« 2006年12月 | メイン | 2007年02月 »

2007年01月31日

数と雑学3

 センターリサーチの結果を見てみると、数学と理科の結果が予想以上に悪く、理系の平均点が文系の平均点より10点以上低くなりました。ここ数年、文系が難しくなり、理系が易しくなっている上にこの結果で、大学の判定も理系においては予想以上に低い点数でも良い結果が出るみたいです。たとえば、センターで8割を少し切っても(900点中700点ちょい位)その点の取り方によっては大阪大学理学部数学科でB判定(合格可能性60%~80%)がでるのです。ただ、文系の方は去年よりは低くなりましたが、例年通り少し難しいです。センターで8割弱では大阪大学は難しいですね。従って、理系は強めに、文系が弱めに考えるのは変わっていません。チャレンジするか、安全志向にいくかは受験生本人次第、しっかり考えて出願しよう。
 今日の私立大学情報です。今日受験が行われているのは、大阪経済大学、大阪芸術大学、大阪電気通信大学、京都産業大学、京都女子大学、甲子園大学、甲南女子大学、神戸親和女子大学、神戸女学院大学、摂南大学、帝塚山大学、長浜バイオ大学、兵庫大学、プール学院大学、流通科学大学などがあります。受験生諸君、しっかり頑張りましょう。
 昨日の続きですが、7の数字にちなんだ物に「七草がゆ」があります。松の内(元日から歳神が帰る門松を外す日までのこと)の最後の日となる1月7日に食べるといいとされるもので、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの「春の七草」をかゆに入れて炊いた物です。もともと「七草がゆ」は平安時代に七草を入れた吸い物を食べる習慣が生まれたのが起源で、室町時代から現在のようにかゆになったといわれる。しかし、庶民の間に定着したのは、江戸時代で、おそらく、正月はごちそうを食べてとかく家にこもりがちだから、6日頃にはそろそろ運動をした方がよい。それには、山野に出て野草を摘み、それをかゆに入れて食べれば、薬草の効果で疲れた胃腸にも良い。おめでたさが終わるこの日に体調を整えて、1年の健康を願えば一石二鳥と考えたのかも知れない。ところで、「春の七草」があれば、「秋の七草」もありますよね。ちなみに、「秋の七草」は、ハギ、キキョウ、クズ、ナデシコ、オバナ、オミナエシ、フジバカマです。覚えておくと何か役に立つかも知れませんね。

2007年01月30日

数と雑学2

 各予備校におけるセンターリサーチが終わった今、各予備校におけるセンターの予想平均点が出そろっています。すごいのはどの予備校の予想平均点もほとんど変わらないことです。そこで、昨年度平均点と比較してみましょう。英語は、筆記(200点満点)で、昨年は127.5点、今年は130点、リスニング(50点満点)で、昨年は36.3点、今年は33点であまり変わらずです。国語(200点満点)は、昨年は125.5点、今年は111点で難化です。数学は、ⅠA(100点満点)で、昨年は62.4点、今年は54点、ⅡB(100点満点)で、昨年は57.7点、今年は49点でともに難化です。理科(100点満点)は、物理Ⅰで、昨年は73.4点、今年は65点、化学Ⅰで、昨年は64.1点、今年は61点、生物Ⅰで、昨年は69.6点、今年は67点で、3科目とも難化です。地歴(100点満点)は、世界史Bで、昨年は66.3点、今年は68点、日本史Bで、昨年は54.7点、今年は67点、地理Bで、昨年は65.1点、今年は58点で、世界史は変わらず、日本史は易化、地理は難化です。公民(100点満点)は、現代社会で、昨年は57.9点、今年は51点、政治経済で、昨年は61.1点、今年は65点、倫理で、昨年は68.7点、今年は70点で、現社は難化、政経は易化、倫理は変わらずといったところでしょうか。その結果、文系全体(900点満点)では、昨年は589点に対して、今年は557点で、-32点です。理系全体(900点満点)では、昨年は612点に対して、今年は564点で、-48点です。昨年に比べて今年のセンターは前評判通り難しくなりましたね。だから、少し失敗した(点数が低かった)としても落胆することなくしっかり2次試験を頑張って合格を勝ち取りましょう。
 また、今日も私立大学の入試が次のような大学で行われています。この近辺では、大阪経済大学、大阪芸術大学、大阪工業大学、関西福祉科学大学、京都産業大学、京都女子大学、甲子園大学、甲南女子大学、神戸親和女子大学、神戸女学院大学、四天王寺国際仏教大学、摂南大学、同志社女子大学、長浜バイオ大学、奈良産業大学、プール学院大学、流通科学大学などが行われています。あきらめなければ合格します。あきらめず最後まで頑張りましょう。受験生諸君。
今日は、縁起のいい数字について考えてみましょう。昔からラッキーセブンといい、7はいい数字の代名詞になっています。パチンコでもスリーセブンフィーバーといい、7を縁起のいい数字としている人は少なくないでしょう。たとえば、「七福神」というのは知っていますか?「恵比寿天(えびす)」「大黒天(だいこく)」「弁財天(べんざい)」「毘沙門天王(びしゃもん)」「寿老人(じゅろう)」「布袋尊(ほてい)」「福禄寿(ふくろくじゅ)」の7人の神様を「七福神」と呼びます。この中で、実在の人物は「布袋様」で、中国の唐末、後梁の禅僧、本名を契此(かいし)というそうです。新年の縁起物として、舟遊びをする七福神を描き(ノバのコマーシャルに出てきますよね)、「なかきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」という回文(前からよんでも後ろからよんでも同じになる文のこと、これだけ長い回文はすごいと思いませんか?)の歌を書き添えた宝船の絵を枕の下に敷くと、よい初夢を見られ、幸せになれるそうです。後、続きは明日ということであしからず。

