感心していればよかったのですが、得意になってそれを友人に吹聴した。友だちも「成るほど。」と感心していました。だから、”God bless you!” という文に出会った時はいよいよ確信を深めました。説明の必要はないかも知れませんが、蛇足を加えるとこの save なりblessは実は現在形ではなく原形なのです。これも有名な「聖夜」の一節に次のような一節があります。 “……May your days be merry and white……” 暗唱できるくらい覚えた歌詞ですから、気がつけばこのとき気がついた筈ですが、気がつかなかった。祈願の意味の助動詞 may が文頭にくるのですが、これがよく省略されるのです。May God Save The Queen. のMayが省略されているのです。気がついたのは、恥ずかしながら大学生のときです。これを読んだ受験生諸君は祈願の may は間違えないでしょう。

文責: 山本正彦

2007年06月19日

再び慶応義塾大学について

最近、野球ではハンカチ王子の活躍で、さっぱり早稲田には頭のあがらない慶応ですが、私学の雄は、やはり、何といっても、慶応大学でしょう。
今回と前回の連携講座で三人の先生方を拝見しましたが、非常にのびのびとした、自由闊達な印象を受けました。とくに阿川先生は天衣無縫といった感じで、福沢諭吉(慶應義塾で唯一「先生」とおおっぴらに呼べるのはこの人だけだそうですが、私は部外者ですから、普通に、こう呼ぶことにします)の遺訓が息づいているように思いました。尤も、これは湘南藤沢キャンパスの先生方の特徴かも知れません。
福沢諭吉の遺訓と書きましたが、昔々読んだ彼の著作の中で、腑に落ちて、今でも残っているもののうち、慶応義塾の精神となっているものは、「独立自尊」ということと「実学」の二つです。
この独立自尊の精神は人口に膾炙した「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり」という一節とともによく知られるところです。幕末から明治にかけての頃の日本を取り巻く状況は、他のアジアの諸国同様ヨーロッパ列強諸国に植民地にされかねない危機的状況にあり、国家の独立は焦眉の急務でした。
一国が独立するためには、一個人が独立していなければならない。門閥制度でがんじがらめにされていた明治以前の普通の日本人には思いもよらないことだったと思います。アメリカに渡って直に西洋というものを見聞した福沢諭吉はこのことを感得したのだと思います。
戦後の民主主義の普及を経た今日ですが、永年、農耕民族として村社会の中で育まれた考え方、習慣、感性が、狩猟民族の中で育った民主主義に、百年にも充たない短期間のうちにそう簡単に変わるものとも思えませんが、今日、この「独立自尊」という観念はそれほど強いインパクトはもたないことも確かです。しかし、この精神は国際化社会の今日ま
すます必要になるでしょう。
受験生の諸君に即していえば、この「独立自尊」精神が必要なのは言うまでもありません。親に依存している以上、経済的独立こそ不可能ですが、周囲に流されたり、言いなりにならないように、充分自分を見張るようにしてください。かけがえのない一度きりの人生です。自分の進路は自分で切り拓くという気概をもって、前進をしてください。

文責: 山本正彦


2007年06月18日

慶應義塾と聞いて思うこと

 先週の土曜日慶應義塾大学の今年度第二回目の連携講座が行われました。私は小学校から大学まで私立の学校というものを知りませんでした。私立の学校に触れたのは、教師として、雲雀丘学園が初めてで、最初は随分趣の違うものだなあと、私学というものを実感しました。この慶應義塾大学については、貧乏大学生のころから眩しい感じで遠くに眺めていました。それがこんなに身近な存在になるとは思いもよりませんでした。こうして身近な存在になってみると、今まであまり親しみを感じていなかった福沢諭吉という人について興味がわいてきました。
 慶應義塾に関するこれまでの私の知識は実に貧相なもので、福沢諭吉の著作を大学生の頃、『学問ノススメ』、『文明論之概略』、『福翁自伝』、『西洋事情』などを「読むべき本」として飛ばし読みした他は、彼に関しても知るところは少なく、著作以外には、咸臨丸で艦長の従者として訪米の際、指揮官の勝海舟が船酔いで船室でひっくり返っているのを尻目に、けろっとして、デッキの上を跳びまわっていたというようなエピソード(ちなみに、私は勝海舟のファンです)、訪米中に着流しで撮った写真館の白人の娘と一緒の若いちょんまげ姿の写真、『痩我慢の説』を時事新報に載せて勝海舟を批判したこと、それに近年になって聖徳太子の代わりに現れた一万円札上の彼の肖像といったところです。まるでお話になりません。
 勿論、彼が慶應義塾の創始者ですが、この慶應という名称は言うまでもなく、創設の時の元号から採ったものです。明治以前、元号はよく代わっていて、慶応年間は3年にすぎません。それは兎も角、慶応義塾大学は明治以前に創設されたことになる。上野の山で彰義隊と官軍が戦争をしていたとき、彼は慶應義塾で学生を相手に講義をしていたそうです。これは大変なことです。東京大学ができたのは明治10年のことです。明治政府は国家の威信をかけて大学を創り上げた。それを十年以上も前に福沢諭吉という一私人が創り上げた。大変な人です。この際せめて昔読み飛ばした彼の著作を、今度はゆっくり読み返してみようと思っています。

