「長月」から「神無月」へ
きょうで9月が終わり、あすから10月です。鮮やかな彼岸花、芳香を放つキンモクセイから柿やみかんが色づき、ますます秋が深まる時期となってきます。呼び名も「長月」から「神無月」になります。何れも旧暦で使われていたものが新暦でも使われるようになったものです。旧暦は単なる順番を表すと言うより、風習を表し趣があります。
「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに」、徒然草第十一段にも「神無月」は出てきます。秋の深まりを表す情景にピッタリ来る言葉だと思います。ところで、「神無月」は、日本中の神様が出雲に集まるという伝承からきていると言われたりします。出雲は神様が集まってくるので「神在月」ですが、その他の地域は神様がいないので行事や祭りを行わないともされています。これに対し、「十月を神無月と言ひて、神事に憚るべきよしは、記したる物なし。本文も見えず(徒然草第二百二段)」。どこにも根拠がないし文献もない、と同じ徒然草の中で吉田兼行は異を唱えています。旧暦の中に「無(な)」の付く月がもう一つ、6月の「水無月」があります。神無月に水無月、この「な」は無しの「な」ではなく「の」の意味で「神の月」、「水の月」を表すと言います。「名水百選」に選ばれている水の名所「水無瀬(みなせ)」(大阪府三島郡島本町)も同じ。これをみると納得です。諸説に思いを馳せながら味わうのもいいものです。旧暦の呼び名、それぞれに趣があり私は好きです。