2007年01月29日

数と雑学1

 センターテストが終わり早一週間が過ぎました。各予備校におけるセンターリサーチも終わり、大学の合格可能性も出た今、どの大学を受けるか今考えていることだと思います。いよいよ今日から国公立大学の出願が始まりました。前期・中期・後期とも今日1月29日(月)から2月6日(火)まで出願できます。そして、前期は2月25日(日)、中期は3月8日(木)、後期は3月12日(月)に個別試験が行われます。まだ1ヶ月近くありますので、最後まであきらめずに集中して頑張ってほしいと思います。
 また、私立大学の入試も今週から本格的に始まります。ちなみにこの近辺でいえば、今日入学試験が行われるのは、大阪芸術大学・大阪工業大学・関西福祉科学大学・京都学園大学・京都女子大学・京都精華大学・甲南女子大学・神戸夙川学院大学・神戸親和女子大学・同志社女子大学・奈良産業大学・桃山学院大学などがあります。高3生・浪人生がみな合格をとれるよう祈っていますので、頑張ってほしいと思います。
 ところで、この前テレビを見ていたら、芸人雑学王決定戦というのがやっていました。少し一般常識に自信があって見ていたのですが、予想以上に分からず少し自信喪失してしまいました。そこで、最近少し雑学について調べてみましたので、それを何回かに分けて紹介したいと思います。
 今日は、「初夢」について書きたいと思います。「初夢」とは新年最初に見る夢のことで、一般的には1月2日の夜に見る夢と言われています。縁起がいいのは一般に、「一富士(ふじ)二鷹(たか)三茄子(なす)」というのは有名(一般常識)ですよね。ではなぜ、富士・鷹・茄子が縁起がいいのだろう?疑問に思いませんか?調べてみると、これには3つの説があるそうです。
 1つ目は、元禄の頃、駿河の国(現在の静岡県)で高いもの、あるいは名物名産を並べたという説です。富士山は日本一の山、愛鷹山(あしたかやま)の俗称である鷹、高値をつける初茄子。
2つ目は、徳川家康の自慢説です。高大な富士は神々しい霊峰であり、末広がりの形は繁栄につながる。その裾野ではよく鷹狩りが行われていたが、鷹の強さは武運、空高く飛ぶことは機運の上昇を表す。家康が大好物であった茄子は「成す」につながり、茄子には毛がないので「怪我(けが)がない」。
3つ目は、日本の三大仇討ち説です。富士は、曽我祐成・時到の曽我兄弟が父を殺した工藤祐経を討った場所。赤穂浪士が仇に報いた主君浅野内匠頭長矩の紋所は鷹の羽。江戸の剣客荒木又右衛門が義弟の渡辺数馬を助けて備前藩士河合又五郎を討った伊賀上野(現在の三重県)は茄子の産地。
この3つの説の内、2つ目の説が有力だそうですが、本当はどうでしょうか。そして、実は私は知らなかったのですが、これ(一富士二鷹三茄子)には続きがあって、四五六があるのです。知っていましたか?それは、「四扇(おうぎ)五多波姑(たばこ)六座頭(ざとう)」です。扇は末広がり、多波姑(煙草)は煙が立ち昇り、座頭(琵琶や琴を弾いたり、按摩(あんま)や鍼(はり)を職業とした盲人の総称で、髪を剃っていた)は毛が(怪我)ないといった理由だそうです。

2007年01月26日

1冊の本から 終

 4日目ともなると、アインシュタインおたくのようで、私は楽しいけれど他の人は面白くないんだろうなあ、と思いながら、あと少しだけお付き合い下さい。
 アインシュタインが日本に来たときの話。1922年(43歳)、日本はアインシュタインを妻のエルザと共に招待しました。そのことについて、“ラフカディオ・ハーンが記した美しい日本を実際に自分の眼で確かめることと、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことが来日の目的である”と語っています。 10月8日、日本郵船「北野丸」でマルセイユを出港。11月10日、香港~上海の途上で1921年度ノーベル物理学賞を授与することを、この船上で電報を受け、11月17日、神戸港に到着したときには、すでに日本にも伝えられていました。その夜は、京都の都ホテルに宿泊したようです。
 講演回数は計8回。講演地の中には、本校が高大連携をしている慶應義塾大学もありました。一般講演の入場料は3円で、オペラの上等席と同じくらいの値だそうです。余談ですが、チャップリンが日本に来た時(年代は少し後になりますが)、不二家のコーヒーが15銭のところを、知ってか知らずか1円置いていったそうです。因みにチャップリンは日本が大好きで、3回も来ているそうです。
 話は戻して、アインシュタインの日本滞在の終盤、12月25日のクリスマスパーティーでは、ヴァイオリンで「アヴェ・マリア」を演奏し、28日の送別会でも3曲演奏したそうです。
 日本滞在中、人力車を見て、非人道的な奴隷労働と解釈し、乗車を拒否ししたと言われています。湯川秀樹と面会した際には、多少なりとも原子爆弾に関与してしまったことを悔やみ、涙ながらに謝罪したとも言われています。また、アインシュタインの著書の中に「やがて我々の大学と競争関係に入る大学は東北大学だ」と書いてあるものがあるそうです。
 こんなに立派なアインシュタイン博士ですが、実は非常に面倒くさがり屋で、洗濯石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭き、灰皿に食事を盛りつけるということもあっらしいし、小学生のようにスペルを間違ってみたり、簡単な数字や記号を記憶するのが苦手だったらしく、「本やノートに書いてあることをどうして憶えておかなければならないのかね」といっていたそうです。やっぱり天才だったのでしょうか。睡眠時間は1日10時間、菜食主義者。これは真似できそうです(^_-)。
「どうして自分を責めるんですか?他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。」 
 彼は手紙好きで、有名になってからも1万通以上も手紙のやりとりをしていたそうです。手紙好きと言えば、去年生誕250年を迎えていたモーツァルトも、多くの手紙を残しています。そしてモーツァルトと言えば、未完成に終わった「レクイエム(K.626)」を最後に多くの作品を残していて、作曲された順番にケッヘル(K.はこの省略)という人が番号を付けていったのですが、不明な点も多く、それを見直したのが、何とアインシュタインの従兄弟だったのです。現在K.(ケッヘル番号)の後に、( )書きで「ケッヘル‐アインシュタイン番号」が書かれていたりします。
「もし、私が物理学者にならなかったら、おそらく音楽家になっていたでしょう。私はよく音楽のようにものを考えます。音楽のように白昼夢を見ます。音楽用語で人生を理解します。私は音楽から人生のほとんどの喜びを得ています。」
「思考とは、それ自体が目的である。音楽もそうです。」 
「死とは、モーツァルトを聴けなくなることだ。」
 長くなりましたが、1冊の本から興味の幅がいくらでも広がり、きりがありません。みなさん、ジャンルにとらわれず、色んな本を手に取ってみてください。意外な自分を見つけられるかも知れませんよ。
 