文責: 山本正彦

2007年06月16日

第2回慶應義塾大学高大連携講座

 本日,午後1時20分から5時30分頃まで、第2回慶應義塾大学高大連携講座が行われました。5月26日に第1回連携講座が実施され、今回の第2回からは実際の大学の講義になります。「民主主義」「大衆社会」「メディア」などをテーマにして書かれた二つの課題文があらかじめ提示され、受講生たちはすでに各自の意見を2000字程度の文章にまとめ提出しています。
今日は、慶應義塾大学総合政策学部土屋大洋准教授が来校され、高校2・3年生が受講しました。高校3年生はAO入試と連携していることもあり、随分緊張して授業に臨みました。まず、先生から課題文についての解説講義があり、次に2グループに分かれてのディスカッションになりました。高校生にとっては難しい課題での討論でしたが、高校の授業では見られない高揚感をもって受講していました。終了予定時刻は4時30分でしたが、最後に時間を延長して、生徒一人一人の意見を丁寧に聞き、また、質問に答えてくださり、大変有意義な内容でした。
第3回の連携講座は、7月23日(月)、総合政策学部 井庭崇先生の講義が行われます。

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2007年06月14日

関関同立の数学

 今日は、数学についての話をしましょう。昔、私が学生の頃(20年くらい前の話)、理系学部の人気は非常に高く、理系にいれば就職は安泰であるといわれていました。そのころは、関西学院大学の理学部や同志社大学の工学部に一般入試で合格すると、神戸大・大阪大・京都大は合格するだろうといわれていました。(ただし、センターテスト(当時は共通1次試験と呼ばれていましたが)で、点数を取れていたらの話ですが、・・・)それくらい、関学の理と同志社の工はレベルが高かったんですが、今は、どうでしょう。同志社大の工学部は今でも偏差値60~65くらいあるので、レベルダウンしていないのですが、関学大の理学部は残念ながら55~60くらいに下がっています。今、高校生の理系離れが進んでいます。高校生の理数の力がどんどん落ちているのです。今の教育課程では、小中学校の数学の内容が削減され、高校に大きな負担がかかっています。小中学校の落ちこぼれをなくそうという趣旨だと思うのですが、現実には内容を少なくしても落ちこぼれは減っていないのではないでしょうか。逆に、今までたくさんの内容をこなし、頑張っていた子供たちが、内容が少なくなったので楽をすることを覚え、あまり勉強しなくなったのではないでしょうか。その結果、高校の数学は、今まで楽をしてきた子供たちにとってはきつい内容で、よりついていけない状態を作ったと思えます。そして、数学の力が全国的にダウンし、大学もそれに合わせて、問題が易しくなったといえます。また、数学嫌いが増えたため、全国的に理系に進む人数が減ったため、大学も生徒確保のため、レベルを下げて合格させるしかなくなったのです。
 長々と前振りしましたが、ここ数年の関関同立理系の数学を見てみよう。理工学部の数学では、数学ⅢCが必修になっています。理系の研究のためには、数学Ⅲの微積が必要だからです。そのため、3題中1~2題、4題中2~3題は、数学Ⅲの微積の問題です。残りの問題は大学によって違いますが、ベクトル・数列・確率がよくでています。数学Ⅲの微積が出来る生徒には、数学ⅠAⅡBの内容は、易しく思えるので、関関同立の理工学部に合格するには、数学Ⅲの微積が出来るか出来ないかにかかってくるのです。しかし、数学Ⅲの微積はもともと難しいため、応用はあまりされず、教科書レベルの基本が多いのです。たとえば、微分して極値を求めてグラフを書く、最大・最小を求める、共有点の個数を求めるなどです。たくさんの問題を反復練習して、公式を覚え、解答の書き方をマスターすることが成功の秘訣だと思いますよ。受験生諸君、がんばれ!!

