「二極化」
近年、内閣の中に少子化相という役職があり、内閣府特命大臣で、例えば、組閣の際には外務相、文部科学相等と並んで顔写真付きで紹介されるご時世です。事程左様に少子化は現代社会の諸相に、すべての年齢層に重大な影響を及ぼしています。良くも悪くも、受験生諸君も例外ではありません。同年齢の人口が減少するということは、それだけ競争が少なくなり、受験競争ということからいえば、以前に比べれば楽になっていることは確かです。「受験戦争」とか「受験地獄」という言葉は最近ではすっかり聞かれなくなりました。昨日、一昨日と「大学全入時代」をめぐる周辺の情況を今年度の学校基本調査のデータを参考にしながら鳥瞰してしてみましたが、その一番の要因は、やはり少子化でしょう。
金太郎飴の譬えがありますが、受験状況のどこを切っても「少子化」がその切り口に現れる感じがします。「二極化」というのもその一つです。最近良く耳にするようになりましたが、その傾向が顕著になってきたためでしょう。二つの極とは、その一つは、人気、不人気によるもの、言い換えると偏差値によるものです。ごく少数の、伝統があり、規模が大きい、ブランド性のある大学は、依然として人気があり、合格するのは容易なことではありません。その反面不人気大学は「全入」同然になるか、入学定員を割り込むという事態になってます。もう一つの「二極」は都会と地方という「極」です。もちろん、受験生は大都会に流れます。
こういう事態に受験生として、どう「対応」すべきでしょうか。組み合わせてみると、一番楽なのは地方の不人気大学です。一番苦しいのは大都会の伝統のある大規模国立大学ということになります。もともと大学選びは、社会人としての自分のありようを見定めた上で選ぶものです。人気とか所在地は二の次ですが、合格するためには、言うまでもなく、自分の志望大学の置かれている情況も研究しておく必要があります。それが難関大学のときは最後までねばり強く頑張り抜く強い意志が必要です。前述のように、全体的には大学入試自体は大幅に易化していますから、ともすれば弱気になり、その弱気につけこまれて、安易な方向、楽な方向に流れてしまいがちです。受験競争は神経戦でもあります。最近のベストセラーのタイトルではありませんが、「鈍感力」が必要です。いちいち過敏に反応していれば、きりがなく、それだけで疲れるばかりです。周囲のクラスメートの中には9月には早々と合格して、すでに進路を確定してしまっている人もいるかもしれません。そういう人に比べて、自分はまだまだこれから3月まで頑張らなければならないなどと考えると気が滅入ってくる・・・うらやましい・・・いっそ自分もここらで見切りをつけて・・・などとフラフラと考えることになります。考えるだけならまだしも、それを行動に移してしまったりする。そして一生後悔するなんてことになりかねません。従って、逆の立場の場合、つまり、早々と進路が決まってしまって、あとは卒業を待つばかりの諸君は、言動には十分気を配って下さい。3月にならなければ初志が貫徹できないクラスメートもいるのです。有頂天になって浮かれ騒ぐことのないようにしてください。かといって、嫌みに響いたりする場合がありますから、一生懸命受験勉強をしているクラスメートを励ます必要は特にないでしょう。とにかく、邪魔にならないようにすることです。
二極化の一方の極、即ち、易化した大学、不人気の大学、定員割れをした大学にはいることは比較的簡単です。2006年度に定員割れをした私立大学は40%にもなるようです。従って、こういう大学の選択に当たって、偏差値で判断する必要はないでしょう。将来の社会人としての自分を想い描き、その自分の将来像を形作る上で、その大学がその目的に合致していているかどうかをよく吟味して選んで下さい。近年、大学卒業者の数が増え、「大卒」の価値は年々減少してます。就職の際、出身大学名はあまり意味をなさず、本人本位、本人自身の価値に重点が置かれる時代になっているようです。
ところで、さし当たって、将来の社会人としての自分の像を描けず、大学の選択の見当がつかなくて迷っている人はいませんか。そういう人は、それが難関大学という理由だけで、難関大学に挑戦するのも悪くないでしょう。そういう功名心に駆られて行動するのも、青春真っただ中の若者らしい行動といえます。(尤も、その時は、いわゆる「滑り止め」の手当ても忘れないようにしてください。)
文責 山本正彦