2007年01月25日

1冊の本から 3

 世界的な物理学者となったアインシュタイン博士はどのような生涯を送られたのでしょう。
 1879年3月14日、ドイツで生まれる。日本では、明治時代に入った頃で、世界では、蓄音機が発明されたり、しばらくして映画が発明された頃のことです。
 5歳頃まで、あまり言葉を話さなかったけれど、11歳の時には、ピタゴラスの定理を自力で証明し、12歳ではユークリッド幾何学を独学で習得したそうです。それが、どれくらい凄いことかはわかりませんが、少なくとも、私には無理です。
 その後、イタリア、スイスへと渡り、チューリッヒ連邦工科大学に入学。自分の興味のある分野である“電気技術”は優秀な成績だったのに、“物理の実験”は最低の“1”だったそうです。
 1902年(23歳)、スイス特許局に3級技術専門職として就職。
 1903年(24歳)、大学で出会ったミレーバと結婚。
 1905年(26歳)、「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する、5つの重要な論文を立て続けに発表し、「奇跡の年」として知られていますが、無名の特許員が提唱した「特殊相対性理論」は、当初理解を得られず、苦労されたようです。
 1909年(30歳)、チューリッヒ大学の教授となり、1916年(37歳)に一般相対性理論を発表。
 1916年(40歳)、ミレーバと離婚し、いとこのエルザと再婚!そして、1921年(42歳)に、ノーベル物理学賞を受賞し、物理学の世界だけでなく、有名になりました。そして、1922年(43歳)来日し、43日間滞在しています。(これについては、明日もう少し詳しく書こうと思っています。)翌年、関東大震災が起きています。その後の研究に、後のレーザーの開発につながるものもあります。
「今の妻が、科学を理解できないのは嬉しいことです。最初の妻は、理解できたんです。」
 1932年(53歳)、ユダヤ人の迫害から逃れるため、アメリカ合衆国に亡命。翌年新設された、プリンストン高等学術研究所に教授職を得、多くの研究を続けています。
 因みにこの頃、1939年に第二次世界大戦が、1941年には太平洋戦争が勃発しています。1949年に湯川秀樹が、アインシュタインと同じ、ノーベル物理学賞を受賞しています。
 話を戻して、1952年(73歳)、イスラエル政府から、第二代大統領への就任を要請されたのに、辞退してるんですって。その3年後、1955年(76歳)、世界各国に、核兵器の廃絶を呼びかける“ラッセル=アインシュタイン宣言”を発表し、その年の4月18日、腹部動脈瘤破裂によって亡くなりました。
 最後の言葉が気になります。でも、不明です。アインシュタインは、ドイツ語で言ったのですが、その場にいた看護師が、ドイツ語を理解できなかったため、残っていないんです。
「死はいずれやって来る。それがいつかなんて、どうでもいいじゃないですか。」 
 

2007年01月24日

1冊の本から 2 

 こんなにも納得させられる言葉を沢山残したアインシュタイン博士とは、一体何をした人なのでしょう。ちょっとだけ調べてみました。
 ドイツ出身の物理学者ノーベル物理学賞を1921年に受賞した人。内容は“光量子仮説に基づく光電効果の理論的解明”による。ん~、これだけでは何かの暗号を見ているようで、何のことだか分からず、私には難しすぎる…。
 相対性理論と言っても“重力場のない状態での慣性系を取り扱った理論である特殊相対性理論”と“重力場による時空の歪みをリーマン幾何学を用いて記述されている一般相対性理論”があり、後者の一般相対性理論では、宇宙の拡張や収縮についての研究結果が書かれていて、専門用語は理解できないけれど、興味のそそる内容だった。それに、“相対性”という言葉について、アインシュタインは次のように言っています。
「熱いストーブに、1分間手を載せてみてください。まるで、1時間くらいに感じられるでしょう。ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても、1分間ぐらいにしか感じられません。それが、相対性というものです。」
はっは~ン。空間として、何となく分かったような気がしました。しかし、次のようなことも。
「相対性理論では、あらゆる点に時計があると想定しましたが、現実においては、わたしは自分の部屋に時計ひとつ取り付けることにも苦労します。」
…。彼も、普通の人間だったようです(*^_^*)
 原爆について。これについては、どうやら私は間違った解釈をしていたようです。アインシュタインが「原子爆弾の開発者」というのは思い込みで、実は、原子爆弾の製造には一切関わっていないのです。当時のアメリカの、ルーズベルト大統領への手紙に署名をしたのは事実だけれど、原子爆弾の開発を促す書簡ではありませんでした。しかも、原子爆弾は机上の空論で、できるはずがないと思っていたようです。これは、アインシュタインにとって、大きな誤算となってしまいました。
「第三次世界大戦はどう戦われるのでしょうか。わたしにはわかりません。しかし、第四次大戦ならわかります。石と棒を持って戦われることでしょう。」 
 私達の“知ってるつもり”という知識って、ある意味恐いものがあります。何事においても、“どこかで聞いた気がする…”だけでなく、疑問に思ったその時に、自分の目で確かめ、考え直さないといけませんね。アインシュタインも言ってます。
「自分の目でものを見、自分の心で感じる人間がいかに少ないことか。」
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」

皆さんは、まだまだこれからです。

2007年01月23日

1冊の本から

 書店に陳列してある沢山の本の中に、赤い表紙(ブックカバー)の中央に、舌をベ~~と出した表情のおじさんの写真がデザインされたものがありました。「アインシュタイン150の言葉」という本です。
 まず、表紙に「私は天才ではない ただ、人より長くひとつのこととつき合ってきただけだ」と書かれていて、私は単純にもその言葉につかまれてしまい、表紙を開いてみると“世代を超えて大反響!”の下には10歳代から80歳前の方々の簡単な感想が載っていて、どれを見ても前向きな内容ばかりだし、以前から気になっていた本でもあるので、買ってしまいました。
 本というものは(何でもそうでしょうが)お金を払った途端に、愛着を感じるもので、ひどいときには読んでもいないのに、その本の内容が分かったような気になって、なかなか本棚から出動しないときもあります。今回は本棚にはまだ1度も並んだことがありません。買ってすぐに読み始め、通勤途中も持ち歩きました。1ページにちょびっとしか文字がないので、あっという間に読み終えるかと思いきや、そう簡単に読み流せるものではありませんでした。アインシュタインの言葉一つ一つの中に、アインシュタインを感じられるようで、何度も読み返しながらの読書になってしまい、時間がかかってしょうがない…
 私がアインシュタイン博士について知っていることと言えば、相対性理論とか、原爆とか、日本にも来たことがある等、それ以上のことは説明もできないほどの事しか知らないし、特に知ろうとも思いませんでしたが、ちょっと興味を持ったので、ちょっとだけ、ボチボチと調べているうちに1週間が経っていました。一般常識として多くの方々がご存じのことなのかも知れませんが、こういう事って知れば知るほど面白いんです。なので、今回‘面白いなあ’‘へ~’と思ったことを(もちろん私の感覚ですが)、少しだけお伝えしていこうと思います。