2007年06月13日

なつかしいなあー

 この前、京大を卒業して社会人になっている卒業生と電話で話をすることがありました。久しぶりに聴いた声は、昔懐かしさを感じました。一部紹介しておきます。
 この生徒は、問題解決能力に優れており、努力もしていたようですが、高い素質を持っていました。塾や予備校に行かず、自分で毎日学校に残って勉強していたのが印象的でした。
彼女の雲雀丘学園中高での思いでは、数学の1日1題添削の話や、政治経済の早朝補習の話、物理の先生の丁寧な解説の話をし、雲雀の先生のマメで丁寧な指導が印象に残っているそうです。
 現在は、理系であったので、化学メーカーの研究開発の仕事をしているそうです。化学に興味を持ったのは、中学の時の理科選択の授業で、化学の実験としてやった銀鏡反応や豆腐作りだったそうです。そして今、より高性能な材料を開発しようと毎日実験しているそうです。
 この生徒のいた高校のクラスは、3年間理系のクラスでクラス替えがありませんでした。(その高2・3年と私が担任していたのです。)その結果、高校時代の友人とは今でも交遊が続いているそうです。長ーくつきあえる友人を持っていることはいいことだなーと思いました。また、クラブは華道部に所属していたのですが、卒業後2~3年は毎年文化祭にクラブを手伝いに来ていたのを覚えています。しばらくは華道から離れていたそうですが、最近また始めたそうで頑張ってほしいですね。
 最後に、雲雀丘の教育が、毎日コツコツ型であったと懐かしんでいました。毎朝の小テスト、英検・漢検の毎年受験などが、毎日コツコツと積み上げていく教育プログラムだそうです。そのおかげで、今では、毎日の仕事を焦ることなく一つずつ進めることが出来ているそうです。
 卒業生たち、また、遊びに来てください。

2007年06月11日

教育実習始まる

 今年も、今日から教育実習が始まりました。3週間行う者は今日からで、2週間行う者は来週からです。ぱりっとしたリクルートスーツに包まれた教育実習生は初々しく、「お帰りなさい」の一言が似合いそうですね。これから3週間、先生という大変な職業を実感するのかと思えばかわいそうかも知れませんね。でも、先生として生徒とふれあうのは、先生ならではの醍醐味かも知れません。
 私も、もう何年前になるのかなあー?先生をしているからには、教育実習は当然経験しています。今、44歳だからもう20年前かなー!大阪教育大学なので、母校ではなく、大阪教育大附属高校に教育実習に行きました。行った時期は10月くらいだったかなー?はっきり覚えていませんね。でも、記憶に残っている教育実習は、初めての授業であがってしまったこと(クラスの生徒が皆、自分を見ている。その視線に圧倒されて、その授業の1時間は何をしたか、後で考えても分かりませんでした。その結果、実習担当の先生には怒られました。)、そして中日に行われた体育大会ですかね。今では、そのときの生徒の顔はまったく覚えていませんが、そんなことがあったなーということだけ覚えています。今年の教育実習生はうまく授業をするのかなあ、クラスの生徒と仲良くなれるのかなーなどと心配しています。しっかり頑張って、いい経験をたくさんするようにしてくださいね。

2007年06月09日

2008(平成20)年度センター試験実施要項

  受験生の皆さん!目標は決定しましたか?
6月4日に大学入試センターより、2008(平成20)年度センター試験の実施要項が公表されました。
時間割、検定料とも昨年から変更はありません。

     ☆出願期間・・・2007年10月1日(月)~10月12日(金)
     ☆実施日・・・・・2008年1月19日(土)、 1月20日(日)

   ▽大学入試センターのサイト
   ↓センター試験実施要項
   http://www,dnc,ac,jp/center_exam/20exam_index,html

  ↓2009年度センター試験の実施期間日、出題教科・科目も公表されています。
   http://www,dnc,ac,jp/center_exam/21exam_index,html

アクセスして自分の夢を夢で終わらせないように有意義な時を過ごせますように!期待してます。 
進路室より受験生の皆様の御健闘をお祈りしてます。
    

2007年06月08日

 高校3年生に耳よりな情報誌の紹介?

  毎日学園にも沢山の大学からの資料が送られてきています。そして高三の先生、進路の先生が説明会等に出席しています。そこで今日は受験生及び保護者に耳よりな情報を・・・・・・
 6月9日付けの「サンケイリビング新聞 豊中・池田」に今回は「最新の大学入学入試情報を収集」と題して講演及び相談会があります。日時は6月17日(日)午後0時30分から。梅田センタービル地下一階クリスタルホールで!無料です。 問い会わせ06-6647-2023です。
 セミナーでは大学担当者による個別相談会と講演会が行われます。講演会のテーマは河合塾大阪校校舎長の隠地孝さんによる「受験生を持つ保護者としての心構え」です。
 その他にもオープンキャンパスの特集、大学入学後のいわゆる出口となる就職の支援、在学中の就労体験(インターンシップ)を推進している大学などの紹介が載っています。サンケイリビングの新聞が家庭に入っている人は参考にしてください。入っていない人は進路指導室まで・・・お待ちしてます。 

2007年06月07日

はしか(麻疹)の大流行で思い出した!

  はしか(麻疹)が4月後半の大型連休から首都圏を中心に流行、その後首都圏以外へと流行先月21日から27日までの全国約450の医療機関からの報告では15歳以上のはしか患者は一週間で82人、過去最高、1999年の調査開始以来最多との事、連日新聞、テレビ、ラジオのニュースで報じられている。
 思えば私の娘も一歳の誕生日を迎えた頃ですが、死ぬのでは?と言うようなはしか、をしました。
5月に入りようやく保育園に慣れた頃、風邪のような症状だったのでいつものことと思っていたのですが、何となくいつもと違うので母に電話で相談すると、絶対外に出さないように、明日大阪へ行くからと言うことで母が手伝いに、その時の事は今でも鮮明に覚えている。
 まず暑かったけど部屋にストーブを焚き娘を母がおんぶして何枚も重ね着をしたと思ったらアットいう間に沢山の赤い発疹が出てきたのです。それまで外の風にあたる事によって発疹が内に、こもってしまいその分ひどい状態になってしまっていたのです。口の中にも発疹ができ食べる物も飲む物も受け付けず地獄のような日々を送ったことを・・・夜も昼も関係なく母と交代でおんぶし、はしかと戦った一週間。この時は本当に母に感謝、感謝でした。風邪とはしかの対処の仕方を間違うと大変な事になると言うことを学びました。
外のかぜに当たると発疹が皮膚に出ないで内にこもってしまうのだそうです。
今思えば懐かしい思い出です。
予備軍100万人関西も拡大か?と言われています。
あなたは大丈夫ですか! 

2007年06月06日

自衛官募集説明会に参加

  先日、早朝から激しい雨の降る中(晴れ女の私としては納得がいかないのですが)伊丹の自衛官募集の説明会に出席。受付を済ませ本日の流れの説明、実施概要では知らされていなかった、音楽隊のミニコンサートです。この頃から雨はやみ薄日が差し始めました。さすが晴れ女!
 演奏曲目・・・・宇宙戦艦ヤマトから始まりピンクレディのサウスポー、松田聖子 ヒットメドレー(3曲)  Gメン、はぐれ刑事、そしてブルースカイ、と自衛隊音楽隊の生の演奏を35分間本日の出席者四人の為に・・・・・・・・
70年から80年代にかけての曲目ばかりついつい口ずさんでしまいました。
このような生の演奏を目の前で聴いたのは娘の中学卒業式以来。
演奏者はすべて音大卒だそうです。
ちなみにこの陸上自衛隊中部方面音楽隊は6月16日(土)兵庫県立芸術文化センター大ホールで第39回定期演奏会を開催、入場料は無料だそうです。
演奏後は現在、実際に寝泊まりしている寮の見学、二段ベットが6つ綺麗に整理整頓されている。
入隊して最初の集団生活の場であるここで親友が生まれるとの事。 (ここでの生活は最初の3~6月)私の頃の大学の寮は24畳の部屋に12名だからまだベットがあるだけましか? 35年も前の話ですが・・・・・・・ね。
 その後自衛隊の概要、受験、入隊状況等の説明がありました。
募集要項の内容他の大学等と大きく違う点は筆記試験(国、数、社及び作文)口述試験の他に適性検査及び身体検査です。
興味のある生徒は進路室まで・・・・・・
ちなみに駐屯地の中に何でもそろっています、ない物は映画館・パチンコ・ボーリングだそうです。食事も衣類(制服)すべて支給です。