2007年01月22日

自己採点と平均点

title20070122.jpg

センター試験は昨日終わったばかりですが,大手予備校3校はもう,平均点を予測しています。選挙の時の「当選予測」と同じですね。開票率数%の時点で「当確」を出すアレ。考えてみれば,この時点で発表するということは,各校ともしっかりとした裏付けがあるものと思われますが,5点以上の読みの違いが出ている科目もあります。どうも,これは受験者の学力の分析の仕方に違いがあるからではないかと思いますが,先々,ボーダーの引き方も微妙に違ってくるのではないかと推測しています。あと2日もすれば,自己採点の集計が終わり,予想平均点や各大学のボーダーが発表されますが,これらはあくまでも予想であって,A判定だから絶対大丈夫だとか,Cだから危ないとか,そういう判断を下すことは完全にはできないものです。過去の例から言えば,むしろ結構微妙なものと言えます。ですから,現役は試験前日まで本当に伸びるので,今回の判定を土台に勉強を続けるのが最も良い使い方だと思います。

20070122.jpg

2007年01月21日

一コマ進む。

title20070121.jpg

長い間の課題だったセンター試験をやり終えましたね。すごい!いろいろ苦労したけれど,一こま進めたじゃないですか。それもこれも,汗まで握る大働きをした「手」のお陰。今日は自分の手に感謝。

20070121.jpg

2007年01月20日

いよいよセンター試験。

title20070120.jpg

センター試験,女子の会場となった園田学園女子大学に行ってきました。気温5℃,曇。底冷えする中,黄色ののぼりと校旗の前で生徒一人ひとりに激励の声をかけ,パワーを与える握手をし,最後はとどめのkitkatで見送りました。
20070120_1.jpg20070120_2.jpg20070120_3.jpg
20070120_4.jpg20070120_5.jpg20070120_6.jpg
20070120_7.jpg20070120_8.jpg20070120_9.jpg
20070120_10.jpg20070120_11.jpg20070120_12.jpg

2007年01月19日

明日

title20070119.jpg
20070119.jpg臨むべきは今!心配無用。

進路指導部一同

2007年01月18日

先生から君への熱いメッセージ

title20070118.jpg

20070118.jpg

2007年01月17日

緊張するなというけれど・・・・・・

20071017.png
 センター試験まであと3日となりました。なんせ,一発勝負の試験ですので,緊張するなという方が無理難題。それより,せっかく一生懸命やってきたことが水泡となるようなつまらないミスをしないことです。例えば,
① 試験場に遅れた。
 試験開始までの時間に,自分の問題集を見直すぐらいの時間をもってみておくことです。
② 受験教科・科目をマークし忘れた。
③ マーク箇所を一段ずらせてしまった。
 これらは見直しさえすれば防げるミスですよね。見直しタイムを設定して試験に臨むことですね。

 一番大事なのは,「焦らない」こと。焦ったことのある人はわかるでしょうが,焦ると,問題もじっくり読まずに解答してしまい,せっかく思いついた正解の糸口さえつかみ損ねて逃してしまいます。

 焦らない方法はただ一つ。試験が始まったら,まず,最後の問題まで一通り目を通して全体を把握してから解答にかかることです。たったこれだけで,時間配分も一瞬でできるし,解答する順番もだいたい決まります。難しい問題は後回し。できなけりゃ,やらんかったらいいんです。そこで時間を喰うより,できたところの中でミスがないか点検する方がいいじゃない?ま,それぐらい開き直きなおれれば,まず焦ることはない,でしょう。

2007年01月16日

日曜の昼下がり

title20070116.jpg

 先日,テレビを背に昼ご飯を食べていたら,聞き覚えのある歌が耳に入ってきました。「あぁ,SMAPの・・・・・」。?,でも,声が違う。振り向けば,スガシカオのクリップでした。
「この人がつくったんだよ。」
「へぇ~そうなの・・・・。SMAPと全然違うね・・・・・・。」
「夜空ノムコウ」-皆さんご存じの,1997年ミリオンセラーとなったSMAPの代表曲です。中学校の教科書に採用されるほど,代表曲となりました。その,曲を作詞したのがスガシカオさんです。彼はこの曲から一躍有名になり,最近では,NHK「プロフェッショナル」のテーマ曲も歌っています。

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ
マドをそっと開けてみる 冬の風のにおいがした

 SMAPのファンの方には失礼かも知れませんが,当時は雑音にしか聞こえませんでした。でも,そのとき,スガシカオの声が内で響き,大袈裟な言い方をすれば伝えたいことがわかるような気がしたんです。邦楽は滅多に聴かない村上春樹氏も,スガシカオの曲だけはドライブ中にかけるそうで,「決して流麗な歌詞ではない。むしろかなりごつごつとした、メロディーに簡単には乗せにくい歌詞だ。」と評しています。

作曲は川村結花さん。大阪・富田林高校から東京芸術大学作曲学科に進み,ソロ活動しながら,藤井フミヤ,坂本美雨,松たかこさん等の歌も作っています。彼女自身も「夜空ノムコウ」をカヴァーしていて,濁りのない,しかしどこか力強い声でスガシカオさんの詞をうまく表現しています。

あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ

 メロウでありながら,それでいて,どこか元気づけてくれる秀作です。疲れたとき,迷っているとき,寂しくなったとき,一度聴いてみてください。

(注)スガシカオ「夜空ノムコウ」は,「yahoo動画 スガシカオ 夜空ノムコウ」で検索するとフルで聴くことができます。なお,川村結花さんの「夜空ノムコウ」は廃盤になっていますが,ネットではダウンロード(有料)して購入できます。

2007年01月15日

先生の研修

フル~イ話で恐縮ですが、私の高校生時代のことです。
公立高校でしたが、高校生になったときの、ちょっとしたカルチャーショックを今でも鮮明に覚えています。勉強の内容が格段に難しくなったことです。各科目ごとに問題集や参考書が与えられ、教科書はう~んと分厚くなり、そしてその活字は小さくなり、それだけでも大変なできごとなのに、先生たちは生徒の理解状況など気にもとめていないふうで、どんどん授業が進みます。
 業者の模擬試験もなかったように思います。自分の偏差値や受験校の偏差値といったものも殆ど記憶にありません。受験校を判断する実力テストは高校の先生たちが作成し、浪人生も高校にやってきて一緒に受験していました。1年生から浪人生までトータル(1600名くらい?)で席次が出る科目もあって、1年生なのに100番内に躍り出る子もいて刺激的でした。先生たちは教科学習に熱心で、何人かの方が毎週大学に通って聴講生として勉強しているとおっしゃってました。中学とはちがうなあ、と実感しました。

と、ここまでが枕です。
時代は進んで、現在です。現在も先生たちは勉強していますよ。本校でも4月以来、多くの先生が研修に出かけています。
私も、1月6日、駿台教育研究所主催の「古文 教える側として考えておきたいこと」を受講しました。
50分授業・6時間の講義でしたが、受講する側にまわると、普段の自分を、合わせ鏡のように見ることができ、大変勉強になります。「確認のための繰り返しが多いなあ」「リラックスのための脱線から元に戻すのに苦労してられる」など。
内容はタイトル通りでしたので、受験生にダイレクトに役立つというわけではありませんが、基本語彙の分析など、さすが受験のプロと思いました。一部をあげますと、
用いられている動詞の延べ語数(源氏物語)
  1位 四段活用 53.3%    2位 下二段活用 22.3%   以下 ラ変活用(9.9%) サ変活用(6.2%)  上一段活用(4.5%)  上二段(2.2%)
  上二段活用の動詞ってあまり用いられていません。
用いられている助動詞の分析(宇治拾遺物語)
  1位 けり 2664回   2位 たり 1645回   3位 なり(断定) 1433回  4位 む 1043回  5位 ず 922回  6位 ぬ 815回  7位 つ 526回  以下 べし  る・らる  す・さす・しむ  き ・・・と続きます。分析の題材が説話文学なので、「けり」が多いのは納得ですが。
もちろん、このような分析はごく些細な部分で、講師の方は、『源氏物語』五十四帖の逐語訳を毎日、自分に課しているとのことでした。

センター試験も目前に迫り、仕方がないとはいうものの、最近の生徒からの質問はテクニック的なものが増えてきました。古文を「論理」で読みとろうとすると、理屈に合わないことが多々あります。感性を大切にして、古文を読み解くことも忘れずに。健闘を祈ります。 
 

2007年01月12日

仕事と暮らしが日本人の芸術だ(2)

感覚を生かす働き方で次へ

20070111.jpg 日本のモノ作りには、合理的なシステムだけでは説明できない要素が含まれていると思います。例えば芸術的要素の一つとして「コツ」を挙げることができますが、はっきりと言葉で伝えられない不合理な部分を持っていて、現在の自動車や家電品にも、その感覚的な日本人の仕事ぶりがうかがえます。  面白い例がかつての戦闘機「零戦」です。終戦後にアメリカ軍がその細部まで解析しようと試みたのですが、どうしても非合理な部分があり、解析作業が暗礁に乗り上げてしまったそうです。その時にアメリカの大学院生で西陣織の研究をしていた学生が「これは西陣織のシステムである」と気づいて、零戦の持つシステムが氷解したと伝えられています。  日本の先端的なモノ作りの中にはこのような要素が組み込んであるのですが、これは日本の秘法に近い能力ではないでしょうか。伝達することが大変に難しいですから、日本企業が海外の生産工場でこの「コツ」を導入して、例えその国でまねされても、最終的に新しい製品に生かすところまで取り込むことはできないかもしれません。  例えば、土を相手にして人間の手で作り上げる焼き物なども、土という自然と折り合いながら、日本人の「コツ」で素晴らしい器を作ってきたわけですね。頭で考える合理的なシステムでは生まれない。日本人の芸術とは、有用性のモノ作りで実践してきた極意そのものではないでしょうか。

農業でよみがえる日本人の仕事への実感

 自然と触れ合いたい、動物や植物とのやり取りをしたいというのが日本人の文化的精神的DNAですが、現代の日本では都市生活が中心です。私たちの世代はまだ、外の世界と触れ合うために旅に出るという方法がありましたが、今のようにメディアも交通機関も発達してしまったら、どこへ行っても同じですし、出合うものも聴く音楽も同じですね。会社も均一化してきていますから、堂々巡りではないでしょうか。  その閉じた状況から外へ出るために、私は農業が有効ではないかと考えてきました。学生たちを山形の田んぽへ連れて行って田植えをさせると、最初は足元の泥に悲鳴をあげていますが、都会育ちの彼らでも1時間ほどすると腰が据わってくるのです。お百姓さんたちが「ああ、おめえら日本人だなあ」と言いますよ(笑い)。田植えや稲刈りのあとは直会(なおらい)という宴(うたげ)も楽しみます。若い人たちは農業の中で目覚める感覚がたくさんあるのだろうと思います。  不合理を取り込んで仕事の極意に高める日本人にとって、その要素を切り捨てるヨーロッパの合理的労働観は殺伐としたものに感じられるのかもしれません。

(朝日新聞(12月4日付)「STAGE」から)(談)

2007年01月11日

仕事と暮らしが日本人の芸術だ(1)

中沢新一が語る仕事

なかざわ・しんいち●思想家・人類学者。1950年生まれ。多摩美術大学芸術人類学研究所所長、同大美術学部芸術学科教授。著書に「カイエ・ソパージュ」全5巻〈講談社選書メチエ/「対称性人類学」で小林秀雄賞受賞〉、「精霊の王」(講談社)、「アースダイバー」(講談社)/桑原武夫学芸賞受賞)、「チベットのモーツァルト」(講談社学術文庫/サントリー学芸賞受賞)、「フィロソフィア・ヤポニカ」(集英社/伊藤整文学賞受賞)、「芸術人類学」(みすず書房〉など多数。

お互い相手を支配しない生き方

20070111.jpg 極東の日本は、東アジアでキリスト教の布教が成功しなかった数少ない国です。韓国やフィリピンのように、多くの国民がキリスト教を受け入れた国々と何が異なるのかと言えば、日本人が長年かけて培ってきた独特の自然観にあると思います。だから、キリスト教の根底にある、自然を戦うべき相手ととらえるような考え方を受け入れられなかったのです。
 きれいな風景、自然との間に一種のネゴシエーションを行って、自然や動植物と共にある環境を作って私たちの祖先は生きてきた。人間が自然を制するというような、相手を支配する思想が日本人にはそぐわなかったのだと思います。私の家庭はクリスチャンでしたが、キリスト教には子供の頃から違和感があって、日本人には合わないと感じていました。それは自然を支配するという考えに何か暗いものを直感していたからでしょう。
 自然を支配し産業を加速するという方向で先進国が走ってきた結果、地球全体の環境問題が発生してきました。日本人はこの問題に立ち向かっていける思想を、歴史的時間をかけて育んできました。日本人がずっと抱いてきた自然への思想からしか、答えは生まれてこない。その日本人本来の思想を取り戻す大きな芽として、ニートは生まれるべくして生まれてきたとは考えられないでしょうか。産業と教育の落ちこぼれというネガティブなとらえ方は、何か大切なものを見落としていると私は思います。