(山村) 

2007年06月05日

ワークライフバランス

ニュースの主旨は、以下のようなことでした。

この「ワークライフバランス」の指標は、「資生堂」や「ニチレイ」「東京電力」など大手企業34社が学習院大学の研究グループと作ったもので、指標になる項目は
☆育児支援や長時間労働の改善のためにどういう制度を導入しているか。
☆そうした制度が社員にどの程度認知され実際に利用されているか。
☆社員の家庭生活や地域生活、仕事にどのような効果が生まれているか。
など約200項目です。
これらを点数で評価し、その合計点で各企業のワークライフバランスへの取り組みの総合的な進捗度を判断するというものです。


 そもそもワーク・ライフ・バランスとは、仕事と家庭が両立しやすい雇用環境づくりのことです。少子高齢化が急速に進む中で、企業に対し、従業員の「仕事と子育ての両立」を支援する取り組みが求められるようになりました。
 その一環として2005年4月から、従業員301名以上の企業に対して、子育て支援の行動計画の策定(次世代育成支援対策推進法)が義務付けられ、行動計画が一定の基準を満たした場合は、厚生労働大臣から「子育てをサポートしている」という認定マークが発行されます。
kurumin.jpgこれがその認定マーク「くるみん」だそうです。認定を受けた事業主は、認定マークを商品等につけることができます。企業にとってはイメージアップや優秀な人材の確保につながるだけに、ユニークな支援策を打ち出す企業も増えているそうです。

具体的には、★出産祝い金:第一子に50万円、第二子に70万円、第三子に90万円と、子供が多くなると金額が増える。★育児アシスト費として3歳までの子供のいる社員に年間10万円を支給。★育児中の社員に年間20日間の在宅勤務を認める。


 今後の日本の労働力人口は2030年までに約1千万人、15%程度減少していくと言われています。2007年からは「団塊の世代」の大量退職も見込まれます。少子化・労働力人口の減少という止むに止まれぬ事情から提唱された「ワークライフバランス」でしょうが、考えて見れば、『24時間働けますか!』という掛け声の下、「モーレツ」を良しとした時代が、そしてそれを支えた団塊世代の働き方が共に終焉を迎えているように思えます。企業の「ワークライフバランス」は子育てを終えた世代にはさしのべられていないようです。むしろ、わたし達自身が 「21世紀型の働き方」を模索していくことが大切なのでしょう。
これから社会人となっていく若者たちが「キャリア教育」を通して、この新たな働き方を見据え、発展させてくれる事を祈りつつ・・・。

2007年06月04日

ワークライフバランス

 最近,新聞などで「教員の多忙」がとりあげられています。一般企業の忙しさというものを知らないので,どう比べてのことなのか、よくわかりません。でも、休みがないというのは事実のように思えます。
 昨日、わたしはクラブ指導のない日曜日でした。午前中から、漢字100問テストの追試験を作成し、続いて18日からの中間考査の素案構想を練り始めました。今年は異なる3科目を担当しているので、3種類のテストを作成しなければなりません。国語という教科の特性なのでしょうが、1種類100点分の問題を作成するのに10時間以上は絶対かかります。毎日毎日その日暮らしでアップアップしているのに、これから2週間の間に、授業とその教材研究・小テストの採点・ノート点検・追試の採点・クラブ指導・出張・種々の会議……はたして、30時間以上確保できるかしらと、不安な思いでパソコンに向かいました。
 集中がとぎれて、ちょっとひと休み。ふと見た庭は木々の緑が濃くなり、ジャングルと化してます。毎日、暗くなってからの帰宅で、庭をじっくり眺めるのは久方ぶりです。視線を下げると雑草が我物カ顔で花壇を占拠中。雑草抜きは夜にはできないと、小1時間。今週に大ゴミの日があったんだと思い出しつつ、部屋の片付け。あっという間に休日は過ぎていきます。夕食準備をしながらテレビをつけると、7時のNHKニュースで「ワークライフバランス」・・(仕事と生活の調和 指標の開発)が紹介されていました。
「ワ-ク・ライフ・バランス」・・思わずため息をついてしまいました。(明日に続く)

2007年06月02日

「うち」と「そと」

 この前,電車の中で,シートに座っていた人が一斉にケータイ立ててやってる光景に出会いました。「新聞や雑誌がケータイに代わっただけなんだから別にいいじゃないか」と言われそうですが,姿勢を変えず,一途に指だけ動かして一点を見つめている人が列をなしている光景は,新聞,雑誌とは全然違う雰囲気です。(気がついたら,こちら側のシートに座っている人も皆一緒だったりして・・・・・・。恐ろしいですね。)
 
 さて,履物を脱いで「うち」に入るように,私達の考えの中に,無意識に「うち」と「そと」を区別する習慣があります。そして,たいてい,「そと」より「うち」の方がきれいで大切な空間だと認識しています。例えば,電車の中でメールを打つことは自分一人のすることで,「うち」の行いであり,そのとき隣の人もメールをやっていようがいまいが「そと」には関心がありません。また,自分の家で高速なインターネットが使えるかどうかとか,エアコンを付けて涼しくできないかどうかとかいったことに気を遣っても,そのために電柱が増え,電線がとぐろを巻こうが,室外機がブ~ンブ~ンうなりを上げて動こうが,そこには気を遣いません。しかも,悪いことに,こういった欲望(インターネットをサクサク動かしたい,メールを早く届けたい,涼みたい等々)は際限なくどんどん膨張していっています。
 この,日本人の精神構造を「欲望自然主義」と定義し,明治以降,富国強兵・大陸侵略へとつながる思想的背景になっていると,「醜い日本の私」の著者,中島さんは言い切っています。
 実はこの見方,いろんな方面で使えるなぁと思います。えっ?どんな場面?・・・・一度考えてみてください。

2007年06月01日

『醜い日本の私』

 もう10年以上前になるのでしょうか,ヨーロッパ研修から帰ってきた当日,176号線バイパスを走っていて,なぜに日本の空に広がりがないのか不思議に思ったことがあります。それが電柱・電線のせいだと気づくまで,そう時間はかかりませんでした。
 当時に比べ,電線はより肥大化し,無遠慮に空を占拠してしまっています。今は,片側だけ地下に埋設されてきれいな街並みになりましたが,阪急川西交差点から呉服橋までの国道176号線の空は,そりゃもう,無茶苦茶でした。1995年1月15日,学校の様子を見に車で通ったときは,大きな余震がきて電柱が倒れてきたらと覚悟しながら走ったものでした。
 私の家の前にも大きなコンクリート製の電柱が1本立っています。その電柱のためにせっかくの景色が台無しになっていました。それで,関西電力に電話して,なぜ,ここに電柱を立てなければならないのか,なぜ埋設しないのか,尋ねたことがあります。丁寧な回答が返ってきましたが,要は「電線に無理な張力がかからないように。埋設するには地主の許可が要り,それは自己負担である」ということでした。
そう言われたらどうしようもありません。でも諦めきれないので,せめて1m移設して欲しいと依頼しました。そしたら,2~3日後,すぐに工事が始まり,簡単に一日で立て直しが完了しました。加えて,使用料(電柱を立てるために敷地を使用している対価)1000円(だったと思います)が支払われました。
後で調べたら,市町村道の電柱(電話柱を含む)に電線を架ける際に自治体に支払う使用料(道路占有料)は年間1本につき1600円なんだそうです。電柱の数をかけると,結構なお金が支払われていることがわかります。それなら埋設すればいいのにね。

日本の空が汚くなったのは,急速に進むIT化により,NTTの電話線以外に,光ケーブルやケーブルテレビのケーブル,有線のケーブル等他社の線も一緒に張られているためです。お客様のためなら例え線がぐちゃぐちゃになっても仕方ない,景色よりも,自然よりも経済が優先した結果の表れといえます。これは,新潮選書『醜い日本の私』(中島義道 新潮社 1000円)でも著者が何度も触れていることですが,日本独特の精神構造が絡んでいるためなのだそうです。(続きは明日)