主張しないものに耳を傾ける思想

 エコロジーが一つの大きな産業として確立してきましたが、そういう時代に日本人の思想のバックボーンとなってきたものが重要な意味を持つようになるでしょう。自然とネゴシエーションしながら生きるからこそ成立する暮らし。自己主張をしない自然に耳を傾ける姿勢。これは弱いものや、人間の外にあって自分を主張しないものたちの言い分を聞く思想です。
 私のゼミでは、学生たちの心を縛っている思い込みを取っ払う試みを続けていますが、そうすると彼らの心に何が現れてくるのか。困ったことに学生たちはニートに近くなります(笑い)。大学で政策学や国際関係論を学んだ後に農業を目指したり。最近でも、企業に入ってコンピューターをやるより醸造をやりたいと、ぶどう酒の醸造会社に就職する学生がいます。ぶどうが発酵してぶどう酒に変わる複雑なプロセスが興味深いという。
 学生時代にメキシコのインディオと暮らしてきた教え子は新聞社に入社しましたが、どうやらまだ浮いている(笑い)。おそらく40歳くらいになったら彼もすごい力を発揮するようになるでしょう。今はまだ、社会のほうがニートの生かし方をわからない状態なのです。

(朝日新聞(11月27日付)「STAGE」から)

2007年01月10日

センター試験まであと10日

昨日、授業始め式が行われ、2007年がスタートしました。本日は中学1年から高校2年まで、終日、実力テスト・模擬試験が実施されています。高校3年生は今日から特別授業のC日程です。これは、各自が 選択した講座を受講する、あるいは教室で自学自習するというものです。もちろん、3年生は、冬休み中も寒さにめげずがんばりました。年明け早々の1月4日~8日、希望者がサテラインゼミの受講や公民の補習で登校していました。
変換 ~ 特別授業 002.jpg 変換 ~ 特別授業 003.jpg
特別授業では、《国・数・理・地歴・公民・英》 6教科の『センター試験対策講座』や『私大入試対策講座』が行われています。

 さて、センター試験については、昨春、すでに分析されていますが、今回は『新課程』2年目の入試です。過去の「課程変更初年度入試」では、平均点の高い科目が続出し、平均点が70点前後の科目は次年度難化する傾向にありました。
 さて、今年は?
 2006年度の平均点をあげてみます。(   )内は昨年度との比較です。
英語筆記 127.52(+11.34)  リスニング 36.25  国語 125.52(+5.97) 
数学ⅠA 62.36(-7.07)  数学ⅡB 57.66(+5.19)  世界史B 66.25(+3.09)  日本史B 54.66(-4.61)  地理B 65.13(-5.09)  現代社会 57.91(-12.31)  物理Ⅰ 73.42(+13.45)  化学Ⅰ 64.13(-1.93)  生物Ⅰ  69.60(+18.02)
 《2年目のジンクス》・・ということになると、「物理」「生物」などは要注意です。

とまれ、あと10日です。マラソンにたとえると、最後に競技場に走り込んだところでしょうか。42キロも走ってきたのに、トラック勝負になって、前の走者を追い抜くアスリートがいます。人間の底力のすごさを感じる瞬間です。受験生のみなさん、自分を信じて、持てる力を十二分に発揮してください。

2007年01月09日

肥えた肥えたと騒ぐじゃないよ~♪(確か,こんな歌詞だったような)

title20070109.jpg

 社会保険庁では、2004年度に生活習慣病予防健診を受診した人たちのデータをもとに、都道府県別の「肥満度」を公表した(下表はその抜粋)。 BMI(ボディ・マス・インデックス)とは目標体重設定の目安で、体重(Kg)を身長(m)で2回割った数値。BMI=22が標準で、25を超えると肥満となる。例えば,体重56Kg,身長166cmの場合,56÷1.66÷1.66=20.3となり,少しやせ気味ということになる。ランキングを見ると、男女とも沖縄県がトップで、特に男性はダントツ。-方、東京、大阪など都市部の女性の肥満率は15%台と低い。沖縄はかつては長寿王国だったが…今や地方の食生活も都会と変わらなくなっているのに、健康的な食生活やダイエット意識が都市部に比べて希薄。そのことが影響しているようだ。

20070109fig1.jpg

 最近は、動脈硬化などの要因となるメタポリックシンドローム(内蔵脂肪型肥満)が話題になっている。高校生には関係のない話にも思えるが、高脂肪・高力ロリーの食生活を続けていれば10代でメタポリックシンドロームやその予備軍になる可能性も十分。一方、過剰なダイエットも問題になっている(スペインのファッションショーでBMI18未満のモデルが出演禁止になった)。

 さて,女子の間では,「受験勉強すると肥える」という噂がある。肥満の一因に「ストレス」があるので,「受験勉強」→「ストレス」→「肥満」という図式なのだろう。或いは,そういう先輩の声だけが残り,肥満・・・いや,あ,あの,肥大化していったのだろう。実際はどうなのか?ネットで検索してみると,こういうのもあった。

「中2の時に、過酷なダイエットに失敗した(というかほとんどやっていないも同然?)私でした。その後は、ダイエットをあきらめてしまいました。とはいえ、食べ過ぎないようにすることと、なるべく運動をすることを心がけているだけで、ピーク時よりはかなり体重も減ってきました。それと少し背も伸びたせいで、「かぼちゃ」という感じではなくなってきました。
 中学3年になって、受験を迎え、私はがぜん勉強するようになりました。本当に何かにとりつかれたように受験勉強に励みました。夜中の2時、3時まで、黙々と勉強しました。すると、どうでしょう!!体重が、めきめき減りはじめたのです。夏休みが終わった頃は、実にほっそりとした体型を、これといって特に何の努力もせずに手に入れることができていました。その当時の写真を見ると、自分でもうっとりするほど、スリムなのです。水色のワンピースを着て家の前で微笑んでいる写真なのですがね。今思うに、受験勉強で、睡眠不足であったことと、受験に神経が集中していたので、食欲が抑制され、知らず知らずのうちに、あまり食べなくなったようでした。まさに「寝食を忘れて」受験にのめりこんでいたわけです^^。おかげさまで、希望校に無事合格することができました。」

 どうも受験と肥満は関係ないようです。そういえば,あまり勉強しないうちの娘,「肥えた,肥えた」って騒いでます。ナイショですが,確かに勉強していたときの方がスリムだったような・・・。ということで,問題はむしろ,受験勉強=ストレスとパターン化して考えてしまうことにあるのではないかと思います。

20070109fig2.jpg

2007年01月05日

2007年問題-最後に

title20070105.jpg

 「2000年問題(Y2K)」を憶えていますか? 当時はハードディスクの値段が高く,またOS(基本ソフト)の制約から、大きな容量を扱えず、なるべく工夫してコンパクトなファイルにする必要があったために,業務フローに従ったプログラムでは,西暦4桁のうち下2桁だけを使用して,プログラム容量をできるだけ抑えていました。ところが,1999年から2000年に変わる時、「99(1999年)」が「00(2000年)」となり、2000年を1900年と誤認識して色々なシステムで不具合が発生するのではと危惧されました。これが「2000年問題」です。結構話題になり,成り行きが注目されていたのですが,細かなトラブ ルはたくさん発生しましたが局所的な影響だけでした。1997年頃から既存プログラムのチェックをし、事前に修正したり2000年問題を機会にシステムの再構築を行う等、事前準備が功を奏したようです。

 さて,もう一つの2007年は,このシステムに関わる問題です。つまり,団塊の世代の退職によって,IT現場からレガシーシステムを開発してきた世代がいなくなることが問題になっています。
 「レガシーシステム」とはいわゆるメーンフレーム(大型汎用機ともいい、大量のデータ処理をおこなうためにつくられた大型の高性能コンピューターのこと)を動かしている旧式の情報システムのことです。今も現役で使われています。大企業であれば大型コンピュータですが,中小企業ではもう一回り小さいオフコンで作動しています。

 問題は,このレガシーシステムの多くがフォートラン(FORTRAN)という科学技術計算用のプログラミング言語で書かれていることです。フォートランは,1957年にIBMで開発されたかなり古い言語で,現在の色々なプログラミング言語の祖先にあたるといってもいいでしょう。博物館入りしてもおかしくない古い言語ですが、地球環境のシュミレーションや分子設計、遺伝子解析などバイオ部門などに使われているスーパーコンピューターでも使われています。そして,このフォートラン言語で作られたプログラムにはそのときの担当者のノウハウが山のようにつまっていて,トラブルに対して非常に強く,信頼性、安定性に優れ,人類の財産になっています。

 レガシーシステムを作り上げた技術者の多くは,1960年代に入社した団塊の世代です。会社の業務フローを書き、現場業務を経験してプログラムを書き上げました。今のコンピュータ技術者には,現場業務の細かなところまではわかりません。必然的に大型コンピュータの面倒を見るのはベテランとなり、若手は現在のクライアントサーバーシステムやウェブシステムなどを担当し、棲み分け状態となってしまいました。ベテランから若手への技術継承ができていないのです。

 2002年,第一勧業銀行,富士銀行,日本興業銀行が合併し,みずほ銀行が発足したとき,口座の二重引き落としや口座振替システムに深刻なトラブルが発生しました。富士通(第一勧銀),IBM(富士銀行),日立(日本興業銀行)それぞれのメーンフレームを動かしているシステムは,団塊の世代の技術者が構築したもので,統合作業に携わったのは若手や外注業者ばかりだったといいます。業務に精通し,長年にわたって保守を手がけてきた社員がいなくなったとき,同じようなシステム障害が発生するのではないかと懸念されています。

 図表8は,団塊世代の退職に伴う技術や技能の伝承の困難性を事業所に尋ねたもので,それを業種別,規模別に整理したものです。製造業が非製造業に比べ,2007年間題を重く考えていることがわかります。また,規模別に見ると,中小企業より,大企業の方が困難化すると考えています。
20070105fig1.jpg

 図表9は,有効求人倍率を見たもので,専門的・技術的職業だけで見ると,1.89倍と,求職に対し2倍近い求人が来ています。グラフにはこの専門職・技術職の中で倍率が高いものだけを載せていますが,機械・電気技術者,情報処理技術者が圧倒的な求人超になっているほか,鉱山技師,土木・建築技師などでも倍率が高くなっています。技術や技能を持った人材への需要が団塊の世代の退職前に急増し,一部で供給不足が生じていると見ることができます。
20070105fig2.jpg

(図表は,三井トラスト・ホールディングス-「団塊世代の退職と高齢者就業問題」より抜粋)

2007年01月04日

2007年問題-何が問題か

title20070104.jpg

昨日の続き。団塊の世代が退職すると,一体どんな影響があるのか。

1 多額の退職金と企業年金負担

 図表5のように,一時退職金と代行返上後の企業年金現価(代行返上とは、企業の運営する厚生年金基金が、国の運営する厚生年金の運営を代行していた部分を国に返上すること)を合わせた額は、団塊の世代が退職する3年間で、最大77兆円にのぼり、それまでの3年間に比べ、1.4倍ほどになると見られる。一時退職金は、団塊世代の退職が終わると、前の水準に戻るが、企業年金の毎年の支給額は、そのまま高水準が続いていくことになる。バブル崩壊後、年金基金の運用利回りにマイナスが生じ、企業の補填が重くなってきている上に国家予算にも匹敵するこの桁外れな負担に,果たして企業自身が耐えられるかどうか。
 財務省が2004年に公表した「団塊世代の退職と日本経済に関する研究会報告書」でも、団塊世代への退職金が企業の財務リスクを高める可能性が指摘されている。報告書によれば、東証一部に上場している企業の約1割で、退職金と企業年金の負担が株主資本を完全に上回っており、負担が株主資本の50%以上という企業も2割にのぼるという。ようするに一流企業の3割が、退職金や企業年金の一時的な増大によって経営危機に陥るおそれがあるということだ。
20070104fog1.jpg

 しかし,毎年の賃金・給与支払い額だが、図表6のように、最も支払額が多い集団が退職し、新卒者等に入れ替わることで、年間の給与支払額が数兆円減少することになり、この効果は、現行の賃金体系や労働力率が変わらない限り、団組ジュニア世代が40歳代後半に至る2010年代後半まで継続することになる。20070104fig2.jpg

2 個人消費の低下

 財務省の財務総合政策研究所の試算によると,団塊の世代の退職によって,日本経済は2010年度に約16兆円のGDP(実質国内総生産)を失うという厳しい結果が出た。彼等自身の退職が経済の縮小を招き,結果的に定年後の再就職をも難しくしてしまうおそれがある。

3 人材の空洞化・人手不足と外国人労働者の増加

 図表7は、どの業種で、団塊の世代を含む、50歳代後半の世代の社員が多いかを見たものであるが、団魂の世代は、製造業の方が多く、製造業の中でも、加工と素材を分けると、素材業種で、その世代の比率が高くなっている。このまま国が新たな対策を講じなければ、2015年までの10年間で、わが国の労働力人口は約410万人も減少するという。厚生労働省の雇用政策研究会の報告では、高齢者や女性の再雇用などの対策が提言されているが、それだけでは、将来の労働力不足は補えない。一挙に外国人労働力に頼らざるを得ない状況が来るのではないかと想像する。それによって,社会は大きく変貌していくのかも知れない。

20070104fig3.jpg

(図表は,三井トラスト・ホールディングス-「団塊世代の退職と高齢者就業問題」より抜粋)

2007年01月03日

2007年問題

title20070103.jpg

 戦後日本の経済を支えた団塊の世代が退職を迎えるのが2007年から向こう3年間といわれている。その影響は,技術の伝承や多額の退職金支払いなど,各方面に出ると予想されている。大学進学についても決して無縁ではない。

1 団塊の世代とは

 下図表1のように,わが国の出生数は、明治以降上昇傾向にあったが、戦後、大陸からの兵員引き上げ等で空前の結婚・出生ブームが起こった。しかし、その後すぐに、優生保護法等の人口抑制策がとられたため、出生数は急減し、結果的に3年間だけ、つまり昭和22年から24年生まれ(1947年~49年)で突出した数の人口集団ができた。これが堺屋太一氏が名付けた「団塊の世代」である。
 1970年代に第2の山があるが、これが「団塊の世代」が子供を持ち始めた「第2次ベビーブーム」である。このように,「団塊の世代」は、ただ人口が突出していると言うだけではなく,戦後の死亡率の低下とあいまって,日本の人口成長を支え、旺盛な購買消費意欲と豊富な労働力を持って戦後日本経済の成長を支えてきた世代なのである。

20070103fig1.jpg 諸外国ではどうなのか。図表2は、日米の人口構成を、5歳きざみごとに比較したものである。アメリカでも、戦後に出生ブームが起きたが、人為的な人口抑制策がとられなかったため、出生ブームは20年間にわたって続き、40歳代が人口構成のピークとなっている。ドイツでも移民問題から人口抑制策がとられたが、この山の険しさは日本特有で、現在において、他の先進国には類のない厳しい高齢化や人口減少の問題を、結果として突きつける形になっている。

20070103fig2.jpg それでは一体どれくらいの人数が退職するのか。図表3は、年齢別に、人口、就業者数、常用雇用者数(正社員)の構成・推移を見たものである。団魂の世代は、総数670万人ほどで、そのうちの就業者は450万人、さらには、定年退職の対象となりうる正社員は、男女合計300万人程度と見られている。

20070103fig3.jpg

 団塊の世代の歩みを振り返ってみると,昭和22年生まれの人の場合,10歳頃から高度成長が始まり、17歳の時に東京オリンピックを見ている。ビートルズが来日し,ビートルズ世代とも言われる。大学時代は、学生運動の最盛期だったが、運よく高度成長期の最後の昭和46年頃に社会人になることができた。第一次石油ショックに伴う深刻な景気低迷期は、運良く就職した後に経験し、その後、40歳代の働き盛り(昭和60年代)で、バブル経済のピークを迎えた。 その後の「失われた10年」の期間を堪えて、今、第2の人生を歩みだそうとしている。団塊の世代は、いわば、その時々における、日本経済の主役、価値観の担い手であったと言っても過言ではない。

(図表は,三井トラスト・ホールディングス-「団塊世代の退職と高齢者就業問題」より抜粋)


2007年01月02日

2007年問題

title20070102.jpg

 文部科学省の試算によると、2007年度の大学・短大の入学定員が67万4000人なのに対し、予測志願者数も67万4000人(浪人4万人を含む)で、収容力(入学者数÷志願者数)は100%となる。よく言われているように,2007年は「大学全入時代」の幕開けである。
 ところが,下のグラフが示すように,国公私立大学の定員に対する入学者数の割合を示す定員充足率(折れ線グラフ)は96年をピークに下降傾向に入り、2000年代初頭にやや回復したものの、03年以降は一気に下降している。同時に定員割れ校割合(棒グラフ)は上昇を続け、06年は前年比で5・4ポイント増の24・5%にまで達した。実は,大学全入時代は、大学が「定員割れの時代」を迎える年でもあるのだ。20070102.jpg

「全入」も実態はまだら模様

 確かに,数の上では「全入」と見えるものの、詳細に見ていくと実態はかなり異なる。例えば、全体の志願者数は減少しているが、国公立大学に絞れば06年度はわずかながら上昇している。ほかにも、総合大学、大都市圏の大学、大規模大学などは実はそれほど苦戦していない。その一方で、私立大学、中でも地方の小規模大学、単科大学などは志願者確保に汲々としており、志願人気の格差が拡大している。
 こうした状況は入試方法にも影響を与えている。特徴的なのは、推薦入試やAO入試による入学者数が増加している点だ。推薦入試(AO入試を含む)入学者が全入学者数に占める割合は06年度は33・0%となった。特に私立はこの割合が高く、47・3%となっている。実に入学者の2人に1人がこの制度によって入学しているのである。
 問題は,競争率の高い大学を目指すことのできる一部の生徒を除いて,多くの生徒にとってそうした定員割れのある大学の中から志望校をどう選ぶかである。説明するまでもなく,定員割れが続いていると大学経営は困難になってくる。入学したときは存在していても,卒業するまで持つかどうかはわからない。そこでどの大学が「安泰な大学」で「有利な大学」かなどを指標にして探したいところだが,実はそれは決め手になりえないのだ。将来的にも安泰かどうか等,大学の情報を集めるのは極めて困難だからだ。それよりも,社会に出て独り立ちする力、どんな状況でも生きていける力をつけることができる場、あるいは人生の目的や生きがいを見つける場として,大学を選択し直すべきであろう。 ところが,一部の大学にあっては,学生の質の低下もあるのだろうが,学生の教育に力を注ぐあまり,情報の集め方,レポートのまとめ方,引いてはノートの取り方すらも教えているところがある。また,学生もそのサービスを当然のように享受し,「いい大学」だと反応する。本当にこれでいいのだろうか?

 大学選びに当たっては、損得や有利不利といった発想は、もうやめた方がいいのではなかろうか。選ぶ理由は、教育内容やサークル活動、あるいは在学生の生活など,多様であっていいと思う。そして,入学時点でその選択を納得できればいいと思う。重要なのは、大学生活の4年間の中で何としても社会で自立できる力をつけるのだという“覚悟”を持つことだ。

2007年01月01日

進路指導部から年賀状です

title20070101.jpgsisi.jpg20070101.jpg